それでもまだ自分の強みだと思えるもの

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既にインドでの生活を初めて2ヶ月半近くになり、一年の5分の1程が経過したと思うと時間の流れの早さを感じずにはいられません。

ここでの生活も随分と慣れてきたのですが、それでも未だに苦労しているのは仕事におけるインド人の上司、同僚とのコミュニケーションです。もちろんインド人独特の英語の訛りや表現の理解に苦労するということもあるのですが、まだ彼らと対等な議論をするまでに自分の英語のスキルが至っていないということも日々痛感しています。さらに携帯電話越しで(つまり電話会議形式で)議論することも少なくないため、これもまた理解不足を加速している状況。

根底にあるスキル不足、訛りや表現への不慣れ、ノイズ混じりの電話会議の三重苦といった状況で、会話内容の的確な理解と意志の伝達はここでの最大のチャレンジになっています。どうしても日本で働いていた頃の自分のパフォーマンスと比べてしまうので、自分の至らなさに肩を落として自宅に戻る日も少なくありません(というより、ほとんど毎日かも)。

こればかりは今日明日の劇的な改善は望めないので、より一段の語彙力のレベルアップ、表現力のレベルアップ等々を目指し、改めて日常的に英語学習の時間を確保しているところです。

 

一方でそういった状況においても、むしろ、そういった状況であるからこそ、自分の強みだと認識してもいいのだろうな、と思える部分も見えてきています。

私の場合は、ある課題に対する論理的なアプローチ、その検証のための定量的あるいは定性的な解析、そして最終結果の構造的な表現能力については、ここインドの同僚たちに少なくとも負けはしないとの感覚を持ち始めています。そして、まだ場数が少ないものの、場合によっては自分も十分に戦えると感じられる事もあるのではないかと思います(勝つ負けるという表現は適切ではないかもしれませんが)。

つまり、その仕事のコンテキストや論点を一度理解し咀嚼できれば、そこから先は自分のスキルで価値のあるアウトプットを出していけるという手応えをおぼろげながらも得られつつあります。

 

インドで働き始めた当初は、自分が拠って立つものが何であるのかの全くの実感もないままに仕事が始まりました。そして、ようやく2ヶ月ほどの期間を経て、足場として自分がすがれるものが多少なりとも見つかったような気がします。まだ心細いとはいえ、異国の地で自分の立ち位置を認識するための材料としてはとても意味の大きいところだと思います。

自分に少しでもできることは何なのか、自問自答を重ねながら、目下の課題であるコミュニケーションスキルのテコ入れ、レベルアップを目指していきます。ここが少なくとも平均値レベルでできるようになれば、また更に見えてくる世界も拡がるだろうと思います。