: India

New Delhi に出張

先々週から先週末まで、約2週間、New Delhi に出張していました。Mumbai からは飛行機で約2時間です。インド北部に位置する New Delhi はやや涼しくまた小雨が降るなど、Mumbai とはまた違った気候で、インドという国の広さを感じさせました。 New Delhi といっても、出張していたのは正確には New Delhi 中心部から南西に30キロほどのところにある Gurgaon (グルガオン)という街。 実際に、インドに拠点を置く外資系企業の多くは New Delhi をインド本社所在地として選択しますが、ここ Gurgaon に拠点を置くケースが大半の様です。Wikipedia によるとフォーチュン 500 企業のうち半数が Gurgaon に本社を設置とのこと。 [Wikipedia] 歴史的背景はきちんと調べていませんが、New Delhi 中心部は主にインド府関ならびに各国政府の関係機関で一等地が専有されており、歴史のある街なので再開発するということも難しく、New Delhi に近い Gurgaon が新たな経済活動の中心として発展したのではないかと思います。 特に Gurgaon にある DLF Cyber City という商業地区には、私の会社のオフィスも含め、多くの外資系企業が集結している様でした。外から会社のロゴを見るだけでもグローバル企業の名前があちこちに見られ、ここがインドの経済活動の最大拠点の一つであることが伺われます。また、企業のオフィスだけでなくレストラン等の商業施設も併設されており、このエリアだけで相当な経済活動が行われているのではないかと思われます。 しかしながら、Gurgaon に限った話ではありませんが、やはり朝の交通渋滞はかなりのレベルでした。例えば私の滞在しているホテルからオフィスまでは空いている時間であれば、タクシーで 10-15分程度の距離なのですが、朝9時から10時台となるとそれが 30分から45分という時間になってしまいます。 インドでは New Delhi、Gurgaon、Mumbai といった大都市においても、幹線道路の数がまだ十分ではない様で、通勤帰宅時は大量のクルマがその道路に集結します。加えて幹線道路の所々に工事中の箇所や他の幹線道路との合流地点など、抜けの悪い場所が存在するため、朝夕は一気に流れが悪くなってしまう様なのです。実際、私が今回一緒に仕事をしたインド人の上司は New Delhi から毎朝タクシーで来ているようですが、長い時は2時間近くかかるとのことでした。 さて、New Delhi (Gurgaon) での仕事は短期間ではあったものの、なかなかタフで、連日ホテルで深夜まで仕事が続いたのですが、プロジェクトとしてはインドという国をマクロな視点で捉えることができる良い機会となりました。これについての学びはまた日を改めてご紹介できればと思います。

