: India

ガネーシャ・チャテュルティ

ここ一週間ほどの間、ムンバイはなかなか騒々しい毎日でした。 先々週の土曜日から本日月曜日までの10日間、インドはガネーシャ・チャテュルティ (Ganesha Chaturthi) と呼ばれるガネーシャを祭り上げる祭典の中にありました。中でもムンバイはそれを盛大にやる都市であると聞きました。 僕もこの祭りのことはよく知らないのですが、この期間中、人々はガネーシャを持ち寄ってムンバイの海岸 (Chowpatty) に投げ込むということと、夜はダンスミュージックを大音響でかけながら街を練り歩くということは学びました。 ガネーシャといえば、象の顔をした有名なヒンズー教の神様ですが、ヒンズー教の最高神の一人であるシヴァとその妻パルバティーの子供として生まれました。父の顔を知らないガネーシャはパルバティーの頼みで家の見張りをしていたのですが、そこへシヴァが帰宅。父シヴァは家に入れまいとするガネーシャに怒り心頭し、首を切り落として遠くへ投げ捨ててしまいます。その後、それが自分の息子だとパルバティーから聞いたシヴァは首を探すのですが見つからず、代わりに象の首をガネーシャに据え付けました。そして、そのまま現在に至る、です。 すごい話です。 そのガネーシャですが、インドではすっかり人気者で、日本でいうところの招き猫のような商売繁盛の神様として崇められています。家々にはガネーシャが祀られ、タクシーに乗ればガネーシャのミニチュアがダッシュボードの上に置かれ、観光地に行けばガネーシャの置物が大量に売られています。シヴァよりも人気があるのは間違いありません。 どうやら今回のガネーシャ・チャテュルティは、そんなガネーシャを祀るお祭りのようなのです。 これは異文化体験としては非常に興味深いものなのですが、困ったことに、連日かなりの盛り上がりを見せてしまっていたのです。踊り好きのインド人。様々なガネーシャを載せたトラックと共に、道路に大音響のトランス・ミュージックをかけ、またバクチを鳴らしながら、夜の10時あるいは11時くらいまで外で踊りまくっていました。なかなかの近所迷惑です笑。それでも、まあインドだしね、の一言で全てが納得できてしまうのですが。 ようやく今晩でガネーシャ・チャテュルティも最終日を迎え、また明日から静かな夜が迎えられそうだとほっと一安心です。

