Sula Vineyards にてワインテイスティング

週末、少し足を伸ばしてインドのワイナリーへ行ってきました。その前日に Wasabi にご一緒頂いた友人からのお誘いです。 インド産のワインの存在はこちらに来るまで知らなかったのですが、レストランのメニューで度々目にするので、何度かグラスで飲んだことがあります。失礼な言い方ですが、インドの気候でワインが作れるとは思わなかったので、飲んでみて結構ちゃんと作るなあと思っていました。 今回訪れたワイナリーは Sula Vineyards というところ。それはムンバイから 170km ほど北東にある Nashik という街のすぐ近くにあります。運転手付きのタクシーを貸し切り、朝7時前にムンバイを出発。途中多少の寄り道をしながら現地についたのが11時半ころでした。モンスーンの時期とあって、ムンバイから少し郊外に出ると緑が広がる場所も多く、目の保養になりました。 Sula Vineyards の創業者 Rajeev Samant はスタンフォード大学を卒業し Oracle に務めた後、インドに帰国後。農業を営む実家の土地がワインづくりに適していると気付き、1999年にワイナリーを立ち上げたとのことです。まだ15年前の話ですが、今では日本にも輸出されている程のブランドに成長しています。すごい。 このワイナリーでは1時間おきにツアーを実施しており、ワイン工場の見学と実際にその工場で生産されたワインのテイスティングが可能です。ワイン4杯までのテイスティングが 150ルピー、6杯までのテイスティングが 250ルピーと2つのオプションがありましたが、もちろん6杯で参加です笑(といってもテイスティングなのでグラスの底に軽く注がれる程度です)。 ワインのテイスティングなるものに参加したのは実は今回が初めてですが、複数のワインを飲ませてもらうと確かに色々な違いの発見があって面白いですね。日本に帰ったらもう少し勉強してみたくなりました(いつもワインを頼むときは品種もブランドも分からずおまかせで済ましてしまっていたので・・・)。 夕方に現地を出発。ムンバイに戻ったのが夜の8時頃です。社会勉強にもなりましたし、良い気分転換にもなりました。お誘い下さった S さん、どうもありがとうございました! 参考リンク: Sula Vineyards 写真 今回の写真はすべて Fujifilm X-T1 にて撮影。レンズは FUJINON XF23mm と XF35mm です。現在ドイツでは Photokina 2014 が開催中。どんなカメラが登場するのか、楽しみですね。

Wasabi by Morimoto

ムンバイに来てからずっと気になっていたレストランについに行ってきました。Colaba の 5-star ホテル Taj Mahal Hotel にある、Wasabi by Morimoto という日本食レストランです。一人ではもったいないので、8月からムンバイに赴任された弁護士の友人を誘って行ってきました。 1月にムンバイに来て既に8ヶ月が経過していますが、これだけ日本食に飢えながらも今まで訪れなかった最大の理由、それはそのレストランの料金です。噂によれば一人あたり 10,000 ルピーはかかると書いてあり、それは実に日本円にして 17,000円。貴重な日本食とはいえそこまでの贅沢をして良いものか迷っていたのです。しかし賛同してくれる友人のお陰で気持ちが盛り上がり、今回、初挑戦してきました。 お店の雰囲気はモダンです。メインとなる寿司・刺し身のカウンターに加え、鉄板焼きのカウンターの2つが同居しています。寿司と鉄板焼きがレストランに同居するというのは日本だとまずありえませんが、日本食が貴重なムンバイにおいてはそれもまた合理的な判断ではないかと。今回は寿司カウンター (Sushi bar) に座りました。 フードメニューを見ますと、値段はさすがです。大トロの握りが一貫あたり 900ルピーほど(1500円強)です。しかしここまで来てビビっても仕方ないので、値段はあまり見なかったことに。二人で相談して、土瓶蒸し、揚げ豆腐、そして寿司と刺し身の盛り合わせを注文しました。お酒は日本酒、といきたいところですが、1合あたり5000円くらいするので今回はワインのボトルを注文。 ネタは全て築地から空輸されているだけあって、新鮮で美味しいです。さすがに日本の一流店との比較はできませんが、それでも日本で食べる寿司と大きくは遜色ありません。久しぶりにちゃんとした日本食を食べている気分に浸って幸せです。うなぎの握りも頂きました。 そして、日本食に飢えた二人ですので、結局、寿司だけではモノ足らず、鉄板焼きも注文し、Wasabi の看板メニューを大いに楽しませていただきました。最終的にお値段はうわさ通りの水準でしたが汗、それくらいの贅沢をしてでも、ここムンバイでこれだけちゃんとした日本食を食べられるのは有り難いことです。 カウンターで寿司を握っていただいたのは、ムンバイに来て一年ほどの日本人の職人さん。寿司のネタを見ながら、カウンター越しに日本人の職人さんと日本語でお話できるのもまたここでは貴重です。友人と一緒に、とても幸せな時間を過ごさせて頂きました。また来てくださいねと言われましたが、気軽に来れる場所ではないので笑、帰国前に再訪問できるかどうかといった感じです笑。

