インドの自宅に来てくれているメイドさんとの雑談の中で、エボラ出血熱が話題に登りました。
彼女曰く、プネ (Pune) でエボラウイルスに感染した患者が出たとのこと。プネはムンバイから車で3時間ほどの街で、最近、大企業の進出も進む発展著しい街。
僕はそこまでエボラに関してのニュースを追いかけていなかったのですが、そんな話は知らなかったのでちょっと驚き、ネットで検索してみました。実際、8月13日付のこちらニュースを読むと、プネでエボラウイルス感染の疑いのある患者がいたことは事実のようです。ただ、最終的な血液検査では陰性だったと書かれてあります。
Ebola scare may force doctors to leave Naidu (Pune Mirror) またつい昨日のニュースでは、デリー国際空港にて6名の乗客がエボラウイルス感染の疑いで隔離されています。また、同ニュースでは、その間にリベリア、ナイジェリアから85名のインド人がムンバイ国際空港に到着。特に検査では異常なしだったとのこと。
6 passengers isolated at Delhi airport over Ebola fears, 85 Indians clear screening test at Mumbai airport (The Times of India) Ebola scare: Six passengers isolated at Delhi airport; no suspected cases in Mumbai (The Indian Express) 次の記事では、インドにおけるリスクとして、現在エボラ出血熱の患者が多発している地域で働くインド人からの感染を挙げています。同記事によれば、エボラウイルスの発生している地域では約45,000人のインド人が住み、特にナイジェリアでは40,000人相当のインド人が在住と書かれています。
Why is India an easy target for Ebola (Yahoo! News) こうして日々、エボラウイルスのインド国内侵入が瀬戸際で食い止められているんですね。
僕が最初にエボラウイルスを知ったのは、学生の頃に読んだリチャード・プレストン著の『ホット・ゾーン』を読んだ時になります。それを読んだのが学生のいつの時点だったか忘れてしまいましたが、同書の発行が1994年なので、今から15年から20年くらい前になるんでしょうか。
当時これを読んで、世の中にはなんと恐ろしいウイルスがあるものだろうかと一人戦々恐々としていたのですが、その後は特にその名を聞くことはなく、エボラウイルスのアウトブレイクというものは幻だったのかと思っていました。それが今年に入ってかなりのインパクトを世界に与える事態に発展し驚いています。
今回のエボラウイルスに限らず、近年では SARS の様に、これまでもある時期に爆発的にウイルスが広まり人類を脅威に与えるということは度々起こっています。一方で、実際には自分たちの体は日々多くの病原菌やウイルスに触れながらも、体の免疫系に守られ全く影響を受けることなく過ごしている。その微妙なバランスに、生命の複雑さを感じますね。
ちょっと堅い話が多いこちらのブログですが、たまには写真と雑談を中心に。
仕事が忙しかった7月、8月ですが、週末の買い物やご飯の時はカメラを持ち歩いているので、少し雨のムンバイの街を撮ることができました(すでに過去の記事で使った写真も混ざっています)。
ムンバイに来た当初、夏のモンスーンの時期は大変なことになるよ、と色々な人から聞いていました。あちこちで道路は冠水して、膝くらいの高さまで水が溜まるよ。その溜まった水で子供たちが泳ぐよ。なんて話も聞いたので、どれくらい大変なことになるのか、興味と恐怖とが半分半分の気持ちでいました。
モンスーンは毎日が雨だと聞いていたのですが、実際に迎えてみると、ひたすら雨が振り続けるというよりは、一日に何度も夕立のような激しい雨が突発的に降るという表現の方が正しいように思います。そして、心配したほどに雨による日常生活への影響は少なく、このまま平和に秋以降の乾季の季節を迎えられそうな気がしています。