インドにおけるモノづくりという話

モディ首相の来日に合わせ、連日、日印関係の強化に関する話題でニュースが盛り上がっています。その中で9月3日の日経朝刊に「インドでモノづくりを」という記事が掲載されていました。以下、同記事からの引用です。 モディ氏は約2000人の聴衆を前に「インドには低コストで質の高い労働力がある」と指摘、「メーク・イン・インディア(インドでものづくりを)」という政権が掲げるキーワードを繰り返した。特に中堅・中小企業の進出に期待を寄せ、「日本の中小企業は、インドの大企業と同程度の力を持っている」と述べた。 これを受けて、インドにおける日本流の「モノづくり」とは果たして可能なのだろうかと考えてみました。以下、あくまでも個人的な感覚や経験に基づく主観ですので、ご留意を。 そもそも日本流の「モノづくり」とは何なのでしょうか。 これに関しては既に多くの考察がなされているので、素人に近い僕が見解を述べられる立場ではないのですが、それを可能たらしめている重要な要素の一つとして、製造現場に蓄積された高度なスキルやノウハウが挙げられると思います。なかでも形式知化が困難な、現場に暗黙知として蓄積されたスキルやノウハウが非常に重要な役割を担っているのだと認識しています。 もちろん他にも、日本のモノづくりたらしめる要素は存在するはずですが、ここでは話を簡単にするために、そうした暗黙知的なスキルやノウハウの存在が日本のモノづくりの要件の一つであるとして、それに絞って話を進めたいと思います。 さて、こうした暗黙知的なスキルやノウハウは、その定義により、属人的な性質を持つはずです。属人的で暗黙知である以上、現場で働く方々が、中長期的な時間軸で習得し、また継承していくものだと思います。言い方を変えれば、その現場で働く方々が、中長期的な時間軸で、その現場に留まり続けることが前提条件になっているとも言えます。 ここで、インドにおける日本流のモノづくりについて考えてみると、その最大の課題は、雇用したインド人に中長期的な時間軸で現場に留まってもらい、暗黙知的なスキルやノウハウを十分に吸収し活用してもらうこと、ではないかと思っています。 私は他の新興国の事例を知らないのですが、ことインドの中間層においては離職率がどうやらとても高いのです。あくまでも僕の感覚によるものですが、ちゃんとデータを調べても、やはり高いのではと推測します。 例えば今インドで僕が住んでいるアパートは、常時交代で、受付にスタッフが在席しているのですが、このスタッフの皆さんの顔ぶれが毎月入れ替わるのです。おそらく全員で5から6名程度のスタッフが勤務しているはずですが、その顔ぶれがどんどん入れ替わる。本当にコロコロと仕事を変えてしまうのです。顔見知りになったなと思ったら、いつの間にかいなくなってまた新しいスタッフが常駐している。日本のアルバイトのスタッフの方がまだ長くいるんじゃないかと思うくらいの入れ替わり方です。 こうした事例はこちらに住んでいる他の日本人からもよく聞きますので、おそらくインド人の中間労働者層の就業観として、全般的にそうなのではと推測します(もちろん一定層以上のビジネスパーソンになるとまた話は別です)。つまり、少しでも今よりも条件が良い仕事が見つかればすぐに移ってしまう、あるいは今の仕事に少しでも不満があれば辞めてしまう、そんな印象を受けています。そしてこれはインドの製造現場でも同じような状況ではないかと想像します。 従って、日本企業が日本流のモノづくりをインドに移管しようとした時、大きな壁となってくるのがこの離職率の高さではないだろうかと思っています。せっかくスキルやノウハウを教育しても、それが身につく前に仕事を辞めてしまうリスクが非常に高いのではと思うのです。当然、それを防ぐために、他企業よりも給与面や待遇面を手厚くすることで、ある程度の離職は避けられると思います。しかし、良くも悪くも個人主義の強いインドの方々を見ているとそう話は単純ではないだろうなと、あくまで直感的にですが、感じています。 ただし、これまでも日本企業は中国や東南アジアに、日本流のモノづくりのあり方を広めてきた実績はあるわけですから、うまいやり方はあるのかもしれません。それらについては僕は具体的なストーリーを知っているわけではないのでコメントできませんが、これまでの他国への製造移管のノウハウを結集すれば、インドへの移管もできるのかもしれません。 そしてもちろんのことながら、これだけ文化が違うので、こうしたハードルが存在するのは当たり前のこと。その前提で、インドにおける製造の意味やあり方について吟味し、試行錯誤しながら、手探りでインドにおける日本のモノづくりを進めていけば良いのだと思います。 インドで製造するということは、コスト競争力やインド市場の獲得以上の意味が存在すると思います。具体的には、中東やアフリカといった更に西側の市場へのアクセスです。ムンバイに住んで実感していますが、こうした西側への拡がりが具体的にイメージできるのがインド(特にムンバイなどの西側の都市)なのです。そうした中長期的な視野で、インドをどう活用するのか、という部分が今後の面白いところかなと思います。