それでもまだ自分の強みだと思えるもの

既にインドでの生活を初めて2ヶ月半近くになり、一年の5分の1程が経過したと思うと時間の流れの早さを感じずにはいられません。 ここでの生活も随分と慣れてきたのですが、それでも未だに苦労しているのは仕事におけるインド人の上司、同僚とのコミュニケーションです。もちろんインド人独特の英語の訛りや表現の理解に苦労するということもあるのですが、まだ彼らと対等な議論をするまでに自分の英語のスキルが至っていないということも日々痛感しています。さらに携帯電話越しで(つまり電話会議形式で)議論することも少なくないため、これもまた理解不足を加速している状況。 根底にあるスキル不足、訛りや表現への不慣れ、ノイズ混じりの電話会議の三重苦といった状況で、会話内容の的確な理解と意志の伝達はここでの最大のチャレンジになっています。どうしても日本で働いていた頃の自分のパフォーマンスと比べてしまうので、自分の至らなさに肩を落として自宅に戻る日も少なくありません(というより、ほとんど毎日かも)。 こればかりは今日明日の劇的な改善は望めないので、より一段の語彙力のレベルアップ、表現力のレベルアップ等々を目指し、改めて日常的に英語学習の時間を確保しているところです。 一方でそういった状況においても、むしろ、そういった状況であるからこそ、自分の強みだと認識してもいいのだろうな、と思える部分も見えてきています。 私の場合は、ある課題に対する論理的なアプローチ、その検証のための定量的あるいは定性的な解析、そして最終結果の構造的な表現能力については、ここインドの同僚たちに少なくとも負けはしないとの感覚を持ち始めています。そして、まだ場数が少ないものの、場合によっては自分も十分に戦えると感じられる事もあるのではないかと思います(勝つ負けるという表現は適切ではないかもしれませんが)。 つまり、その仕事のコンテキストや論点を一度理解し咀嚼できれば、そこから先は自分のスキルで価値のあるアウトプットを出していけるという手応えをおぼろげながらも得られつつあります。 インドで働き始めた当初は、自分が拠って立つものが何であるのかの全くの実感もないままに仕事が始まりました。そして、ようやく2ヶ月ほどの期間を経て、足場として自分がすがれるものが多少なりとも見つかったような気がします。まだ心細いとはいえ、異国の地で自分の立ち位置を認識するための材料としてはとても意味の大きいところだと思います。 自分に少しでもできることは何なのか、自問自答を重ねながら、目下の課題であるコミュニケーションスキルのテコ入れ、レベルアップを目指していきます。ここが少なくとも平均値レベルでできるようになれば、また更に見えてくる世界も拡がるだろうと思います。

インド人家族のディナーにご招待されて

3月に入りましたが、ムンバイは日中の最高気温が既に30度を超え、まもなく本格的な夏を迎えそうです。 昨日(土曜日)はこちらで知り合ったインド人 K にご招待頂き、彼のご両親がムンバイに来るタイミングでディナーをご一緒する機会を得ることが出来ました(写真の人物とは無関係)。 K との出会いは1月中旬。ムンバイマラソンを直前に控えた週末に足慣らしのため新しく買ったシューズを履いていたのですが、たまたま街中で「いい靴だね」と声をかけられたのです。彼もちょうどマラソンを走るということで話が盛り上がり、連絡先を交換したのでした。 その後、しばらく連絡を取らずにいたのですが、ちょうど先週末に再開し食事を取る機会があり、今回のご家族ディナーへのご招待へと発展。 K は今はムンバイのコラバにある観光ガイドショップで働いているのですが、もともとはインドの北にあるパンジャブ州 (Punjab) の出身。もともとは一つの州だったのですが、イギリスからの独立の際、パキスタンとインドとに別れてしまった地域です。 彼のご両親は今もパンジャブに住んでおり、なんと今回は電車で36時間もの長旅をしてムンバイまでいらっしゃったとのこと。ムンバイ郊外にあるご親戚の家で一週間ほど過ごす予定だそうです。 もともと少人数でのささやかなディナーを想定していたのですが、実際は K のご両親、ご親戚と合わせて総勢で10名以上が参加するかなり賑やかな場となりました。そういった場に日本人の自分が一人居合わせるのもとても不思議だったのですが、皆さんには暖かく迎えて頂き感謝。といっても会話は基本的にヒンディーですし、K 以外で英語が通じる方は数名でしたので私はほとんど会話の内容は理解できなかったのですが、十分にインド家族のディナーの雰囲気を楽しませて頂きました。 インド人は宗教や出身地で食生活が違うのですが、皆さんノン・ベジタリアンでお酒も飲まれる方々だったので、私も普段通りに食事を頂きました。こう書くとインド人の家庭料理を食べたように思われるかもしれませんが、すべてメイドさんが料理していました(インド都市部の中流家庭ではメイドさんを雇うのはほぼ当たり前のようなのです)。 食事の後は、誰が言い出すまでもなく、音楽が鳴り出し家族一同で踊りがスタート。やっぱりインドだなあと思う瞬間ですね。私もちょっとだけ参加させて頂きました笑。 ところで話はそれますが、インド人は踊り好きかというと間違いなく踊り好きだと言えそうです。 週末のインド人の若者の遊び方といえばクラブに行って踊ることですし、先月まで宿泊していたホテルでの結婚式もやはり音楽が流れ参加者が汗をかいて踊っている様子をよく見かけました。ムンバイマラソンの際もコース脇では色々な団体が踊りながらランナーを応援していました。そして今回の親戚一同でのディナー後のダンス。 こうしたインドならではのダンス文化は果たしていつ頃から存在するのか、そしてインド全体で共通のものなのか、とても興味深いですね。とにかくインドでのソーシャライズではダンスは不可欠である様に思われます。 夜遅くまで楽しい時間を過ごさせて頂き、郊外から自宅に戻ったのは夜中の1時頃。普段お付き合いのあるコミュニティではなかなか得ることの出来ない貴重な経験をさせて頂きました。 観光ガイドである K との出会いで、今後もディープな経験が色々と出来そうな予感です。出会いに感謝。

