: 日本

片道切符

帰国日が決まり、国際線の片道切符を買いました。 昨年12月、僕は成田からムンバイまでの国際線の片道切符を買いインドでの生活をスタートしたわけですが、それから約一年が経ち、今回はそれを補う形でムンバイから成田までの片道切符を買ったことになります。 日本国内の電車での移動ならまだしも、国際線のフライトチケットで片道切符を買うというのはなかなか経験できるものではないと思います。その切符には、しばらく日本に帰らず海外で暮らすという決意が込められているわけですから。 一年前にインド行きの片道切符を買った時は、もちろん新しい生活への期待も高かったた一方、同時に不安も大きかったです。以前に観光者としてインドを訪れたことがあったとはいえ、長期滞在でしかも仕事をするとなると話は別。自分にどんな生活が待っているかなど想像できませんでした。そして実際に待っていた生活は、日本では経験できない「異常値」の経験ばかりでありましたが、その意味では、期待通り、想像通りだったとも言えます。 インドで一年過ごして自分の中で何が変わったのか、という質問をされたら何と答えようかなと考えていたのですが、今出てくる答えとしては、「自分が受け入れることのできる世界がずっと広くなった」ということかなと思っています。異常値に出会った時、それに反発したり無視するのではなく、それも世界のあり様の一つなのだと理解し受け入れられるようになったと思います(仮に納得出来ないとしても)。 同時に一種の安心感を覚えました。この地球には本当に色々な世界が存在していて、自分が生きていく場所はたくさんあるんだなという事が、体全体で理解できたような気がします。もちろんこれはインドで生きていくとかそういう直接的な意味ではないのですが、世界はとても多様で、色々なことを許容してくれるんだという事が信じられるようになりました。 インドでの学びについては今はこれ以上は書かないでおきますが、日本に戻った後、折にふれて何度も振り返っていきたいと思っています。 インドに住み始めてからも何度か日本に帰国しています。ただし、いずれの場合もチケット予約画面では “Return” にチェックし往復の日付を指定して買っていました。それが今回は “One way” にチェックしし片道の日付のみを指定。到着地はもちろん Tokyo です。予約が完了した時、そうか自分は日本に帰るのか、という実感が湧いてきました。 ムンバイでの生活に名残惜しさもありますが、やはり自分の国に帰るというこの感じはなかなか良いものです。今回の片道切符ですが、自分にとっては日本での生活に戻るというよりも、日本での「再スタート」のような感じがしています。