魔法のカレー

ムンバイに住むインド人の友人にランチに招待され彼の手作りカレーをご馳走になりました。彼とはムンバイに来たばかりの頃に、街で声をかけられて知り合った仲ですが、月に一回位の頻度で会い、ほぼ毎回、彼の手料理を頂いています。手料理といっても毎回カレーです。 彼はこのカレーをつくるにあたっては数時間以上の時間をかけるのですが、本人もそれなりに自身を持っているようで、実際にかなり美味しいです。スパイスが効いているので、日本人にはちょっと慣れが必要かもしれませんが、私がインドで日々食べるカレーの中でもその味はかなりの上位に位置します。 ヒンズー教徒とイスラム教徒が多いインドでは、ビーフやポークは一部の場所でしか食べられず、肉といえばまず最初に来るのがチキン。そしてたまにマトンです。インドで暮らすということは、基本的に肉はこのどちらかから選ぶのが基本になってきます。そして彼のカレーはいつもはチキンカレーなのですが、今日はマトンカレーでした。 魔法のカレーというと大げさですが、彼のカレーを食べた後は全くお腹が減りません。ランチと合わせてビールも一緒に頂いていることも影響していますが、夕方自宅に戻るとまずかなりの眠気に襲われます。そして睡魔に負けて仮眠を取ることになりますが、起きた後もお腹の満腹感は延々と続き、夕ご飯の時間になっても全く空腹感を感じません。 そこまで大量に食べているわけではないのです。少なくともボリュームとしては、自分の許容範囲内のはず。それでも食事後こうして何時間も満腹感が続くのは何故なのか不思議です。言い方を変えるとこれは胃もたれではないだろうか、とも思うのですが、とにかくお腹が減りません。 使っているスパイス(マサラ)が何か影響しているのか、あるいは単に油の量が多いのか、原因は不明ですが、不思議なカレーです。 ムンバイにいる間に彼のカレーのレシピを覚えて帰る予定ですが、これを日本でつくったらどんなリアクションになるのかなかなか楽しみではあります。

ムンバイピープル

昨晩デリーから戻り、今日は久しぶりに終日仕事もなく羽を伸ばしました。雨期のムンバイですが天候は穏やかにやや曇りの一日。せっかくなのでカメラを手に街へ。中央郵便局から世界遺産にも指定されている CST (Chhatrapati Shivaji Terminus) を経由し、そこからさらに海岸沿いのビーチへ行き、またまた移動して Bandra というムンバイやや北寄りのエリアへ。汗もたくさんかいて、リフレッシュできました。 それにしても、どこへ行っても、人、人、人のムンバイです。東京の新宿や渋谷も週末の人の波は相当だと思いますが、こちらも負けていないというか、勢いや騒々しさとしては明らかに一つ上の次元です。国全体の平均年齢は、日本の40代中盤に対し、インドはまだ20代ですし、物売りの声、クルマのクラクション、そしてこの時期のムンバイ特有の湿度の高い熱気が加わって、ものすごいエネルギーを感じます。 この圧倒的なばかりのエネルギーは、私が感じるインドならではの要素の一つで、インドを知らない日本の方にはぜひ一度経験してもらいたい!と常々思っているものです。 しかし一方で住居者としては、こうした中で日常を送るのは、なかなか大変な面もあります。これはあくまでも日本人としてということになりますが、一言で言えば、落ち着く場所がほとんど見つからないという感じなのです。日本であれば新宿や渋谷といえど、少し場所を選べばほっと一息ついて気を休められる本屋やカフェなどがあったりするものですが、ムンバイの場合、そうしたスポットがほとんどありません。 もともと私は休日は静かに読書をして過ごしたいような性格なのですが、ムンバイではどこにいてもザワザワした感じが続くので、なかなか気を休めるのが難しいのです。幸い今のムンバイの自宅が唯一そうした場所として機能してくれていますが、自宅以外に自分が落ち着ける場所がない、というのは長期滞在する上ではちょっと残念な点ではあります。 ・・・まだ人通りの少ない晴れた休日の朝、家を出て静かで落ち着いたカフェに。美味しいブラックコーヒーを飲みながら、お気に入りの本をじっくり読み物思いにふける・・・そんな日もあったなぁと遠い目になる今日このごろです笑。 せっかくの機会なので今日見てきたムンバイの様子を写真でご紹介しました。日本にも戦後、こんな時代があったのでしょうか。このエネルギーは先進国ではなかなか感じられません。