インドに日本人はどれくらい住んでいるのか

ムンバイに住んでいると普段の生活圏で日本人の方をお見かけするのは非常に稀で、こちらの日本人会関連のイベントに足を運んで、ようやく日本人の方とお会いできるというのが現状です。そこで実際にインドにどれくらいの邦人が住んでいるのか気になり外務省の統計を参照してみました。良い機会ですのでインド以外の状況も少し見ています。 以下は海外全体における海外在留邦人数の推移となります(海外在留邦人は、永住者を含めた3ヶ月以上の長期滞在者で、短期出張者は含まれません)。 2012年で120万人を超える方が海外に住んでいますので、国民100人に1人が海外に住んでいるという計算。しかも日本人の総人口は既に減少傾向に入っている中、海外在留邦人は過去5年間で13万人増加しています。国内から海外へという傾向はデータとしても明らかですね。 国別に見てみると、トップ5はアメリカ、中国、オーストラリア、イギリス、カナダ。この5カ国で合計77万人と、全体120万人の6割近くを占めています。 インドはというと7,000人で国別では23位。全体の1%にも満たない割合でした。加えて、私が親しくしている友人たちが住む国であるシンガポール(11位)、マレーシア(12位)、ベトナム(19位)、ミャンマー(59位)も比較しています。 国民の人口ベースではインドは中国に次ぐ世界第2位の国ですが、日本にとってはまだまだ圧倒的に「遠い」国であることが分かります。 一方で、これらの国の邦人数の2010年から2012年までの総数の増加率を比較してみたものが以下となります。 マレーシアはこの2年間で2倍、ベトナムは1.3倍、インドは1.6倍、ミャンマーは1.2倍と、少なくとも増加率という点では上位5カ国に比べ勢いを感じますね(インドは2010年時点で4,500人だったのが2012年で7,000人)。絶対数ベースではまだまだですが、日本にとっての重点国の多様化、シフトを感じるデータです。 ちなみに同資料によると、2011年から2012年での総数増加率の上位5カ国は、マレーシア、インド、カンボジア、ベトナム、フランスとのことでした。フランスが入っているのは意外というか違和感がありますが、単年なのでたまたまランクインしたのかもしれません。 さて、インド国内での日本人の分布はというと以下の様になります。データはそれぞれの都市にある大使館、総領事館が担当する「地域別」での統計になりますが、住居者は各都市に集中しているはずなので、ほぼイコール各都市に住む邦人数と見てよいかと。 圧倒的にニューデリーに集中しており、ムンバイはまだ1,000人程度です。ムンバイでは日本食材の入手がほぼ絶望的なのですが、この規模を考えれば仕方のない事かと思います。 さて、ここで冒頭の「日本人に会わない」というところに戻ると、ムンバイの人口は 1,200万人と言われていますので単純に計算すると日本人は1万人に1人もいないということになります。となると、やはり偶然に出会うというのはなかなか難しそうですね。