インドからの一時帰国。久しぶりに見た日本で考えたこと

実は10月末に一週間ほど日本に一時帰国していました。身内のプライベートなことでの帰国だったので誰にも言わずでしたが。ほとんど実家で過ごして、しかも平日は仕事もしていたのでほとんど外出していませんけれど、とにかく日本にいました。 それで、結論から言うと、日本はすごかったです。何だかすごい国でした。その話を書いておこうと思います。 ちなみにこれまでも今年に入って数回一時帰国しているんですが、いずれも週末だけの弾丸帰国で一週間くらい日本にいたのは今回がインドに来てから初めてです。 すごいよ日本 インドから日本へはデリー経由で成田空港に着いたんですけれど、久しぶりに ANA に乗ったんですね。これまでの弾丸帰国はより安い Air India を使っていました。ANA なので、機内の案内がヒンディーじゃなくて日本語で流れますし、おしぼりも出てきますし、オレンジ色の派手な色遣いじゃなくてブルー系統の落ち着いた雰囲気で、既にこの時点で「おかえりなさい」と言われている気がしました。 ただし一点だけ残念な点がありまして、僕はインド国内からの往復便を買ったのですが、何故かその予約サイトでは日本食を機内食として選択するオプションがなかったんです。それでヒンズーミールとかイスラム料理とか、そんなオプションしかなかったので、とりあえずヒンズーミールを選んでおいたんです。そうしたら飛行機の座席に座るなり、アテンダンスさんから「お客さま、ヒンズーミールを選択されていますが・・・」と明らかに日本人顔の僕を見ながら若干遠慮気味に確認されたので「それしかオプションがなかったんですが日本食に変更できますか」と聞いたら「あいにく余裕がございません・・・申し訳ありません」と即答されてしまったんです。 もちろんヒンズーミールを選んでしまった僕が悪いですし、できるだけ無駄を減らす企業努力として当然なので全く文句はないのですが、せっかくの ANA 便で日本に帰るという時に「ヒンズーミール」を食べた僕の気持ちが分かるでしょうか。それにこれは個人的な感想なんですけれど、ヒンズーミールに関して言えば ANA よりも Air India の方がスパイス具合などが一段上をいっているなと思いました。インドに1年弱住んだ成果として、それくらいの判断ができるようになりました。ですので、これをお読みの皆さんにお伝えしておくと、ヒンズーミールを機内食で食べたい方は ANA ではなくて Air India を選択いただければ間違いはないかと思います。Air India であれば、ベジタリアン向けかどうか (Veg / Non-Veg) も選択可能でより充実しています。 すみません。書きたかったのはこういう話ではなくて、日本はすごいよという話です。 成田空港に着いたのは日本時間のお昼すぎですが、成田エクスプレスで都内に移動して所用を済まし、そのまま夕方には北関東の実家に帰りました。その過程で僕が感動したり喜んでしまったことをメモっていたのですが、こんなことを感じていました。 あらためてすごいよ日本 成田へ着陸する時、緑に囲まれゴミひとつない整備された道路や家の並びをその機内の窓から見て感動しました。先日モディ首相が日本を訪れた際に日本のあまりに綺麗さにショックを受けたという話をインドの友人がしていましたが、僕も成田空港で既にショックを受けてしまいました。ムンバイですと空港の周りにはスラムが拡がっていて、それはそれで上空から見ると、ムンバイに帰ってきたなと思わせる風格がありますけれど、客観的に見てどちらが心地よいかというと日本の空港だと思います(注:ムンバイのスラムはネガティブなものではありません。詳細は文末のリンクからダラヴィ・スラムに行った際の記事をご覧ください)。 そして、飛行機で着陸した瞬間から僕の iPhone が 4G ネットワークに繋がってしまい、あまりの高速通信に驚愕してしまいました。10時間ぶりに Facebook を見たら、タイムラインが一瞬で表示されて、そこに載っている動画がグリグリ動いていました。ムンバイですと、空港に降りて繋がるのは EDGE で、これは 2.5G とか呼ばれていましたが、日本ですと10年くらい前によく使われていた規格です。Facebook を表示しようとすると iPhone で最初の画面が出るまで1分以上かかることもありますし、遅くて見るのを諦めることもあります。ムンバイの市内に行くとようやく 3G が使えますが、帯域が狭いのでやっぱり遅いです。 空港で成田エクスプレスに乗る前の時間調整としてスターバックスに行ったんですが、そこで座っているだけで顔がにやけました。まずコーヒーが美味しいですし、それなりの数の人が座っていましたが、皆さん静かです。オシャレな音楽を聞きながら落ち着いた空間でコーヒーを飲むだけで幸せでした。成田エクスプレスのチケットを買う時、自動化されたチケット販売機があって、しかも全てがちゃんと動作していて、列に並ぶだけで何の滞りもなくチケットを買うことが出来ました。感動。 もちろん電車の時刻は正確で、時間通りに電車が到着して時間通りに発車しました。