足がない

インドでの生活も半年を過ぎようとしていますが、今更ながら、足がないことに気が付きました。ちょっとした外出の時に手軽に使える移動手段がないのです。もう少し正確に言えば、タクシー以外に手軽に使える手段がありません。 ムンバイではタクシーやオートリキシャーでの移動が主たる交通手段になります。黄色と黒色のペイントがされた Black & Yellow Cab は市街地の至るところで捕まえられる気軽なタクシーですし、ちょっと郊外に出ればオートリキシャーが同様に利用可能です。しかしそれでも、ちょっとだけ、場所を点々として移動したいときには若干気をつかいます。というのは、特に朝夕の渋滞時間などはタクシードライバーは中距離以上でないと乗せてくれない(本当に乗車拒否される)ことが多いのと、加えて、あまりお釣りを持っていない(持っていても持っていないと言い張る)ので、細かいお金を常に用意しておかなければいけないからです。 現地インド人であればタクシードライバーとの交渉でうまく対応できるのでしょうが、タクシードライバーはあまり英語が流暢でないので私の場合は細かいやり取りができません。結果的に、ある程度の距離を乗るときには便利に使っているタクシーも、短距離では若干遠慮してしまい使いにくい印象を持ってしまっています。 ・・・余談ですが、このお釣りがない問題はタクシー以外でも時に起こり困ることがあります。先日、空港の KFC にて合計 300 Rs くらいのセットを注文して、1,000 Rs 札を出したのですが “No change” (お釣りはありません)と突っ返され、結局注文を諦めました・・・ やはりここはインド人に習ってひたすら歩くというのも手なのかもと思います。日中はかなり暑いので熱中症になりそうですが、インド人達は時に重い荷物を抱えながら道路脇を延々と黙々と歩いています。あるいはこちらでは主流の、日本の昭和初期に見られたようなクラシカルな自転車もまた一つの手段かもしれません。 タクシーだけですとどうしてもピンポイントの移動になってしまうので、その間を繋ぐ移動ができれば、もう少し日々の生活にも幅がでるかなと思っているところです。 なお、日本企業からインド支社に派遣されている日本人の方々には、専属のドライバーが付くことが多いようです。それも会社からの福利厚生のパッケージに入っているものだと思いますが、電話一本でどこにでも連れて行ってくれる様子を見ると、なかなか羨ましいなあと思います。