秋の足音

最近 Facebook の投稿に度々新サンマの写真が登場するようになり笑、日本に秋が到来しつつあることを感じます。食欲の秋ですね。まだ少し早いですが、木々の彩りの移り変わりも美しい季節も近づいてきました。カフェで読書なんてのもいいですね。日本人として、「秋」という響きを聞くだけで色々なものが連想できます。 モンスーンが終わりつつあるムンバイは、青空が見える日も増えてきています。そして以前よりも太陽の光がより強く届き、夕日が建物をオレンジ色に照らすようになりました。といってもこちらは湿度が高いせいか、日本の秋空のような、透き通るような青や辺り一面が染まるような赤ではありませんけれど、それでも毎日どんよりとしていたこれまでの数ヶ月よりはずっと良いですね。 そんなことを考えながら以前撮った写真を見返していました。何気なく撮った写真ででも、今見返すと、うーむ、日本はいいなぁと改めて思うものばかり。 ムンバイは一年を通じて温暖な気候なので、モンスーン以外に自然を通じて季節を感じるものもがあまりありません。旬の食べ物も聞いたことがありませんし(きっとあるのでしょうが)、もちろん紅葉もありません。 僕がムンバイに生まれていたら(インドは広いのでムンバイに限定)、秋に対してどんなイメージを持っていたんだろうと思います。秋 (Autumn) という季節があることは知っている。夏の終わりと冬の始まりの間にあることは知っている。それは雨季が終わる時期で、そしてディワリ(インド最大のお祭)の時期だ。そんな感じなんでしょうか。 春には桜を愛で、夏には緑いっぱいの自然を満喫し、秋には紅葉を楽しみ、そして冬には雪が降る日本。いいですね。本当にいいなと思います。 別にホームシックになってるわけじゃありません、まだまだインドで頑張れますよ笑。

夜明けの空港にて

先日インドに来て初めてコルカタへ出張しました。朝7時のフライトにのるため、5時に家を出て、6時過ぎにチェックインです。ムンバイはインドの西沿岸ですが、コルカタはバングラデシュに面するインドの東側。2.5時間のフライト時間でした。 コルカタといえばかつてのイギリス領地時代の首都。しかし今は首都機能はデリー、商業機能はムンバイのその座を譲ってしまっています。時間があれば観光に訪れてみたいところですが、果たして残りのインド滞在期間中に叶うかどうか。個人的には東よりも、北西と南に興味があります。 北西というのはラジャスタン (Rajasthan) 州、南というのはケララ (Kerala) 州です。ラジャスタン州のジャイプール (Jaipur) は春に訪れました。気温が下がる秋以降、ジョードプル (Jodhpur) 行きを狙っています。

