思考と習慣の格差社会

今週はずっとデリーに出張中です。 インドで働いていると、超優秀な人と、普通のインド人との間に立ちはだかる格差に時に呆然となることがあります。格差とは収入の格差ではなく(もちろん結果的にそうした格差にも繋がっているのですが)、思考だとか習慣といった、人としての振る舞いを大きく左右する部分の格差です。 今こちらでは、クライアントのオフィスと宿泊先のホテルとの往復は、ホテルのピックアップサービスを利用しています。朝はホテルのフロントからクルマを頼めばそのまま先方のオフィスまで連れて行ってくれるのですが、帰りはこちらからホテルに電話をしてピックアップをお願いしなくてはいけません。幸いホテルからオフィスは近いので夕方の交通ラッシュでも30分弱の距離です。 ここで問題が起こっています。ホテルからの迎えのクルマが到着しても、何の連絡もしてこないのです。先日はホテルにピックアップをお願いした後、1時間以上経っても連絡がないので電話してみたところ、30分以上外で待っていると言われました。 インドは時間によって交通状況がかなり変動するので、クルマの到着時間をこちらが読むことは難しく、到着が遅れるのは日常茶飯事。したがって、到着したら到着したと言ってもらわなければ、こちらは何らかの事情でまだ来ていないと捉えるのが基本なのです。 そこで、これではこちらも困るのでホテルにお願いを入れました。到着したらドライバーにその旨を連絡してくれるように徹底してほしいと。 そして次の日、また同じ問題が起こるのです。クルマをお願いしてしばらく待って連絡がないので確認してみたら、またしてもオフィスの前で待っていると言います。今回は昨日とは別のドライバーでしたが、ホテルに依頼した事項がきちんと共有されていないのか、もっと根本的に何かがおかしいのか分かりませんが、とにかく同じ問題を何度も繰り返しているのです。そもそも、ドライバーが少しだけ想像力を発揮できたなら、ピックアップの場所に到着して誰も来なければ依頼者に確認の電話を入れてみてもいいはずです。しかしそうした事は起こらず、ピックアップを依頼されたドライバーはピックアップの場所に移動後、ただ待っているのです。 こうした、お願いしたことが共有されず無かったことになる、あるいは、多少気を利かせればできるはずのことができない、という現象はインドではあちこちで見られます。そしてその度に、どうしようもない無力感を抱くのです。当然本人たちは悪気はなくマジメに仕事をしているのですが、マジメに仕事をしているにも関わらずこうした状況がかなりの頻度で起こるというのは、小さい頃からの思考習慣の積み重ねの問題であるとしか思えません。 インドでは私の周りの同僚もそうですが、優秀な層は舌を巻くほど超優秀です。しかし一方で、もはやどう理解すれば良いのか分からない社会層も存在しているのも事実。インドはこうした激しい思考や習慣の格差を内包しながら国として発展していかなければいけないのかと思うと、なぜか私まで気が遠くなる思いです(少なくとも日本が高度成長を遂げた際には、こうした課題はなかっただろうと思います)。 今後も世界で活躍していくインド人はどんどん増えていくと思います。しかし、インドという国がどう発展していくのか、果たして私にもまだまだ謎の部分です。

朝の色

先週の金曜日は朝8時デリー発のフライトに乗るため、5時台にホテルを出ました。こちらの写真は朝5時半前にホテルの部屋から撮ったものです。早朝なので物静かですが日中はクルマと人で賑やかになります。 ムンバイで金曜の夜から日曜の昼間で過ごし、その夜に再びムンバイからデリーに戻りました。月曜の朝からこちらでミーティングがあったので前夜入りすることにしたのです。日本だと東京から大阪くらいであれば当日の朝に移動すれば余裕なのですが、フライトでの移動が多いインドは飛行場との往復やフライトのチェックインなどで最低でも片道移動に3時間から4時間かかるので、移動のタイミングにも気を使います。 ところで今回のプロジェクトは短期でアウトプットを出す必要があり、朝から夜まで仕事のことを考えてしまう結果、なかなか気が休まりません。ちょっと気を緩めてダラダラしようにも、頭の片隅では仕事のことが離れないです。当たり前ですが、仕事のモヤモヤは仕事を通じてしか解決できませんね。もちろんそうした環境ですので、今回もまた色々な経験が積めそうです。 余談の余談ですが、私と同様にムンバイからデリーに出張している同僚が、どこかの週末はデリーに滞在して観光しようと誘ってくれました。土日の2日間あればそれなりの場所は回れるだろう、自分もデリーはあまり知らないから、と。有り難いことです。私も以前インドを旅した時はバラナシとアグラ周辺が主でデリーは中継地点として宿に泊まった程度なのできちんと観光したことがなく楽しみです。