昨年もムンバイで過ごしていた日本人の方によれば、どうやら今年は平年より雨が少ないようです。ただ、こちらの地方ではモンスーンの時期に大量に降った雨を貯蓄しておいて、乾季の水不足を補うので、今年雨が少なかったということは必ずしも良いニュースとは限りません。
今週に入って、雨の頻度が減ってきたように感じます。雨が降っていない時はいつもどんよりとした曇り空でしたが、今日は朝から晴れ間も見えています。もう間もなく9月ですし、そろそろモンスーンも終盤なのかなと感じます。
9月から11月という季節は、日本では自然が見せる表情の変化がとても素晴らしい時期ですが、こちらムンバイでは淡々と、雨季から乾季へと変わっていきます。
写真はいずれもフジフイルム X-T1 に XF35mm F1.4R もしくは XF23mm F1.4R をつけて。カメラ出力の JPEG に対し、少しだけ Lightroom で調整しています。
最近、白黒で撮ることが多くなりました。一つはこのカメラだと白黒が綺麗に撮れるということもありますが、もう一つは、インドの街は色が多すぎて(しかもゴミもたくさん落ちているので笑)カラーだと落ち着きが無いということもまた理由です。
これまで何度か書いてきていますが、僕の生活圏では日本人は僕一人です。勤務先のオフィスはもちろん、仕事でお会いするお客さんもほぼインド人で、たまに欧米からの出張者がいらっしゃる程度。私生活でも、月に一回程度の日本人会の若手の皆さんとの交流会を除けば、インド人社会の中で毎日を過ごしています。
こうした環境で過ごしていると、自分は日本を代表している、という意識が自然と強くなります。もちろん日本代表と言っても、オリンピック選手やワールドカップ選手のそれと比べれば全然ちっぽけなものですが、それでも、僕が仕事や私生活で普段接する多くのインド人にとっては「僕イコール日本人なんだ」と意識させられるのです。彼らにとっては、僕の振る舞いは、僕という個人の振る舞いであると同時に、日本人の振る舞いでもあるんです。
例えば、仕事のプロジェクトで一緒になったメンバーと雑談をすると、よく「日本の XX はどうなんだ」「こういう時、日本人はどう考えるんだ」という質問を受けます。あるいは、僕の振る舞いを見て「日本人は丁寧だな」といった感想を持たれたり、「日本人はきっちり仕事をするから、お前もちゃんとこの仕事をしてくれると思う」といった期待を持たれたりするのです。
彼らは、僕という個人を見て、その延長線上に日本人を見ている。そう強く意識させられます。
今日までインドで生活していて、インド人が持っている日本そして日本人の印象は総じて大変良いものであると感じています。
ほとんどのインド人は日本に行ったことはありませんし、直接日本人と接する機会もほとんどありません。したがって、メディアの情報を通じて受ける印象がベースになっているのだと思いますが、日本や日本人に対して、ある種の尊敬の念といったものを抱いてもらっていると感じます。全てではないにしろ、日本の文化、精神、技術、サービスといった様々な日本の資産を評価してもらっていると感じます。
僕という個人を通じて日本が見られているのだとすれば、こうした日本のブランドや品位を損なうことがあってはならないと思っています。自分が至らないことも少なくありませんが、少なくとも意識の上では、その責任を果たせるように考え、発言し、行動しなくてはいけないと思っています。
僕の仕事のやり方、人との接し方、日本という国に対する視座のあり方から、街中でのちょっとした振る舞い方やゴミの捨て方まで、そういった言動の端々に、日本人としての意識や健全な誇りを持ちたいと思っています。
背番号はなくとも僕は日本代表なんだ、そう思いたいのです。
インドに来て以来、グローバル人材とは、という問いについて度々考えることがあります。その一つの答えとして、母国の国旗を背負えること、というのはあり得るのかなと思っています。
もちろん語学力を含めたスキル的な部分や、特定分野における専門性といった実践的な要素は当然重要だと思います。それでも、非常に曖昧ですが、自分の国の国旗を背負って他国の人間と付き合える意識とそれ相応の言動が取れることって、より本質的に大切な要素はないかなと思うんです。
そう考えると、僕はまだまだ未熟者ですが、地道に頑張っていきます。