ヒンディーを学びます

先週末から英語に並びインドの公用語であるヒンディー (Hindi) を学び始めました。 インドは多数の言語が混在する国で、地域によって話される言語が全く異なるのですが、ヒンディーはというと、本来は北インド地方で広く使われている言語になります。ニューデリーやタージマハルで有名なアグラなどがある地域ですね。 一方で私が住んでいるマハラシュトラ州ではマラーティー (Marathi) が本来のローカル言語といえるのですが、さすがに公用語のヒンディーはムンバイのような都市では普通に通用する様です。 ご参考: http://www.mapsofindia.com/culture/indian-languages.html (余談ですがその他言語性ゆえに、インドでは公用語 (Official language) は存在しても、国語 (National language) は存在しません。) 私がヒンディーを学ぶという事について、知的好奇心以外に実用的な意味があるとすれば、インド人の皆さんとより親密な関係を築きやすくなるであろう事と、英語が通じない現地の人々とも会話できる事、そして、ヒンディー訛りの英語を聞き取りやすくなる事ではないかと思います。 関連する話として、インドではどれくらいの人が英語を話すのかという点は興味があることかと思います。 Wikipedia によれば、「1991年の国勢調査によると、178,598人(調査対象者の0.021%)が英語を母語にしており、9000万人以上(同11%)が英語を第一、第二、ないし第三の言語として話すとしている。」とありますが、20年前のデータなので今はその割合はさらに増えているでしょう。 私がインドで生活する中での感覚としては、大企業に努めるインド人であればほぼ全員が流暢な英語を話し、街中で外国人も活用するショップやレストラン、ホテルなどの従業員も会話するに全く困らないレベルの英語を話します。それ以外で私がよく利用するタクシーの場合は、ドライバー次第ですが、平均値としてはカタコトで行き先を伝えるには支障のない水準といった感じです。 それにしても、一定水準以上のインド人が話す英語は(訛りはあるにしても)とても流暢で尊敬するばかりです。幼い頃から英語で教育を受け、考え、議論してきた賜物でしょうね。彼らの英語を聞いていると自分の未熟さがより明確になりますし、もっと英語も使えるようにならなければとの想いが一層強くなります。 日本では、英語を話す以前にまずは母国語がきちんと使えるようになるべき。英語を話せても、思考が浅ければ仕事はできない。という議論も多く聞かれるところです。その主張に対し私は全く異論はないのですが、そうは言ってもやはり英語が使えるということのメリットはとても大きいし、その逆の場合のデメリットも大きいなと、ここインドで生活していて強く感じています。 英語が話せるインド人は、海外の情報を貪欲に取り入れ、さらには国境を軽々と超えて世界に出て行きますし、逆に英語が通じるインドには他国からも色々な人々が観光に仕事に訪れています。ヒンディーが全く使えない私も、英語が通じるという恩恵にあずかっています。もしここインドで英語を使える人が限られていたらとても暮らしていけそうにありません。 やはり英語は世界標準言語であって、それが使えるかどうかで見えてくる世界は全く変わってくるのだと思います。日本語は素晴らしい言葉ですし、英語よりもまずは正しい日本語をというのも当然ですが、だからといって英語を後回しにして良いのかと言うと、とてもそうは思えないというのが正直な気持ちです。 正しい日本語を使うことと、一定レベル以上の英語を使うことと、どちらが先かというのではなく、どちらも力を入れなくてはならないのだと思います。 (後半は表題とあまり関係のない話になってしまいました)