あれから1年と半年

写真を整理していたら、ふと過去に撮った写真が目に入りました。 撮った日付は 2012年12月21日になっています。代官山の蔦屋書店で撮ったものですが、テーブルの上にはインド関係の書籍と、取得したばかりの観光用ビザが置かれています。 2012年の年末年始の休みを利用して、インドに一人旅に出かけました。インドに行くことの明確な目的があったわけではありませんが、一生のうちに一度は行っておきたいと思っていたのと、行くなら一人が良さそうだなとずっと考えていたことは確かで、それを行動に移すなら今だと思ったのは確かです。 数日後の25日に成田を出発し、デリーを経由して27日にガンジス川のあるバラナシへ。そこで数日を過ごし年末年始はタージマハルのあるアグラの近くで現地で知り合ったインド人たちと寝食を共に過ごしました。そして年明けにデリーに戻りさらにネパールに立ち寄った後、帰国しました。約10日間の一人旅でした。 その時が初めてのインドの旅となったわけですが、1年後の2013年末、再びインドの地を踏むことになるとは当時は全く思いもよらず。 偶然なのか必然なのか分かりませんけれど、あの時にインドを訪れていていなければ、きっとインドで仕事をしてみたいという気持ちも生まれなかったと思いますから、やはり必然なのかもしれません。そして、今インドで何とか生活が続けられるのも、1年半前に思い切って一人でインドに旅だった自分がいたからです。 そう考えると、人生はつくづく日々の積み重ねであって、今日考えたことや起こったことが、将来のどこかのタイミングで結びついていくんだなと思います。今の環境に感謝できることがあるとすれば、それは過去の自分がどこかでその種を蒔いたからですし、今日蒔く種は、将来の自分をつくっていくんですよね。 それと、やっぱり写真はいいなと思いました。 自分で撮った写真を見ると、その時の周りの様子や自分の心境が今でも鮮明に思い出せるような気がします。あの時、休日の蔦屋書店は座る場所を確保するのも大変なくらいに混んでいたのですが、その中で自分は、これからインドに一人旅に出るのだという高揚と緊張とに包まれていました。 これからも、拙いながらも自分の写真と自分の言葉で世界を切り取っていきたいと思います。

第二領域の世界に杭を打つ

デリーからムンバイに戻りました。といってもまたムンバイの自宅で過ごすのは週末のみで週明けからは再びデリーです。 今関わっているプロジェクトですが、プロジェクト最終日までの時間が短いため、平日は朝から夜までかなりみっちりと仕事が入ってしまいます。しかもホテル住まいという環境のため、せめて夜は自宅でゆっくりというわけにもいかず、どうしても張り詰めた気持ちが続いてしまいがちです。結果的に目の前の仕事のことで頭が一杯になりがちな毎日となっています。 しかしこうした毎日の中においても、中長期的な視点を忘れず、今の自分のあり方について振り返り、将来に向けた行動の布石を打っておきたいものです。今日の自分は数年前の自分の思考や行動の結果ですから、数年後の自分は、今日の思考と行動が大きな鍵を握っています。その時、自分が望む状態を手に入れているために、今日を意識的に過ごせたらと思っています。 今のように、直近の仕事のために必要な時間が日常の大半を占めているような状況においても、中長期的な視点を忘れないために私が意識していることは、朝起きたら手帳に書いてある自分のありたい姿を確認することと、加えてメモ書きで良いので手帳にそれに関連した自分の思考結果を書きとどめておくことです。私が尊敬するある方は「杭を打つ」という表現をよく使われていますが、まさに自分の手で思考を残すことによって、多忙な日常に流されないよう杭を打っているイメージです。 もちろんメモを書いたところで、それに付随する具体的な行動をその日に起こせるかというと難しい日も多いです。第二領域の時間はあらかじめ天引きすべし、というのは正論として理解していても、時間に追われてしまうことも現実には少なくないと思います。ですから、行動レベルで日々結果を残していくことは理想としつつも、それが難しい場合には、せめて自分の意識だけでも第二領域の世界に飛ばし思考を言語化しておくことで、自分がその世界に片足だけでも留まれるよう杭を打っておきたいのです。 写真はデリーからムンバイに戻る機上で撮影したもの。雨期のムンバイの上空はたくさんのダイナミックな形の雲に覆われていました。コンパクトな Ricoh GR は出張時でもカバンに入れておける頼もしいカメラです。