ガネーシャ・チャテュルティ

ここ一週間ほどの間、ムンバイはなかなか騒々しい毎日でした。 先々週の土曜日から本日月曜日までの10日間、インドはガネーシャ・チャテュルティ (Ganesha Chaturthi) と呼ばれるガネーシャを祭り上げる祭典の中にありました。中でもムンバイはそれを盛大にやる都市であると聞きました。 僕もこの祭りのことはよく知らないのですが、この期間中、人々はガネーシャを持ち寄ってムンバイの海岸 (Chowpatty) に投げ込むということと、夜はダンスミュージックを大音響でかけながら街を練り歩くということは学びました。 ガネーシャといえば、象の顔をした有名なヒンズー教の神様ですが、ヒンズー教の最高神の一人であるシヴァとその妻パルバティーの子供として生まれました。父の顔を知らないガネーシャはパルバティーの頼みで家の見張りをしていたのですが、そこへシヴァが帰宅。父シヴァは家に入れまいとするガネーシャに怒り心頭し、首を切り落として遠くへ投げ捨ててしまいます。その後、それが自分の息子だとパルバティーから聞いたシヴァは首を探すのですが見つからず、代わりに象の首をガネーシャに据え付けました。そして、そのまま現在に至る、です。 すごい話です。 そのガネーシャですが、インドではすっかり人気者で、日本でいうところの招き猫のような商売繁盛の神様として崇められています。家々にはガネーシャが祀られ、タクシーに乗ればガネーシャのミニチュアがダッシュボードの上に置かれ、観光地に行けばガネーシャの置物が大量に売られています。シヴァよりも人気があるのは間違いありません。 どうやら今回のガネーシャ・チャテュルティは、そんなガネーシャを祀るお祭りのようなのです。 これは異文化体験としては非常に興味深いものなのですが、困ったことに、連日かなりの盛り上がりを見せてしまっていたのです。踊り好きのインド人。様々なガネーシャを載せたトラックと共に、道路に大音響のトランス・ミュージックをかけ、またバクチを鳴らしながら、夜の10時あるいは11時くらいまで外で踊りまくっていました。なかなかの近所迷惑です笑。それでも、まあインドだしね、の一言で全てが納得できてしまうのですが。 ようやく今晩でガネーシャ・チャテュルティも最終日を迎え、また明日から静かな夜が迎えられそうだとほっと一安心です。