思考と習慣の格差社会

今週はずっとデリーに出張中です。 インドで働いていると、超優秀な人と、普通のインド人との間に立ちはだかる格差に時に呆然となることがあります。格差とは収入の格差ではなく(もちろん結果的にそうした格差にも繋がっているのですが)、思考だとか習慣といった、人としての振る舞いを大きく左右する部分の格差です。 今こちらでは、クライアントのオフィスと宿泊先のホテルとの往復は、ホテルのピックアップサービスを利用しています。朝はホテルのフロントからクルマを頼めばそのまま先方のオフィスまで連れて行ってくれるのですが、帰りはこちらからホテルに電話をしてピックアップをお願いしなくてはいけません。幸いホテルからオフィスは近いので夕方の交通ラッシュでも30分弱の距離です。 ここで問題が起こっています。ホテルからの迎えのクルマが到着しても、何の連絡もしてこないのです。先日はホテルにピックアップをお願いした後、1時間以上経っても連絡がないので電話してみたところ、30分以上外で待っていると言われました。 インドは時間によって交通状況がかなり変動するので、クルマの到着時間をこちらが読むことは難しく、到着が遅れるのは日常茶飯事。したがって、到着したら到着したと言ってもらわなければ、こちらは何らかの事情でまだ来ていないと捉えるのが基本なのです。 そこで、これではこちらも困るのでホテルにお願いを入れました。到着したらドライバーにその旨を連絡してくれるように徹底してほしいと。 そして次の日、また同じ問題が起こるのです。クルマをお願いしてしばらく待って連絡がないので確認してみたら、またしてもオフィスの前で待っていると言います。今回は昨日とは別のドライバーでしたが、ホテルに依頼した事項がきちんと共有されていないのか、もっと根本的に何かがおかしいのか分かりませんが、とにかく同じ問題を何度も繰り返しているのです。そもそも、ドライバーが少しだけ想像力を発揮できたなら、ピックアップの場所に到着して誰も来なければ依頼者に確認の電話を入れてみてもいいはずです。しかしそうした事は起こらず、ピックアップを依頼されたドライバーはピックアップの場所に移動後、ただ待っているのです。 こうした、お願いしたことが共有されず無かったことになる、あるいは、多少気を利かせればできるはずのことができない、という現象はインドではあちこちで見られます。そしてその度に、どうしようもない無力感を抱くのです。当然本人たちは悪気はなくマジメに仕事をしているのですが、マジメに仕事をしているにも関わらずこうした状況がかなりの頻度で起こるというのは、小さい頃からの思考習慣の積み重ねの問題であるとしか思えません。 インドでは私の周りの同僚もそうですが、優秀な層は舌を巻くほど超優秀です。しかし一方で、もはやどう理解すれば良いのか分からない社会層も存在しているのも事実。インドはこうした激しい思考や習慣の格差を内包しながら国として発展していかなければいけないのかと思うと、なぜか私まで気が遠くなる思いです(少なくとも日本が高度成長を遂げた際には、こうした課題はなかっただろうと思います)。 今後も世界で活躍していくインド人はどんどん増えていくと思います。しかし、インドという国がどう発展していくのか、果たして私にもまだまだ謎の部分です。

タフなインド人

今働いている出張先のオフィスはどうやらビル全体での電力供給力が不十分な様で、頻繁に停電が起こります。朝から夕方までの滞在中、昨日は4回、本日も2回の停電を経験しました。また、ムンバイで私が住んでいるアパートも時々停電が発生し、回復まで長い時で1時間以上かかったこともあります。 オフィスでの事務作業ならその影響は軽微ですが、インドへの工場進出を検討する外資系企業にとっては、インドの停電リスクは工場進出の判断の是非に影響を与える大きな懸念事項の一つのようです。 しかし当のインド人たちは停電にはすっかり慣れているようで、停電が起きてもまったく無反応のまま仕事を続けます。日本でしたら停電によって部屋が真っ暗になれば、動揺はしないまでも、ちょっと手が止まって状況を見守るような反応が出て当然ですが、こちらでは本当に何ごともなかったかのようにすべてがそのまま進行していきます。単に慣れの問題でしょうが、最初にその光景を見た時はなかなかタフだなあと感心してしまいました。 タフなインド人という観点でもう一つのエピソードをご紹介します。 インドでのビジネスパーソンにとっては、タクシー移動中にラップトップを開いて仕事をすることは珍しくありません。昨日の記事にも書いたとおり、渋滞の多いインドではタクシーでの移動に1時間以上かかることが多く、移動時間も仕事の稼働時間として組み込まなければいけない事情があるからです(余談ですがインドはタクシーが非常に安いので1時間乗っても1000円程度)。 それくらい日本でもやっている人はやっているよ、と思われるかもしれません。実際私も日本で働いていた時はそうした事もありました。 しかしここはインド。日本よりもずっと道路状況は悪く路面はデコボコしていますし(たまに穴が空いています)、運転マナーもそこまで良くないので急な加速、停止、追い抜きの連続です。つまりタクシーに乗っている間は、とにかく前後左右くわえて上下への揺れが続くのです。そうした状況でパソコンの文字を読もうものなら、数分で車酔いになってしまいます(なりました)。 それでも仕事ができるのがインド人ビジネスパーソンなのです。実際、先月まで一緒に働いていた同僚は、「慣れれば大丈夫」と平然とタクシーで仕事をしているようでした。 新興国であるインドでは、まだまだインフラの整備はこれからの課題です。上記に挙げたような電力事情あるいは道路事情以外にも、様々な部分に課題を抱えています。しかしそれでも、こちらの優秀なビジネスパーソン達はそれらをものともせず仕事をして成果を出しています。さらには流暢な英語を使い海外企業を相手にどんどんビジネスを展開しようとしています。こうした側面を見ていると、日本人として危機感を覚えるとともに、自分も負けずに頑張らなければとの思いを強くするのです。