仕事の立ち上がりを早くするには

新しい仕事を始める時は、できるだけ早く立ち上がりたいものです。特に新しい仕事が自分の土地勘があまりない分野であればあるほど、立ち上がりを早くしておかなければ、不確定要素が見えないままに時間が経ってしまい、後から状況が悪化しかねません。 実は今、私がまさにその必要性に迫られています。今週から新しいプロジェクトがスタートしたのですが、なかなか時間がタイトで、きっちりと結果を出しながら、毎日着実に仕事を前進させていかなければいけない状況です。 一般的に新しい仕事を始める時は、情報収集をしっかりしたいとの誘惑にどうしてもかられます。そして色々な資料を集め読み進めるのですが、結果的にそれだけでかなりの時間を要してしまうことも多いと思います。数日経ってみても何も新しいアウトプットが出せていないという事態が起こってしまいます。 情報収集を優先する方法の大きな問題は、本来はアウトプットに必要とされない情報も集めてしまい、かつそれの理解のために時間を使ってしまうことでしょう。時間に余裕のある仕事であればこうしたやり方でも問題はないと思いますが、時間がタイトな場合は、インプットの時間を最小化しアウトプットの時間を最大化する意識と工夫が欠かせません。 インプット最小化、アウトプット最大化。そのための具体的な方法として、これまでのところ一番確実だと思うことは、最終的に必要な仕事の成果物からの逆算思考です。情報が不足していても、最終的なアウトプットのストーリーや枠組みを先に考えてから、そのために必要な情報を選択的にインプットしていく方法です。 情報が不足していて理解が足りない状況で答えをつくっていくようなものなので、もちろんハードルは高いですし、結果的に誤った枠組みをつくってしまうことも当然あり得ますが、それでも無作為に情報収集をしてから始めるよりは、確実に成果が出せる方法だと思っています。それに何より、日々、必要な成果物が着実に生まれつつあるという安心感も高いです。 新しい仕事に取り組む時は、最初から逆算思考で答えを出しに行く。これを基本原則として仕事を進めていきます。 現在デリーに滞在していますが、連日、日中の最高気温が40度を超えています。夕方になっても40度台をキープし、夜中も30度台のままの様です。幸い一日の大半をオフィスで過ごしていますが、ちょっと屋外に出るとかなりの熱気。日本ではまずなかなか経験できません。