より強い主体性が求められるインド

週末、ようやくホテル暮らしが終わり正式な住まいへの引っ越しを終えました。アパートを見つけてからほぼ一ヶ月。平均的には2週間位で済むようなのですが、契約書の締結にあたって複数の関係者の間での最終調整にかなりの時間を要してしまいました。 その間、仕事と並行しながら、携帯電話、銀行口座、クレジットカードの契約も進めてきたわけですが、ここでは日本で暮らしている時よりも主体性がより強く求められるということを実感しています。 例えば日本では、クレジットカードを持ちたければ、発行会社に対し決められた手続きで申請を行えば、ほぼ何もすることなくカードが発行されます。申請内容に問題がなければ誰が申請しようともほぼ同じ期間で発行されますし、何か問題があれば問題がある旨についてカード会社から迅速に連絡が入り対応を促してくれます。 つまり、一度申請してしまえば、可能な限り最短のルートで先方が正しく処理してくれることを信じることができるわけです。 ところがインドでは、申請した後にその申請内容が正しく受理され手続きが進んでいるかどうか、申請者が主体的にフォローしながら必要があれば介入していくことが求められる様です。 例えば私の場合、クレジットカードの申請をしたものの1週間以上音沙汰がなく、問い合わせてみたところ、ほとんど何も進んでいなかったという状況を経験しました(実際に何も進んでいなかった証拠はありませんが、やり取りから推測するに、そうであったと思われます)。早く発行して欲しい旨を明確に伝えたところ、数日後にカードは発行されました。 もちろん放置していても一定期間後にカードが発行されたことは間違いないでしょうが、速やかに発行してほしいと思うならばその旨を伝えない限り、迅速な発行は保証されないのだと感じました。 今回1ヶ月の期間を要した住居の契約にしても、初期の段階から私がより細かくフォローしていればより短期間で事が進んだのではないかと思っています。住居を選定し契約をスタートしてからの1、2週間の間は、私も相手に任せただ待ってしまっていたのですが、遅々として進まない状況にさすがに焦り、入居希望日を何度も伝えた始めた頃から処理のスピードが加速していきました。 日本での暮らしに慣れている身としては、身の回りの物事の進捗に常に気を配りながら時に介入していくことは、なかなか疲れるところではあります。しかし、これがインドという社会で生きていく時に求められる基本姿勢なのだろうと思います。 言い方を変えれば、自分で責任をもって主体的に関与していかなければならない範囲が日本よりもインドのほうが広いということでしょう。これだけ多様な人々がいる国ですから、それも当然のことだろうと思います。 上記はあくまでも生活に直結した事例でしたが、仕事をする上でもその姿勢が求められることは容易に想像できますし、インド人たちはそれを当然の姿勢として日々発揮していくのだろうと思います。 そして結果的には、こうした環境で生きていくことで、「強い個」としての成長があるのではないかとも思っています。先日マイクロソフトの次期 CEO にインド育ちのインド人である Satya Nadella 氏が選ばれた様に、世界的に活躍するインド人が多い背景にはこうした環境要因もあるのではないでしょうか。 私もこうした環境の中で過ごすことで、少しでも成長していければと考えています。

