生き方を定められた人々は何を見るのか

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実際の事実関係はまだ未確認ですが、おそらくインドで生まれた大半の人々は生まれた瞬間に自身の生き方の多くが決まってしまっているのではないかと思われます。

カースト制度そのものが廃止されたわけではありませんし、それによる差別が法律で禁止されたとはいえ、企業に就職する際には何らかの形で自身の所属するカーストの影響を強く受けると言われています。

カーストの縛りを受けないためには、例えば IT 産業などカーストで規定されない新しい産業の職に就くという手段があると聞きますが、そのためには一定の専門知識、スキルを身につけなければ難しい話であるとすれば、そもそもそういったチャンスを掴める人は、インド人のなかでどれだけいるのだろうと思うのです。

多くの人は生まれた土地で、血筋が決めた仕事に就き、一生の仕事として続けていくのではないかと思っています。

先日、ムンバイに友人の上田さんがお越しくださった時、ぜひご案内したかった場所がありました。Mahalaxmi Dhobi Ghat と呼ばれる大洗濯場です。ここはそういったインド人の生き方を強く印象づけてくれる場所であると思ったからです。

Dhobi とはこちらでは washerman つまり洗濯屋さんのこと。Ghat とは川沿いに設置された階段上の場所を指します。よって Dhobi Ghat とは本来は川沿いで洗濯を仕事としていた人々を指す言葉なのでしょう。

Mahalaxmi Dhobi Ghat には川が流れているというわけではないのですが、言葉としてはそういった背景になります。

 

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ここではムンバイ中から集めた衣類を一斉に洗濯し、乾燥し、アイロンをかけ、依頼元に配達するという一連の洗濯に関わる仕事が、膨大な数の人によって行われています。

案内してくれたインド人によれば、その数は全体にして1万人と言っていました。数を誇張する傾向のある彼らですので鵜呑みにはできませんが、少なくとも数千という単位の人がこの場所で洗濯の仕事に携わっているのではないかと思います。

広大なエリアの中には、昔ながらの手作業による洗濯を行う場所だけでなく、大型の洗濯機も設置されていました。奥にはアイロンをかける場所も。平行して住居と思われる建物も点在しており、ここに住みながら洗濯という仕事をしているのだと分かります。

朝起きた瞬間から寝るまで、この世界の中で生きている。

 

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日本で生まれた僕は、子供の時から将来は何になりたいのかという質問を受けて育ち、大学に進学する時は何を学びたいのかと問われ、就職する時はどんな仕事がしたいのかと問われてきました。

仕事だけでなく、住む場所や付き合いたい人たち、といったことにも一定の自由が与えられてきました。そして今は、ムンバイに住み働くという自由を享受しています。

一方で、この Mahalaxmi Dhobi Ghat で生まれ育った彼らは何を見て生きているのでしょうか。

彼らには彼らの世界観があり、価値観が存在するわけで、僕のそれとの単純な比較はできません。お互いの世界を知らない以上、どちらが幸せかどうかという議論もできません。自由には自由なりの難しさや辛さもあると思いますし、制約された環境で見出すことのできる安心感もあるだろうと思います。

よって、ここで何らかの結論を出すということはできません。しかし、僕が生きてきた世界観とのあまりの違いを前にして、彼らの目に映っている世界とはどのようなものなのかと、ただ強い関心を覚えています。

 

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p.s.
写真に映っているおじさんですが、写真を撮らせて頂いた後のニコリと笑った表情が印象的でした。