タフなインド人

今働いている出張先のオフィスはどうやらビル全体での電力供給力が不十分な様で、頻繁に停電が起こります。朝から夕方までの滞在中、昨日は4回、本日も2回の停電を経験しました。また、ムンバイで私が住んでいるアパートも時々停電が発生し、回復まで長い時で1時間以上かかったこともあります。 オフィスでの事務作業ならその影響は軽微ですが、インドへの工場進出を検討する外資系企業にとっては、インドの停電リスクは工場進出の判断の是非に影響を与える大きな懸念事項の一つのようです。 しかし当のインド人たちは停電にはすっかり慣れているようで、停電が起きてもまったく無反応のまま仕事を続けます。日本でしたら停電によって部屋が真っ暗になれば、動揺はしないまでも、ちょっと手が止まって状況を見守るような反応が出て当然ですが、こちらでは本当に何ごともなかったかのようにすべてがそのまま進行していきます。単に慣れの問題でしょうが、最初にその光景を見た時はなかなかタフだなあと感心してしまいました。 タフなインド人という観点でもう一つのエピソードをご紹介します。 インドでのビジネスパーソンにとっては、タクシー移動中にラップトップを開いて仕事をすることは珍しくありません。昨日の記事にも書いたとおり、渋滞の多いインドではタクシーでの移動に1時間以上かかることが多く、移動時間も仕事の稼働時間として組み込まなければいけない事情があるからです(余談ですがインドはタクシーが非常に安いので1時間乗っても1000円程度)。 それくらい日本でもやっている人はやっているよ、と思われるかもしれません。実際私も日本で働いていた時はそうした事もありました。 しかしここはインド。日本よりもずっと道路状況は悪く路面はデコボコしていますし(たまに穴が空いています)、運転マナーもそこまで良くないので急な加速、停止、追い抜きの連続です。つまりタクシーに乗っている間は、とにかく前後左右くわえて上下への揺れが続くのです。そうした状況でパソコンの文字を読もうものなら、数分で車酔いになってしまいます(なりました)。 それでも仕事ができるのがインド人ビジネスパーソンなのです。実際、先月まで一緒に働いていた同僚は、「慣れれば大丈夫」と平然とタクシーで仕事をしているようでした。 新興国であるインドでは、まだまだインフラの整備はこれからの課題です。上記に挙げたような電力事情あるいは道路事情以外にも、様々な部分に課題を抱えています。しかしそれでも、こちらの優秀なビジネスパーソン達はそれらをものともせず仕事をして成果を出しています。さらには流暢な英語を使い海外企業を相手にどんどんビジネスを展開しようとしています。こうした側面を見ていると、日本人として危機感を覚えるとともに、自分も負けずに頑張らなければとの思いを強くするのです。

電話会議の多いインドの仕事

シンガポールからムンバイに昨晩帰国したばかりですが、今朝の早い便でデリーに出張しています。5時過ぎに家を出て、7時のフライトで約2時間。9時ころにデリーに到着しました。週末から3日連続でのフライトはさすがに疲れますね・・・。 日本で働いていた時に比べると、インドでは電話会議を使ってのコミュニケーションがかなり増えました。 日本の場合は多くの大企業の本社機能が東京または大阪に集中しているため、プロジェクトメンバー同士が直接会えるような距離を維持することは難しくありません。一方、インドの場合、面積が日本の10倍の国土において、例えばデリー(インドの北)、ムンバイ(西)、バンガロール(南)、チェンナイ(南)とインド各地に都市が分散しています(ちなみにこれらの都市を移動する場合は飛行機で2時間から3時間弱)。加えてそれら中枢都市の周辺にも規模の大きい衛星都市が点在し、飛行場からさらにクルマで数時間の移動が必要といったケースも珍しくありません。更に加えると、朝夕は交通渋滞が激しいためより一層の移動時間が必要です。 こうした地理的環境のため、一度プロジェクトメンバーが他の都市へ出張すると、しばらくは顔を合わせることができません。例えば以前、私がムンバイで働き、プロジェクトのマネジャーがチェンナイで働いていた時などは、1ヶ月に2回しか顔を合わせることはできませんでした。 したがって結果的に日常の連絡や相談で電話を用いることが多くなります。複数拠点と同時に接続可能な電話会議システムを用いてのチーム内での議論も日常的に起こります。 日本語であれば全く問題ないのですが、英語がノンネイティブの私にとって、こちらでの電話会議は今でもちょっとしたチャレンジです。対面であれば理解できる会話も、電話となるとどうしても理解力が下がってしまうのです。携帯越しでノイズ混じりになる音質の問題も大きいですが、ジェスチャーなどのノンバーバルコミュニケーションが使えないことも要因だと思っています。電話会議での理解不足は仕事のアウトプットに大きな影響を与えてしまうので、一言も聞き漏らすまいと、今でもまだ緊張しながら会議に望んでいるのが現状です。 インドに来て以来、コミュニケーションの精度については常々課題でした。半年前に比べればかなり精度も上がってきているとの実感はありますが、自分のベンチマークである日本語でのコミュニケーション精度と比較すると、まだまだ改善が必要だと思っています。日本語と同水準のレベルはかなりの修練が必要ですが、改善のためには地道に場数を踏んでいくことが一番の近道だと思いますので、電話会議の多い今の環境をうまく活用しながら努力を続けたいと思います。