電車の車内は清潔でゴミが落ちておらず、座席のリクライニングもちゃんと動作しました。以前 Air India に乗った時はリクライニングが壊れていて、アテンダンスの方に着陸だから元の位置に戻してと言われても戻せなかったので、自分で姿勢を正して戻ったように見せかけたことを思い出しました。 ANA でヒンズーミールを食べたことによって本来食べられたはずの日本食一回分を失ってしまったわけですが、都内についてようやく昼食として念願の日本食を食べました。その時に出てくるお冷が何の心配もなく飲めることに感動しました。というよりも最初は無意識に手を付けなかったんですが、そうか、これは飲めるんだと思って、飲めたのがうれしかったです。日本食については書きません。キリがありませんから笑。 インドにある自分の銀行口座に日本円を送金したかったのでシティバンクに寄りました。そうしたら何も言わないのにキレイなお姉さんが声をかけてきてくれて、送金の手続きについて詳しく教えてくれました。当たり前ですが日本語で。それでどれくらいの日数で送金できそうか聞いたら、いくつかの事例を教えてくれて大体これくらいかかりますねという話をしてくれたんですが、ちゃんと理路整然としていてどこまでがシティバンクの管轄でどこからが管轄外かも教えてくれました。サービス業の窓口ってこんなに丁寧だったっけ。 都内から実家のある駅に着いて、タクシーに乗って帰宅しようとしたのですが、タクシーの扉が勝手に開いて戸惑いました。ウソじゃなくて本当に最初は自分で開けようとしてしまったのです。タクシーの車内は清潔で、エアコンがちゃんと付いていて、サスペンションもしっかりしていて揺れないのが驚きでした。そして道路の静かなこと。ちゃんと平坦に舗装されていますし、クラクションが鳴らないですし、交差点には信号があってその通りにクルマが走っています。すごいなぁ。ベンツは静寂で全く揺れないなんて言われますけれど、いやいや、日本のタクシーも超高級車です。 日本で何が不満なの これらは全て、初日のたった半日だけのことですけれど、日本に帰国して僕が感動したことの一部です。できるだけ具体的に書いてみたんですけれど、少しでもその感動が伝わりますでしょうか。 それで思ったことなんですが、もちろん日本は素晴らしい、すごい、ということもそうですが、その裏返しとして日本のどこか不満なんだろう、ってことなんです。こんなに全てが完璧と思ってしまうくらいに環境が充実している日本に住んでいて、これ以上不満に感じなくてはいけないことって何なのでしょうか。こんなに素晴らしい環境にいながら、なおも満たされない日常があるとすれば、それは何が原因なのでしょうか。にも関わらず、日本では満たされずに精神的な苦悩を持つ人の数が少なくありません。何が悪いんでしょうか。 と言いつつも、僕も一年前は東京にいましたが、その時はこんなことは全く考えませんでした。漠然と日本の良さを理解しつつも、でもそれに対して幸せだなぁといちいち感動なんてしていません。それが当たり前のことですから。そして日本に戻って一年もすればこういう感動は忘れて、以前のように日々の出来事に不満を抱いてしまうかもしれません。 今回日本に帰ってみて、人の喜びや幸せは極めて相対的なものなのだと実感しました。今の環境(=インド)に慣れた自分にとっては、日本では当たり前のサービスを経験するだけで幸せと思ってしまいます。それはインドから見ると相対的に日本が圧倒的にすごいからです。しかし、日本に慣れてしまうと、その感動は薄れてしまい、さらに相対的にすごいものに出会わなければ感動できない。 常により良い物を、より良い環境を、というヒトとしての本能的な欲求があったからこそ、今の日本があるのだと思います。ただ難しいのは、絶対的な水準としてかなり高いレベルにある今の日本が、さらに「より良い」と思えるようなモノやコトを見つけ出すことの難易度が相当に上がってしまっているということです。日本を今より「すごく良くする」アイデアって何? と聞かれるとうまく答えられません。 それでも、その問いを見つけていかなきゃいけないなと思います。多分それはもはや単純な物質的な欲求に答えるだけの世界ではないでしょう。なぜなら物質的な部分は既に圧倒的に満たされているはずの日本ですら、人の不満や不安は消えていないからです。他の国に参考事例があるかというとあんまり無いような気がします。ヒントはあるかもしれませんがダイレクトな答えはないでしょう。日本が自ら手探りで答えを出さなくちゃいけないことだと思います。そして、人口が減る中、残された時間はあまりないかもしれません。 今回の記事では書いていませんが、日本にいる間の一週間、毎日感動がありました。別に特別なことではないです。日本人だったら当たり前のこと。でも海外(インド)に一年弱住むだけで、それが感動になっちゃうくらい、日本は素晴らしかったです。僕は今30代前半ですが、日本がもっと先に行くために、僕らの世代が頑張らないといけないんだろうなと思います。簡単な事じゃないですが、がんばりましょう。