生き方を定められた人々は何を見るのか

実際の事実関係はまだ未確認ですが、おそらくインドで生まれた大半の人々は生まれた瞬間に自身の生き方の多くが決まってしまっているのではないかと思われます。 カースト制度そのものが廃止されたわけではありませんし、それによる差別が法律で禁止されたとはいえ、企業に就職する際には何らかの形で自身の所属するカーストの影響を強く受けると言われています。 カーストの縛りを受けないためには、例えば IT 産業などカーストで規定されない新しい産業の職に就くという手段があると聞きますが、そのためには一定の専門知識、スキルを身につけなければ難しい話であるとすれば、そもそもそういったチャンスを掴める人は、インド人のなかでどれだけいるのだろうと思うのです。 多くの人は生まれた土地で、血筋が決めた仕事に就き、一生の仕事として続けていくのではないかと思っています。 先日、ムンバイに友人の上田さんがお越しくださった時、ぜひご案内したかった場所がありました。Mahalaxmi Dhobi Ghat と呼ばれる大洗濯場です。ここはそういったインド人の生き方を強く印象づけてくれる場所であると思ったからです。 Dhobi とはこちらでは washerman つまり洗濯屋さんのこと。Ghat とは川沿いに設置された階段上の場所を指します。よって Dhobi Ghat とは本来は川沿いで洗濯を仕事としていた人々を指す言葉なのでしょう。 Mahalaxmi Dhobi Ghat には川が流れているというわけではないのですが、言葉としてはそういった背景になります。 ここではムンバイ中から集めた衣類を一斉に洗濯し、乾燥し、アイロンをかけ、依頼元に配達するという一連の洗濯に関わる仕事が、膨大な数の人によって行われています。 案内してくれたインド人によれば、その数は全体にして1万人と言っていました。数を誇張する傾向のある彼らですので鵜呑みにはできませんが、少なくとも数千という単位の人がこの場所で洗濯の仕事に携わっているのではないかと思います。 広大なエリアの中には、昔ながらの手作業による洗濯を行う場所だけでなく、大型の洗濯機も設置されていました。奥にはアイロンをかける場所も。平行して住居と思われる建物も点在しており、ここに住みながら洗濯という仕事をしているのだと分かります。 朝起きた瞬間から寝るまで、この世界の中で生きている。 日本で生まれた僕は、子供の時から将来は何になりたいのかという質問を受けて育ち、大学に進学する時は何を学びたいのかと問われ、就職する時はどんな仕事がしたいのかと問われてきました。 仕事だけでなく、住む場所や付き合いたい人たち、といったことにも一定の自由が与えられてきました。そして今は、ムンバイに住み働くという自由を享受しています。 一方で、この Mahalaxmi Dhobi Ghat で生まれ育った彼らは何を見て生きているのでしょうか。 彼らには彼らの世界観があり、価値観が存在するわけで、僕のそれとの単純な比較はできません。お互いの世界を知らない以上、どちらが幸せかどうかという議論もできません。自由には自由なりの難しさや辛さもあると思いますし、制約された環境で見出すことのできる安心感もあるだろうと思います。 よって、ここで何らかの結論を出すということはできません。しかし、僕が生きてきた世界観とのあまりの違いを前にして、彼らの目に映っている世界とはどのようなものなのかと、ただ強い関心を覚えています。 p.s. 写真に映っているおじさんですが、写真を撮らせて頂いた後のニコリと笑った表情が印象的でした。