フットワークの軽く動ける仲間の存在(シンガポール #2)

昨日から土日を利用しシンガポールに来ています。 (http://phoword.com/2014/06/unusual-weekend/) 今回の2日間限定のシンガポールの旅の始まりはとてもシンプルで、そのシンガポール在住の友人が、数名の仲間に「今度シンガポールで集まらないか」という声がけをしたことが発端です。当時それ以上は明確な目的も具体的なプランもなかったと思います。 こうした声がけを頂いた時、どんなリアクションが想定されるでしょうか。 自分にとって興味深いものであれば、少なくともまずは一旦その場では「そうだね」「いいね」という肯定的な返答が生まれると思います。実現できるかどうかは分からないけれど、実現したら面白そう。そういう本心から出てくる言葉ですよね。 しかしその後はというと、そのままどんどん時間が流れてしまい、そのアイデアはなかなか動き出しません。そして何かの瞬間にふと「あれはどうなったのだろう」と思い出すものの、そのまま結局流れてしまう。というのは実際によく経験するケースではないでしょうか(実際、私もそうした経験は多数・・・)。 アイデアが出たその場では面白そうだと思えても、それを実現させるとなると、日程の調整やプランの具体化などの負荷も大きいですから、「いつか」「今度」と言っている間にアイデアが流れてしまうことも、残念ながら少なく無いと思います。 しかし今回の場合はというと、「今度シンガポールで集まらないか」という声がけに対し、一緒にいた仲間たちは「集まります。いつにしますか」という問いで返答したのでした。そしてそのアイデアがより具体化し「XX月XX日に決まりました」という案内が流れば、数日のうちに「日程を調整出来ました」「飛行機のチケット確保しました」というやり取りが行われ、一定数の仲間が集まる結果となったのです。「面白そう」と感じた自分の正直な気持ちをそのまま放置せず、実現まで皆それぞれが動いたのです(しかもかなり短期間のうちに)。 ・・・誰もが色々な「やってみたいこと」「行ってみたいこと」を心に描いていると思います。しかし、日常の忙しさや様々な制約を理由に、実現に向けた行動を先延ばしにしてしまうのもまた事実。それでも、実際にそれが実現できるかできないかの本当のところは、まずは動いてみなければ分からないもの。分からないからこそ、とにかく少しずつ動いてみることが大切なはずです。 動いてみた結果、うまくいかないこともあると思います。しかし動いてみた結果、うまくいくこと、現実のものになっていくこともまたあるはずです。結果は分かりませんが、まずは動く。当然のことですがそれが実現に向けた最も確実で最も大切なことですよね。 そうは言いつつ、私もそうですが、なかなか自分一人では動けないことも多いと思います。そういった時に何よりも有り難いのは、フットワークの軽い仲間の存在。ちょっとしたアイデアに賛同してくれ、実現に向けた具体的な行動を着実に起こしてくれる仲間がいると、毎日がとても躍動的で彩り豊かになるように思います。今回私がシンガポールで同行させて頂いた友人はまさにそうした仲間です。彼らの存在があるからこそ、私も忙しいを理由にすることなく、自分の心に素直に実現に向けたアクションを取っていくことができています。とても有り難い存在に感謝です。

異国の地にて友と過ごす週末(シンガポール #1)