きちんとした文章をこちらに書くのは実に1ヶ月半ぶりです。つい最近まで、具体的には6月の終わり頃から8月の上旬まで、とてもタフなプロジェクトに参加しており、なかなかブログを書こうという時間も気力もありませんでした。この間、ほとんど写真も撮れていませんでした。ようやくプロジェクトが先週で終わって一息つける状況になり、こうして言葉として振り返ることができそうです。
プロジェクトの内容はもちろん公にはできませんが、グローバルに展開する某インド企業のポートフォリオ全体を対象に、ビジネスプランのレビューを支援していました。いわゆるデュー・デリジェンス (Due Diligence) と呼ばれるものに近いですが、各ビジネスの中長期プランが適切に立案されているかどうか、改善の余地があるとすればどんな点にあるか、を綿密に検証する作業でした。
こうした業界で働いている方はある程度ご想像つくかと思いますが、このデュー・デリジェンス系のプロジェクトは往々にしてタフな環境に置かれることが多いのです。短い期間で複数のビジネスを正しく理解し、市場環境や競合環境を踏まえ、現実的かつある程度前向きな中長期の売上や利益を算定し、その実現に必要なプランを検証する。こうした戦略立案に近い作業を、複数のビジネスを対象に限られた時間で実施しなければならないので、時間的にも精神的にもかなり追い込まれることが多いのです。
加えて私の担当したビジネスは事業部が北米にありました。インドからですと9時間から12時間ほどの時差なので、電話でのコミュニケーションは朝か夜に限られてしまうボトルネックも存在しており、時間的な制約が一段厳しかったです。
正直、プロジェクト期間中の生活はかなりひどいもので笑、月曜日の早朝4時台に起床し、朝のフライトでデリーに移動。そのまま月曜日から金曜日までデリーで朝から夜遅くまで仕事し、金曜日の夜にムンバイに戻る。そして土日も結局、自宅で仕事。そういった状況でした。仕事するか寝るか食べる。そんな毎日です。
もともと日本語だけで仕事をしてもタフな類の仕事なのですが、英語によるコミュニケーション(かつ北米との電話会議)ですので、さらに効率が低下。インドに来て着実に英語力は上がった実感はありますが、非ネイティブの壁は厚く、未だに苦戦することも少なくありません。例えば 95% 理解できても、残りの 5% の理解が非常にクリティカルということも多いので、そういう時に自分の英語の運用能力を嘆いてしまうのです。
また、これも変な話なのですが、出張先の食事は毎日基本カレーなんですよね。美味しい、美味しくないという以前に、日本人としてはこれもまた厳しくて笑。まったく食欲の湧かない毎日でした。体重はちゃんと測っていませんが、ベルトの穴が1つ移動するくらいのダイエットになりました。
さらに、当たり前ですが日本人は自分一人。インド人の同僚は皆とても親切で優秀なメンバーばかりでとても助けられましたが、それでも、日本語で仕事や仕事の悩みを共有できるメンバーがいないというのは、こういうタフな環境ではジワジワと精神的に影響してくるんです。日本であれば、同僚とちょっと食事で雑談したり軽く飲むだけでも気分転換できると思うのですが、それができませんでした。もちろんこちらのインド人の同僚とは一緒に食事を取り、たまに飲むのですが、どんなに相手が優しいメンバーでも、同じ国に生まれた同じ血が流れる相手に感じられる親密感や一体感は、なかなか得られないのだと実感しました。要は、寂しかったということです笑。
こうした複数の状況が組み合わさって(本当はちゃんと書くともっと生々しい日々でしたが)、私が今の会社に入って以来、最も肉体的にも精神的にも追い込まれたプロジェクトでした。時間がタイトな中、思ったように仕事が進まず、自分の仕事への適正や能力を疑ってしまいました。自分は本当にこの仕事に向いているのかなと。つい弱くなって、自分はなぜインドで働いているんだろうと思う日も少なくありませんでした。自分がこれまで学んできたことを疑いもしました。しばらくはもう体験したくないという位、追い込まれていた気がします。