秋の足音

最近 Facebook の投稿に度々新サンマの写真が登場するようになり笑、日本に秋が到来しつつあることを感じます。食欲の秋ですね。まだ少し早いですが、木々の彩りの移り変わりも美しい季節も近づいてきました。カフェで読書なんてのもいいですね。日本人として、「秋」という響きを聞くだけで色々なものが連想できます。 モンスーンが終わりつつあるムンバイは、青空が見える日も増えてきています。そして以前よりも太陽の光がより強く届き、夕日が建物をオレンジ色に照らすようになりました。といってもこちらは湿度が高いせいか、日本の秋空のような、透き通るような青や辺り一面が染まるような赤ではありませんけれど、それでも毎日どんよりとしていたこれまでの数ヶ月よりはずっと良いですね。 そんなことを考えながら以前撮った写真を見返していました。何気なく撮った写真ででも、今見返すと、うーむ、日本はいいなぁと改めて思うものばかり。 ムンバイは一年を通じて温暖な気候なので、モンスーン以外に自然を通じて季節を感じるものもがあまりありません。旬の食べ物も聞いたことがありませんし(きっとあるのでしょうが)、もちろん紅葉もありません。 僕がムンバイに生まれていたら(インドは広いのでムンバイに限定)、秋に対してどんなイメージを持っていたんだろうと思います。秋 (Autumn) という季節があることは知っている。夏の終わりと冬の始まりの間にあることは知っている。それは雨季が終わる時期で、そしてディワリ(インド最大のお祭)の時期だ。そんな感じなんでしょうか。 春には桜を愛で、夏には緑いっぱいの自然を満喫し、秋には紅葉を楽しみ、そして冬には雪が降る日本。いいですね。本当にいいなと思います。 別にホームシックになってるわけじゃありません、まだまだインドで頑張れますよ笑。