混沌の中にある秩序

早いものでインド・ムンバイでの生活も一月が経過。 この週末には嬉しい出来事が。わざわざシンガポール在住の友人である上田さんが訪れてくれました。さすがのフットワークの軽さで、金曜日午前中にチケットを購入し、翌日の土曜日にムンバイ入りというスピード感。僕にとっては初めてのインドへの来客となりました。どうもありがとうございました。 たった土曜日1日という限られた時間でいかにインドを感じてもらえるか考えコースを検討してみましたが、一定の面白い経験はご提供できた様で一安心。お陰さまで、インドを感じるムンバイ観光のモデルコースのイメージを持つことも出来ました。 さて、たったの一ヶ月、しかも最大規模の経済都市ムンバイという限定された地での経験という前提ではあるものの、この国では混沌と秩序とが絶妙に調和しているような印象を受けています。 まず、初めにインドの地を踏まれる多くの方は、この国の混沌とした有り様に強い刺激を受けるのではないでしょうか。 空港を出た瞬間のタクシードライバー達の強烈な眼差しと客引き。ホテルに向かう道程における渋滞とけたたましいクラクション。その中を縫うように横断していく歩行者たち。観光地に出向けば、厚かましい物売りや物乞いする女性や子供がいる一方で、デジタル一眼レフカメラを首に下げ記念写真を撮る裕福層。街中に多く存在するスラム街のすぐ近くに建つ高層の高級マンション。 ここではあらゆる人々、生活、価値観が極端な振れ幅を持って混同しています。そしてこの極端さに、おそらく多くの日本人は揺さぶられ、ある人はインドから遠ざかり、ある人はインドに惹かれていくのだと思うのです。 しかし最近になって、こうした混沌さの中にも、一定の秩序があるように見えてきました。混沌でありながらも分裂、崩壊せずに、その混沌さを保つための秩序と言えばよいでしょうか。 例えば、先日私はムンバイで開かれた SCMM 2014 というマラソン大会のハーフマラソンの部に参加しました。 数キロごとに設置されたエイドステーションでは小さいペットボトル入りのミネラルウォーターが提供されるのですが、ちゃんとしたゴミ箱がないために、ランナーであるインド人たちはそのペットボトルを周りにポイポイと投げ捨てていきます。結果、辺り一面はペットボトルが散乱。 しかし同時に、そのすぐ近くでペットボトルを回収するインド人たちを見かけました。どう見てもこのマラソン大会のボランティアではありません。恐らくはゴミ回収を生業としているであろう人々。こうして拾ったポットボトルを明日の糧としているのだと思います。ゴミ箱が設置されないことによって、彼らの生活が保証されているのでしょう。 これはあくまでもひとつの例に過ぎませんが、こうしてインドでは多種多様な人生が間接的、直接的に関わり合い相互依存しながら大きな社会を動かしているように思います。一見、混沌としていながらも、混沌さを構成する無数の要素が一定の秩序を持って、混沌さを支えているような感じです。 10億人を超える人口、様々な民族、宗教、言語が混在するこの国を知るには、混沌の中にある秩序を見出すことが大切なのかもしれないと思いました。

インドに来て半月

インドでの生活を開始して約半月が過ぎました。 到着以来ホテル暮らしが続いていましたが、ようやく引越し先の候補が見つかりました。正式な契約に向けての手続きを進めていきたいと思います。インドに長期滞在するために必要な、FRRO (Foreign Regional Registration Office) での外国人登録も完了しています。こちらでの仕事用携帯に加え、プライベート用の携帯も入手。近々銀行口座も開設やクレジットカードの発行もできそうです。こうした契約等が完了すれば、こちらでの生活基盤としては必要最低限構築できたと言えそうです。 日本からインドへはスーツケース2つとバックパック1つで身軽に飛んできたので、生活に必要なモノは最低限のものしか持ち合わせがありません。したがってこちらで必要な物を随時買い足していく必要がありますが、土地勘がつくに従って必要な身の回りのモノの調達もできるようになってきたました。 例えばニーズの高い衣類に関してはほぼこちらで調達できそう。もちろんデザインはインド人好みに合わせられたものですが、細かいことに文句を言わなければフォーマルなものからカジュアルなものまで問題なく揃いそうです。大都市ムンバイとあって大型の商業施設もいくつか存在するので、そうしたところに行けば色々な店を見て回りながらの買い物も可能です。 衣食住の食である生鮮食品も、外国人向けに品揃え豊富なお店がいくつか存在しています。こうしたところでは牛肉や豚肉など、ヒンズー教、イスラム教の混在するインドで取り扱いの難しい肉類も手に入るようです。私は当面自炊はしない予定ですが、生活に慣れてきたら、日本料理的な料理も何とかつくれるのではと期待しています。 一方で、衣食住とはレベルが異なりますが、個人的にニーズの高い文房具の調達に苦労しています。東京都内であればすぐに手に入るノートパッドや綴じノートといった仕事の道具がなかなか見つかりません。こちらではノートというと、どうも大型のリングノートが主流のようですが、あまりに大味な感じで使い勝手が悪そうなのです。そう考えると日本の文房具屋に置いてある品揃え豊かな様々な文房具は日本という文化を象徴するものの一つだなと思えますね。慣れの問題かもしれませんが、長いこと使って手に馴染んたノート類が使えないのは、気持よく仕事をする上でちょっとした課題になりそうです。