ただ、そうした苦しい状況ではあったのですが、自分で決めていたことがありました。自分からは最後まで逃げない、ということです。苦しいけれど、それに立ち向かって最後までやり抜く、ということだけは自分に課していました。自分の能力不足が原因で、仕事が取り上げられたらその時は仕方ないけれど、自分から、この仕事は自分にはできないと宣言することだけは絶対にしないと決めていました。
・・・本来これは私の仕事では当然のマインドセットで、日本にいた時はそんなことを考えたことはなかったのですが、それを思ってしまうくらいタフだったんです。
とにかく「逃げない」という事だけは絶対に決めていたので、肉体的、精神的に辛い時期も、「今、自分にできることをちゃんとやろう」と仕事に向き合えたように思います。
人って、過去の成功体験や失敗体験が、その後の生き方に大きく影響するものだと思います。スポーツでも勝ち癖をつけることは大切だと思われますが、当然、仕事でもそうだと思います。トートロジーですが、勝ち続けてきたから、勝ち続けることができる、というのが一つの真理でしょう。
では今回、自分は「勝った」のだろうか、というと正直、胸を張ってそうは言えません。求められている結果はきちんと出しました。けれど、総合的に見て、自信を持って「勝った」と宣言できるかと言われると、そうではないと思います。努力はしたけれど、至らない点も多々あったと思います(そこはチームのメンバーにたくさん助けてもらいました)。
それでも胸を張って言えること。それは、「僕は逃げなかったよ」ということです。苦しかったけれど、最後までやり抜いた。それは自信を持って言うことができます。
正直に言えば、ある時期はかなり苦しくて、これは自分の能力を超えているんじゃないだろうか、自分がこのまま仕事を続けていると迷惑をかけてしまうのではないだろうか、という心の迷いもあったのですが、それでも、それを自分から言葉に出すことだけは絶対にしませんでした。そして、きっとそれをチームメンバーも分かって信じてくれていたと思います。
そして今振り返れば、やっぱり、逃げずに最後までやり抜いて良かった、と心から思います。
余談ですが、私が昨年日本でフルマラソンに初出場した時も、同じ心境でした。良い結果は出せなかったのですが、走りだして10キロ過ぎで腸脛靭帯炎で足が痛くてまともなフォームで走れなくなった時も、痛み止めを飲んで最後まで走り抜きました。あの時も「逃げない」と決めていたから、走り切れたんだと思います。
こうした経験から思うことは、理想は、「勝ち続けること」かもしれませんが、それと同じくらいあるいはそれ以上に「勝てないとしても逃げないこと」も大切ではないだろうかと思うのです。「苦しくて大変だった。でも自分からは逃げなかった。」そう言えることが、次の自信に繋がっていくんじゃないかと思うのです。また次に何か困難な状況に面した時も、「あの時、逃げなかった。だから今回も自分を信じることができる」と言えるんじゃないかと思うのです。
そうやって一つ一つの経験を積み重ねていきたいなと思っています。
・・・と、今回のちょっと苦い経験を、ポジティブに捉えるために言葉に落としてみた次第です。それとやっぱりオレって日本人だなぁと痛感しました笑。
写真はムンバイにて。これでも信号のある交差点です。
ムンバイは雨がすっかり日常となりました。5月末まで一度も雨を経験しなかったのに、7月以降、毎日雨が降っています。
時に鬱陶しいこともある雨ですが、雨は雨で情緒豊かな表情を見せてくれることもあります。そして何よりも自然にとっては恵みですね。
あっという間に8月。インドの生活も残り5ヶ月を切りました。
ここ数年の間でも間違いなく五本指に入る「時間×濃度」で仕事しています。日々反省し、日々学びです。そしてムンバイは日々、雨。
気づけば土曜日の朝。そんな気持ちです。
ここ数週間、特にこの一週間はひたすら朝から夜中まで仕事の毎日でした。出張先のデリーのホテルで、朝起きてまずはメールの確認から始まり、そのまま夕方まで仕事、そしてホテルに戻ったら今度は電話会議。電話会議の後はまたホテルで仕事。そんな毎日が続いていました。
もともと私の仕事は、平均的な仕事よりも労働時間が長い方ですが、今はさらに長い時間働いています。プロジェクト期間が短期ということもありますが、加えて私の場合は相変わらず英語での意思疎通や思考に一定の不自由があることとと、さらにプロジェクトで関係するお客さんがアメリカやカナダを拠点としているため、朝夕の電話会議にコミュニケーションを頼らなければいけないためそこでもまた効率が落ちていることも要因の一つです。