インドにおけるモノづくりという話

モディ首相の来日に合わせ、連日、日印関係の強化に関する話題でニュースが盛り上がっています。その中で9月3日の日経朝刊に「インドでモノづくりを」という記事が掲載されていました。以下、同記事からの引用です。 モディ氏は約2000人の聴衆を前に「インドには低コストで質の高い労働力がある」と指摘、「メーク・イン・インディア(インドでものづくりを)」という政権が掲げるキーワードを繰り返した。特に中堅・中小企業の進出に期待を寄せ、「日本の中小企業は、インドの大企業と同程度の力を持っている」と述べた。 これを受けて、インドにおける日本流の「モノづくり」とは果たして可能なのだろうかと考えてみました。以下、あくまでも個人的な感覚や経験に基づく主観ですので、ご留意を。 そもそも日本流の「モノづくり」とは何なのでしょうか。 これに関しては既に多くの考察がなされているので、素人に近い僕が見解を述べられる立場ではないのですが、それを可能たらしめている重要な要素の一つとして、製造現場に蓄積された高度なスキルやノウハウが挙げられると思います。なかでも形式知化が困難な、現場に暗黙知として蓄積されたスキルやノウハウが非常に重要な役割を担っているのだと認識しています。 もちろん他にも、日本のモノづくりたらしめる要素は存在するはずですが、ここでは話を簡単にするために、そうした暗黙知的なスキルやノウハウの存在が日本のモノづくりの要件の一つであるとして、それに絞って話を進めたいと思います。 さて、こうした暗黙知的なスキルやノウハウは、その定義により、属人的な性質を持つはずです。属人的で暗黙知である以上、現場で働く方々が、中長期的な時間軸で習得し、また継承していくものだと思います。言い方を変えれば、その現場で働く方々が、中長期的な時間軸で、その現場に留まり続けることが前提条件になっているとも言えます。 ここで、インドにおける日本流のモノづくりについて考えてみると、その最大の課題は、雇用したインド人に中長期的な時間軸で現場に留まってもらい、暗黙知的なスキルやノウハウを十分に吸収し活用してもらうこと、ではないかと思っています。 私は他の新興国の事例を知らないのですが、ことインドの中間層においては離職率がどうやらとても高いのです。あくまでも僕の感覚によるものですが、ちゃんとデータを調べても、やはり高いのではと推測します。 例えば今インドで僕が住んでいるアパートは、常時交代で、受付にスタッフが在席しているのですが、このスタッフの皆さんの顔ぶれが毎月入れ替わるのです。おそらく全員で5から6名程度のスタッフが勤務しているはずですが、その顔ぶれがどんどん入れ替わる。本当にコロコロと仕事を変えてしまうのです。顔見知りになったなと思ったら、いつの間にかいなくなってまた新しいスタッフが常駐している。日本のアルバイトのスタッフの方がまだ長くいるんじゃないかと思うくらいの入れ替わり方です。 こうした事例はこちらに住んでいる他の日本人からもよく聞きますので、おそらくインド人の中間労働者層の就業観として、全般的にそうなのではと推測します(もちろん一定層以上のビジネスパーソンになるとまた話は別です)。つまり、少しでも今よりも条件が良い仕事が見つかればすぐに移ってしまう、あるいは今の仕事に少しでも不満があれば辞めてしまう、そんな印象を受けています。そしてこれはインドの製造現場でも同じような状況ではないかと想像します。 従って、日本企業が日本流のモノづくりをインドに移管しようとした時、大きな壁となってくるのがこの離職率の高さではないだろうかと思っています。せっかくスキルやノウハウを教育しても、それが身につく前に仕事を辞めてしまうリスクが非常に高いのではと思うのです。当然、それを防ぐために、他企業よりも給与面や待遇面を手厚くすることで、ある程度の離職は避けられると思います。しかし、良くも悪くも個人主義の強いインドの方々を見ているとそう話は単純ではないだろうなと、あくまで直感的にですが、感じています。 ただし、これまでも日本企業は中国や東南アジアに、日本流のモノづくりのあり方を広めてきた実績はあるわけですから、うまいやり方はあるのかもしれません。それらについては僕は具体的なストーリーを知っているわけではないのでコメントできませんが、これまでの他国への製造移管のノウハウを結集すれば、インドへの移管もできるのかもしれません。 そしてもちろんのことながら、これだけ文化が違うので、こうしたハードルが存在するのは当たり前のこと。その前提で、インドにおける製造の意味やあり方について吟味し、試行錯誤しながら、手探りでインドにおける日本のモノづくりを進めていけば良いのだと思います。 インドで製造するということは、コスト競争力やインド市場の獲得以上の意味が存在すると思います。具体的には、中東やアフリカといった更に西側の市場へのアクセスです。ムンバイに住んで実感していますが、こうした西側への拡がりが具体的にイメージできるのがインド(特にムンバイなどの西側の都市)なのです。そうした中長期的な視野で、インドをどう活用するのか、という部分が今後の面白いところかなと思います。