週末、土日を利用してシンガポールに来ています。金曜日の深夜にムンバイを出発し、土曜の朝、チャンギ国際空港に到着しました。 シンガポール在住の友人の声がけによって、日本そしてミャンマーから仲間が参集しました。もちろんせっかくの機会ですのでシンガポールも観光してきますが、それよりも友人たちと共に時間を過ごし語り合う時間を持つという方が目的としては強いかもしれません。インターネットを介し場所を問わず連絡を取り合う手段はいくらでも存在する今の世の中です。しかし、実際に現地で会い、共にメシを食べ、そして酒を飲みながら語り合うという直の交流は他には代えがたい価値があると感じています。特に今回は異国の地まで足を運んでの再会です。お陰でとても濃密な時間を過ごさせて頂いています。 加えて今回は、シンガポールに住み働いている方々との接点も頂きました。そうした方々から聞くシンガポールの現状や今後や、さらには外から見える日本の姿などは新鮮で、とても学びとなりました。こうした新しい視点を頂けるのは海外で人に合うことの大きなメリットの一つですよね。 今年は私自身、海外在住者という立場であるため、以前よりも積極的に海外(アジア域内)で人と会う機会を持とうとしています。これまでもフィリピン、香港といった地を訪れ、今回のメンバーを中心とした仲間との時間を持たせて頂いています。日本からインドに来る、あるいはその逆にインドから日本に行くとなるとややハードルが上がってしまい簡単ではありませんが、日本とインドの中間国を利用することで今回の様に週末を利用しての行き来も不可能ではありません。 もちろん海外で人と会うためには、ある程度の旅費を捻出しなければいけませんし、いくら土日だけを利用するといっても移動のための時間や体力もそれなりに必要になってきます。私も金曜日の夜、空港でフライト搭乗直前まで仕事をしての慌ただしい出発となることもあり、さすがに手軽な旅というわけにはいきません。 しかしそれでも実際に異国の地で友人と会うという経験は他には代えがたい魅力があります。自分たちが住む場所を離れることで普段よりも意識、精神が開放され、また現地の文化からの刺激を受ける中での会話は自由かつ未来志向で大変刺激的です。そして、そうした会話から生まれてくる、生き方や働き方に関する多様な視点は今後の自分の方向性にとてもプラスの影響を与えてくれるような気がします。 例え週末という短い時間でも、異国にて仲間と一緒の時間を過ごす。これは人生を前向きに生きるにあたって、とても効果の高い投資であると実感しています。

傘を売る人

ムンバイは間もなく雨期(モンスーン)に入ろうとしています。まだ本格的な雨は降りだしていませんが、時折、夜などに短い時間ですが雨が降っています。12月末から5月までの間、ムンバイでは一度も雨を経験せずほぼ晴れの毎日でしたので、これからはどんな生活が待っているのだろうと最近はややドキドキしながら過ごしています。 そんなムンバイですが、先日街を歩いていたら初めて雨傘を売っている人を見つけました。今まで買い物に出かけても傘を売っている店を見たことがなかったので、ムンバイではどこで傘を買うのか不思議だったのですが、どうやら雨が降り出す頃になってはじめて傘の販売が始まるようです。正確には、雨が降り出して「から」ですかね。 この露天の雨傘売りを見て、実にインドらしいと感じてしまいました。 日本人の感覚としては、モンスーンが間もなく始まる前の例えば5月中には、念のため傘を準備しておきたい心理があると思います。しかし、そのタイミングではまだここでは傘は売られていません。実際に傘が売られるのは、本当に傘が必要になってから、つまり雨が一度降ってからなんですね。雨が降ったという事実をもって、実際に傘の販売が開始されるのです。 あえてシンプルに言えば、リスクを事前に想定して備えるのでなく、問題が起こってからそれに対応する、という考え方。あれが起きたらどうしよう、あれが無かったらどうしよう、なんて「たられば」の世界で事前にあれこれ心配するより、「問題が起きてから対処すればいいじゃないか」という潔さ。まさにインドという感じです。 果たして日本人である自分たちはどうなのでしょうね。国際的に見ると、日本人はリスクを想定し万が一に備えることに長けていると思います。その特長によって日本の製品やサービスの安全性や品質が高い次元で保たれているのでしょう。2011年の福島における原子力発電所の事例など、その安全神話が揺らぐこともありますが、総合的に見ればやはり日本のレベルは世界的には非常に高いことは間違いありません。そして、そうした資質は日本人として大切にすべきことです。 しかし一方で、インドのようなおおらかな精神の持ちようもまた人の生き方としては学ぶべき点が多いなあと思っています。実際に起きるかどうか分からない問題を心配して精神的に疲労するよりは、今確実に起こっていることに注力しそれに対処していく方が、気持ちの上では前向きになれそうですし、身軽に生きられそうな感じがします。もちろんそのためには、そうした「緩さ」を受け入れる社会の存在が前提になりますけれど。 何ごとバランスですが、異文化から学ぶべき点はやはり多いものです。