プロジェクトの時間の制約が厳しいので、結果的に私もタイムプレッシャーをかなり感じながら毎日を過ごしています。1日24時間しかない中、どのタイミングでどの仕事をするのか、その適切な判断が求められるのですが、やはり目の前の喫緊のタスクも消化する必要があり、なかなか全体最適が図れていません。忙しければ忙しいほど全体最適を意識しなければいけないのですが、忙しいほどに短期思考になるというジレンマです。
昨晩デリーからムンバイに戻りました。今朝起きてプライベートなメールやブログをチェックしながら、久しぶりに仕事以外の世界に戻ってきたような感じです。自分で淹れたコーヒーを飲み、音楽を聴きながらつかの間のリラックスタイムです。日本で売られている雑誌のいくつかを iPad で電子書籍として読んでいます。その中で “PHaT PHOTO” という写真雑誌の 7-8 月号のテーマが「インスピレーションがわく!写真の旅」でした。いいですね、写真の旅。
まだまだしばらくは今のように時間に追われながらの生活が続きそうです。とはいえ、この前後の数週間は後から振り返って、恐らく自分にとっての成長の良い機会になったと捉えられるように思います。一週間単位で色々な学びや経験があります。決して自分がうまく働けているとは思えないのですが、踏ん張り続けることができれば、きっと先に見えるものがあるだろうと思います。
いつの間にか7月です。インドでの生活も折り返し地点を越えました。写真は以前、インド人の友人のところに訪れた際に。
ムンバイに住むインド人の友人にランチに招待され彼の手作りカレーをご馳走になりました。彼とはムンバイに来たばかりの頃に、街で声をかけられて知り合った仲ですが、月に一回位の頻度で会い、ほぼ毎回、彼の手料理を頂いています。手料理といっても毎回カレーです。
彼はこのカレーをつくるにあたっては数時間以上の時間をかけるのですが、本人もそれなりに自身を持っているようで、実際にかなり美味しいです。スパイスが効いているので、日本人にはちょっと慣れが必要かもしれませんが、私がインドで日々食べるカレーの中でもその味はかなりの上位に位置します。
ヒンズー教徒とイスラム教徒が多いインドでは、ビーフやポークは一部の場所でしか食べられず、肉といえばまず最初に来るのがチキン。そしてたまにマトンです。インドで暮らすということは、基本的に肉はこのどちらかから選ぶのが基本になってきます。そして彼のカレーはいつもはチキンカレーなのですが、今日はマトンカレーでした。
魔法のカレーというと大げさですが、彼のカレーを食べた後は全くお腹が減りません。ランチと合わせてビールも一緒に頂いていることも影響していますが、夕方自宅に戻るとまずかなりの眠気に襲われます。そして睡魔に負けて仮眠を取ることになりますが、起きた後もお腹の満腹感は延々と続き、夕ご飯の時間になっても全く空腹感を感じません。
そこまで大量に食べているわけではないのです。少なくともボリュームとしては、自分の許容範囲内のはず。それでも食事後こうして何時間も満腹感が続くのは何故なのか不思議です。言い方を変えるとこれは胃もたれではないだろうか、とも思うのですが、とにかくお腹が減りません。
使っているスパイス(マサラ)が何か影響しているのか、あるいは単に油の量が多いのか、原因は不明ですが、不思議なカレーです。
ムンバイにいる間に彼のカレーのレシピを覚えて帰る予定ですが、これを日本でつくったらどんなリアクションになるのかなかなか楽しみではあります。
昨晩デリーから戻り、今日は久しぶりに終日仕事もなく羽を伸ばしました。雨期のムンバイですが天候は穏やかにやや曇りの一日。せっかくなのでカメラを手に街へ。中央郵便局から世界遺産にも指定されている CST (Chhatrapati Shivaji Terminus) を経由し、そこからさらに海岸沿いのビーチへ行き、またまた移動して Bandra というムンバイやや北寄りのエリアへ。汗もたくさんかいて、リフレッシュできました。