電話会議の多いインドの仕事

シンガポールからムンバイに昨晩帰国したばかりですが、今朝の早い便でデリーに出張しています。5時過ぎに家を出て、7時のフライトで約2時間。9時ころにデリーに到着しました。週末から3日連続でのフライトはさすがに疲れますね・・・。 日本で働いていた時に比べると、インドでは電話会議を使ってのコミュニケーションがかなり増えました。 日本の場合は多くの大企業の本社機能が東京または大阪に集中しているため、プロジェクトメンバー同士が直接会えるような距離を維持することは難しくありません。一方、インドの場合、面積が日本の10倍の国土において、例えばデリー(インドの北)、ムンバイ(西)、バンガロール(南)、チェンナイ(南)とインド各地に都市が分散しています(ちなみにこれらの都市を移動する場合は飛行機で2時間から3時間弱)。加えてそれら中枢都市の周辺にも規模の大きい衛星都市が点在し、飛行場からさらにクルマで数時間の移動が必要といったケースも珍しくありません。更に加えると、朝夕は交通渋滞が激しいためより一層の移動時間が必要です。 こうした地理的環境のため、一度プロジェクトメンバーが他の都市へ出張すると、しばらくは顔を合わせることができません。例えば以前、私がムンバイで働き、プロジェクトのマネジャーがチェンナイで働いていた時などは、1ヶ月に2回しか顔を合わせることはできませんでした。 したがって結果的に日常の連絡や相談で電話を用いることが多くなります。複数拠点と同時に接続可能な電話会議システムを用いてのチーム内での議論も日常的に起こります。 日本語であれば全く問題ないのですが、英語がノンネイティブの私にとって、こちらでの電話会議は今でもちょっとしたチャレンジです。対面であれば理解できる会話も、電話となるとどうしても理解力が下がってしまうのです。携帯越しでノイズ混じりになる音質の問題も大きいですが、ジェスチャーなどのノンバーバルコミュニケーションが使えないことも要因だと思っています。電話会議での理解不足は仕事のアウトプットに大きな影響を与えてしまうので、一言も聞き漏らすまいと、今でもまだ緊張しながら会議に望んでいるのが現状です。 インドに来て以来、コミュニケーションの精度については常々課題でした。半年前に比べればかなり精度も上がってきているとの実感はありますが、自分のベンチマークである日本語でのコミュニケーション精度と比較すると、まだまだ改善が必要だと思っています。日本語と同水準のレベルはかなりの修練が必要ですが、改善のためには地道に場数を踏んでいくことが一番の近道だと思いますので、電話会議の多い今の環境をうまく活用しながら努力を続けたいと思います。