日本代表 背番号なし

これまで何度か書いてきていますが、僕の生活圏では日本人は僕一人です。勤務先のオフィスはもちろん、仕事でお会いするお客さんもほぼインド人で、たまに欧米からの出張者がいらっしゃる程度。私生活でも、月に一回程度の日本人会の若手の皆さんとの交流会を除けば、インド人社会の中で毎日を過ごしています。 こうした環境で過ごしていると、自分は日本を代表している、という意識が自然と強くなります。もちろん日本代表と言っても、オリンピック選手やワールドカップ選手のそれと比べれば全然ちっぽけなものですが、それでも、僕が仕事や私生活で普段接する多くのインド人にとっては「僕イコール日本人なんだ」と意識させられるのです。彼らにとっては、僕の振る舞いは、僕という個人の振る舞いであると同時に、日本人の振る舞いでもあるんです。 例えば、仕事のプロジェクトで一緒になったメンバーと雑談をすると、よく「日本の XX はどうなんだ」「こういう時、日本人はどう考えるんだ」という質問を受けます。あるいは、僕の振る舞いを見て「日本人は丁寧だな」といった感想を持たれたり、「日本人はきっちり仕事をするから、お前もちゃんとこの仕事をしてくれると思う」といった期待を持たれたりするのです。 彼らは、僕という個人を見て、その延長線上に日本人を見ている。そう強く意識させられます。 今日までインドで生活していて、インド人が持っている日本そして日本人の印象は総じて大変良いものであると感じています。 ほとんどのインド人は日本に行ったことはありませんし、直接日本人と接する機会もほとんどありません。したがって、メディアの情報を通じて受ける印象がベースになっているのだと思いますが、日本や日本人に対して、ある種の尊敬の念といったものを抱いてもらっていると感じます。全てではないにしろ、日本の文化、精神、技術、サービスといった様々な日本の資産を評価してもらっていると感じます。 僕という個人を通じて日本が見られているのだとすれば、こうした日本のブランドや品位を損なうことがあってはならないと思っています。自分が至らないことも少なくありませんが、少なくとも意識の上では、その責任を果たせるように考え、発言し、行動しなくてはいけないと思っています。 僕の仕事のやり方、人との接し方、日本という国に対する視座のあり方から、街中でのちょっとした振る舞い方やゴミの捨て方まで、そういった言動の端々に、日本人としての意識や健全な誇りを持ちたいと思っています。 背番号はなくとも僕は日本代表なんだ、そう思いたいのです。 インドに来て以来、グローバル人材とは、という問いについて度々考えることがあります。その一つの答えとして、母国の国旗を背負えること、というのはあり得るのかなと思っています。 もちろん語学力を含めたスキル的な部分や、特定分野における専門性といった実践的な要素は当然重要だと思います。それでも、非常に曖昧ですが、自分の国の国旗を背負って他国の人間と付き合える意識とそれ相応の言動が取れることって、より本質的に大切な要素はないかなと思うんです。 そう考えると、僕はまだまだ未熟者ですが、地道に頑張っていきます。

それでも何か書き残しておきたい

前回の記事の更新が3月末でしたので、2ヶ月以上の空白期間を経て、こちらの記事を書いているところです。こちらでの仕事が忙しくなったのも理由の一つですが、加えて、このブログの立ち位置というかあり方について自分の中でうまく整理ができず、筆が止まってしまっていました。 この2ヶ月ほどの間に起こった事というと、インドでは複数のプロジェクトを経験し、週末を利用して日本の友人たちと東南アジアを中心としたいくつかの国を視察し、また久しぶりに短期間ながらも日本への一時帰国を果たしました。ブログの更新は止まっていたものの、充実した時間を過ごせていたように思います。 既に6月に入り海外生活も半年になろうとしています。まだ半年と言うべきか、もう半年と言うべきか難しいところですが、半年前の自分と今の自分とを比べ明らかに変わったことといえば、自分が日本人であることが強く意識されるようになった事ではないかと思います。インドという異国の地で生活し仕事をするため、その土地の人々の世界観や価値観をできるだけ理解しようと努めれば努めるほどに、日本人である自分が持っている世界観や価値観との違いが浮かび上がってきました。 例えば、「自分が発する言葉」に対する意味合いの違いといったものも、日本とここインドでは随分と違うものです。日本は自分の言葉に対する責任感が強い一方、それに引きづられる傾向がある(武士に二言はないの世界)。しかしインドでは状況が変われば自分の発言もリセットし新しい枠組みを構築できるような柔軟性を感じます。 こうした文化や社会における価値観や世界観の違いという視点を持って、インド以外の国を訪れてみると、やはり同じような気付きや発見があります。日本に生まれ育ってきた結果自分の体に染み込んでいる様々な「日本的なもの」が日本を離れることによって初めて明確に意識できるようになったのかもしれません。 加えて面白いのは、日本へ一時帰国をしてみても、以前は当たり前のものとして気付かなかった「日本的なもの」の存在をあちこちに感じることです。海外で暮らすという経験が、それらに対する感度を上げたのではないかと思っています。 まとまりの話になりましたが、冒頭に書いたこのブログのあり方については、自分でもまだどういう方向性に持って行きたいのかは明確に分かっていません。ただしブログのタイトル Phoword に “Moving forward through photos and words” という意味を込めた様に、写真と言葉で世界を切り拓くという軸はブラさず、自分の思考を残しておきたいと思っています。