それにしても、どこへ行っても、人、人、人のムンバイです。東京の新宿や渋谷も週末の人の波は相当だと思いますが、こちらも負けていないというか、勢いや騒々しさとしては明らかに一つ上の次元です。国全体の平均年齢は、日本の40代中盤に対し、インドはまだ20代ですし、物売りの声、クルマのクラクション、そしてこの時期のムンバイ特有の湿度の高い熱気が加わって、ものすごいエネルギーを感じます。
この圧倒的なばかりのエネルギーは、私が感じるインドならではの要素の一つで、インドを知らない日本の方にはぜひ一度経験してもらいたい!と常々思っているものです。
しかし一方で住居者としては、こうした中で日常を送るのは、なかなか大変な面もあります。これはあくまでも日本人としてということになりますが、一言で言えば、落ち着く場所がほとんど見つからないという感じなのです。日本であれば新宿や渋谷といえど、少し場所を選べばほっと一息ついて気を休められる本屋やカフェなどがあったりするものですが、ムンバイの場合、そうしたスポットがほとんどありません。
もともと私は休日は静かに読書をして過ごしたいような性格なのですが、ムンバイではどこにいてもザワザワした感じが続くので、なかなか気を休めるのが難しいのです。幸い今のムンバイの自宅が唯一そうした場所として機能してくれていますが、自宅以外に自分が落ち着ける場所がない、というのは長期滞在する上ではちょっと残念な点ではあります。
・・・まだ人通りの少ない晴れた休日の朝、家を出て静かで落ち着いたカフェに。美味しいブラックコーヒーを飲みながら、お気に入りの本をじっくり読み物思いにふける・・・そんな日もあったなぁと遠い目になる今日このごろです笑。
せっかくの機会なので今日見てきたムンバイの様子を写真でご紹介しました。日本にも戦後、こんな時代があったのでしょうか。このエネルギーは先進国ではなかなか感じられません。
インドでの生活も半年を過ぎようとしていますが、今更ながら、足がないことに気が付きました。ちょっとした外出の時に手軽に使える移動手段がないのです。もう少し正確に言えば、タクシー以外に手軽に使える手段がありません。
ムンバイではタクシーやオートリキシャーでの移動が主たる交通手段になります。黄色と黒色のペイントがされた Black & Yellow Cab は市街地の至るところで捕まえられる気軽なタクシーですし、ちょっと郊外に出ればオートリキシャーが同様に利用可能です。しかしそれでも、ちょっとだけ、場所を点々として移動したいときには若干気をつかいます。というのは、特に朝夕の渋滞時間などはタクシードライバーは中距離以上でないと乗せてくれない(本当に乗車拒否される)ことが多いのと、加えて、あまりお釣りを持っていない(持っていても持っていないと言い張る)ので、細かいお金を常に用意しておかなければいけないからです。
現地インド人であればタクシードライバーとの交渉でうまく対応できるのでしょうが、タクシードライバーはあまり英語が流暢でないので私の場合は細かいやり取りができません。結果的に、ある程度の距離を乗るときには便利に使っているタクシーも、短距離では若干遠慮してしまい使いにくい印象を持ってしまっています。
・・・余談ですが、このお釣りがない問題はタクシー以外でも時に起こり困ることがあります。先日、空港の KFC にて合計 300 Rs くらいのセットを注文して、1,000 Rs 札を出したのですが “No change” (お釣りはありません)と突っ返され、結局注文を諦めました・・・
やはりここはインド人に習ってひたすら歩くというのも手なのかもと思います。日中はかなり暑いので熱中症になりそうですが、インド人達は時に重い荷物を抱えながら道路脇を延々と黙々と歩いています。あるいはこちらでは主流の、日本の昭和初期に見られたようなクラシカルな自転車もまた一つの手段かもしれません。
タクシーだけですとどうしてもピンポイントの移動になってしまうので、その間を繋ぐ移動ができれば、もう少し日々の生活にも幅がでるかなと思っているところです。
なお、日本企業からインド支社に派遣されている日本人の方々には、専属のドライバーが付くことが多いようです。それも会社からの福利厚生のパッケージに入っているものだと思いますが、電話一本でどこにでも連れて行ってくれる様子を見ると、なかなか羨ましいなあと思います。