傘を売る人

ムンバイは間もなく雨期(モンスーン)に入ろうとしています。まだ本格的な雨は降りだしていませんが、時折、夜などに短い時間ですが雨が降っています。12月末から5月までの間、ムンバイでは一度も雨を経験せずほぼ晴れの毎日でしたので、これからはどんな生活が待っているのだろうと最近はややドキドキしながら過ごしています。 そんなムンバイですが、先日街を歩いていたら初めて雨傘を売っている人を見つけました。今まで買い物に出かけても傘を売っている店を見たことがなかったので、ムンバイではどこで傘を買うのか不思議だったのですが、どうやら雨が降り出す頃になってはじめて傘の販売が始まるようです。正確には、雨が降り出して「から」ですかね。 この露天の雨傘売りを見て、実にインドらしいと感じてしまいました。 日本人の感覚としては、モンスーンが間もなく始まる前の例えば5月中には、念のため傘を準備しておきたい心理があると思います。しかし、そのタイミングではまだここでは傘は売られていません。実際に傘が売られるのは、本当に傘が必要になってから、つまり雨が一度降ってからなんですね。雨が降ったという事実をもって、実際に傘の販売が開始されるのです。 あえてシンプルに言えば、リスクを事前に想定して備えるのでなく、問題が起こってからそれに対応する、という考え方。あれが起きたらどうしよう、あれが無かったらどうしよう、なんて「たられば」の世界で事前にあれこれ心配するより、「問題が起きてから対処すればいいじゃないか」という潔さ。まさにインドという感じです。 果たして日本人である自分たちはどうなのでしょうね。国際的に見ると、日本人はリスクを想定し万が一に備えることに長けていると思います。その特長によって日本の製品やサービスの安全性や品質が高い次元で保たれているのでしょう。2011年の福島における原子力発電所の事例など、その安全神話が揺らぐこともありますが、総合的に見ればやはり日本のレベルは世界的には非常に高いことは間違いありません。そして、そうした資質は日本人として大切にすべきことです。 しかし一方で、インドのようなおおらかな精神の持ちようもまた人の生き方としては学ぶべき点が多いなあと思っています。実際に起きるかどうか分からない問題を心配して精神的に疲労するよりは、今確実に起こっていることに注力しそれに対処していく方が、気持ちの上では前向きになれそうですし、身軽に生きられそうな感じがします。もちろんそのためには、そうした「緩さ」を受け入れる社会の存在が前提になりますけれど。 何ごとバランスですが、異文化から学ぶべき点はやはり多いものです。

インドでカメラを持ち歩くのはまだ慣れない

未だにインドでカメラをぶら下げて街を歩くのは慣れていません。一眼レフなど持ちだそうものなら、最初は緊張して周りの視線を伺ってしまいます。 インドでカメラを持ち歩いているのは、観光スポットで外国人相手の写真撮影サービスを提供しているインド人(カメラは商売道具)か、あるいはその観光スポットを訪れている外国人や裕福なインド人くらいです。一度観光スポットを離れ、日常の生活圏に入ると、カメラを見かけることはほとんどありません。 従って私がカメラを持ち歩いていると、見た目の違いも手伝ってかなり目立ってしまうのです。自意識過剰かもしれませんが、外国人でカメラという格好は観光客としか見えないようで、路上の物売りや物乞いからの熱い視線を浴びることになってしまいます。もちろん他人の目など気にしては生きていけないインドですから、私もある程度は開き直って好きにさせてもらうのですが、やはり根っこは周りの目を気にする日本人。どうしても緊張してしまうのです。 ところでインドでは普段の生活圏では本格的なカメラを見かけないと書きましたが、インド人は写真を撮らないのかというとそんなことはありません。例えば街中でのパレードや何らかのイベント時には、スマートフォンのカメラで写真を撮るインド人達をよく見かけます(共和国記念日に開催されたパレードではボリウッドスターが登場し大変盛り上がっていました)。 日本では一昔前であればコンパクトカメラが活躍していたシーンだと思いますが、インドの場合、コンパクトカメラ市場の立ち上がりよりも先にスマートフォンが普及してしまったようです。日本においてもコンパクトカメラの市場はどんどんスマートフォンに取って代わられている現状を考えると、この先インドでコンパクトカメラが普及することは難しいだろうなと思います。 そう考えると、ノートパソコンに対するタブレット、インフラの必要なリアル書店に対する電子書籍など、新興国ならではの市場の立ち上がり方が想定されるものは他にも色々とあり得そうですね。 冒頭の写真は Black & Yellow Cab から。乗り心地はイマイチですが、手軽に使える日常の足として活躍してくれています。ムンバイでは定番のタクシーです。