インドにおけるモノづくりという話

モディ首相の来日に合わせ、連日、日印関係の強化に関する話題でニュースが盛り上がっています。その中で9月3日の日経朝刊に「インドでモノづくりを」という記事が掲載されていました。以下、同記事からの引用です。 モディ氏は約2000人の聴衆を前に「インドには低コストで質の高い労働力がある」と指摘、「メーク・イン・インディア(インドでものづくりを)」という政権が掲げるキーワードを繰り返した。特に中堅・中小企業の進出に期待を寄せ、「日本の中小企業は、インドの大企業と同程度の力を持っている」と述べた。 これを受けて、インドにおける日本流の「モノづくり」とは果たして可能なのだろうかと考えてみました。以下、あくまでも個人的な感覚や経験に基づく主観ですので、ご留意を。 そもそも日本流の「モノづくり」とは何なのでしょうか。 これに関しては既に多くの考察がなされているので、素人に近い僕が見解を述べられる立場ではないのですが、それを可能たらしめている重要な要素の一つとして、製造現場に蓄積された高度なスキルやノウハウが挙げられると思います。なかでも形式知化が困難な、現場に暗黙知として蓄積されたスキルやノウハウが非常に重要な役割を担っているのだと認識しています。 もちろん他にも、日本のモノづくりたらしめる要素は存在するはずですが、ここでは話を簡単にするために、そうした暗黙知的なスキルやノウハウの存在が日本のモノづくりの要件の一つであるとして、それに絞って話を進めたいと思います。 さて、こうした暗黙知的なスキルやノウハウは、その定義により、属人的な性質を持つはずです。属人的で暗黙知である以上、現場で働く方々が、中長期的な時間軸で習得し、また継承していくものだと思います。言い方を変えれば、その現場で働く方々が、中長期的な時間軸で、その現場に留まり続けることが前提条件になっているとも言えます。 ここで、インドにおける日本流のモノづくりについて考えてみると、その最大の課題は、雇用したインド人に中長期的な時間軸で現場に留まってもらい、暗黙知的なスキルやノウハウを十分に吸収し活用してもらうこと、ではないかと思っています。 私は他の新興国の事例を知らないのですが、ことインドの中間層においては離職率がどうやらとても高いのです。あくまでも僕の感覚によるものですが、ちゃんとデータを調べても、やはり高いのではと推測します。 例えば今インドで僕が住んでいるアパートは、常時交代で、受付にスタッフが在席しているのですが、このスタッフの皆さんの顔ぶれが毎月入れ替わるのです。おそらく全員で5から6名程度のスタッフが勤務しているはずですが、その顔ぶれがどんどん入れ替わる。本当にコロコロと仕事を変えてしまうのです。顔見知りになったなと思ったら、いつの間にかいなくなってまた新しいスタッフが常駐している。日本のアルバイトのスタッフの方がまだ長くいるんじゃないかと思うくらいの入れ替わり方です。 こうした事例はこちらに住んでいる他の日本人からもよく聞きますので、おそらくインド人の中間労働者層の就業観として、全般的にそうなのではと推測します(もちろん一定層以上のビジネスパーソンになるとまた話は別です)。つまり、少しでも今よりも条件が良い仕事が見つかればすぐに移ってしまう、あるいは今の仕事に少しでも不満があれば辞めてしまう、そんな印象を受けています。そしてこれはインドの製造現場でも同じような状況ではないかと想像します。 従って、日本企業が日本流のモノづくりをインドに移管しようとした時、大きな壁となってくるのがこの離職率の高さではないだろうかと思っています。せっかくスキルやノウハウを教育しても、それが身につく前に仕事を辞めてしまうリスクが非常に高いのではと思うのです。当然、それを防ぐために、他企業よりも給与面や待遇面を手厚くすることで、ある程度の離職は避けられると思います。しかし、良くも悪くも個人主義の強いインドの方々を見ているとそう話は単純ではないだろうなと、あくまで直感的にですが、感じています。 ただし、これまでも日本企業は中国や東南アジアに、日本流のモノづくりのあり方を広めてきた実績はあるわけですから、うまいやり方はあるのかもしれません。それらについては僕は具体的なストーリーを知っているわけではないのでコメントできませんが、これまでの他国への製造移管のノウハウを結集すれば、インドへの移管もできるのかもしれません。 そしてもちろんのことながら、これだけ文化が違うので、こうしたハードルが存在するのは当たり前のこと。その前提で、インドにおける製造の意味やあり方について吟味し、試行錯誤しながら、手探りでインドにおける日本のモノづくりを進めていけば良いのだと思います。 インドで製造するということは、コスト競争力やインド市場の獲得以上の意味が存在すると思います。具体的には、中東やアフリカといった更に西側の市場へのアクセスです。ムンバイに住んで実感していますが、こうした西側への拡がりが具体的にイメージできるのがインド(特にムンバイなどの西側の都市)なのです。そうした中長期的な視野で、インドをどう活用するのか、という部分が今後の面白いところかなと思います。

ドバイ #3 – ブルジュ・ハリファ

せっかくドバイに来たので定番中の定番ですが、世界一高い高層ビルである、ブルジュ・ハリファ (Burj Khalifa) にも登りました。全高 828m とのことです。市内を巡っていてもこの建物の存在感は圧倒的で、まさにドバイのランドマークですね。登ったからといって夜景以外に特に何があるわけでもありませんが、かといって登らずにドバイを去ってはいけないような場所ですね。 2010年の開業からすでに4年以上経過していますが今も非常に人気は高く、事前のチケット予約は必須です。僕は数日前に訪問を決めたため、すでに夕刻日没の時間帯のチケットは売り切れでした。そこで少し遅い午後7:30のチケットを購入。予約時間前に現地のカウンターにて実際のチケットを受け取り、20分程度並んで展望台 (At The Top) まで辿り着くことができました。 800m を越える高さからの景色はというと、もちろん素晴らしい眺めでしたが、個人的には東京のほうが好きかなと思います。当たり前ですが、夜景の良さはその建物自身の高さだけでなく、その周辺に広がる建造物の姿形に大きく依存するので、高層ビルが遠方まで広がる東京近辺の夜景はなかなかのものだと思います。 ところで中東と言うとオイルマネーの印象が強いのですが、ドバイのオイル産出量は限られているのだそうです。 アラブ首長国連邦としては豊富な石油資源によって経済が支えられているものの、その資源のほとんどがアブダビに集中しており、ドバイはアブダビの10分の1程度の産出量なのだそうです(引用: ドバイ旅行館)。そして、ドバイの GDP に占める石油関連の収入は 4% 程度との情報もあります(引用: R25)。従ってドバイとしては、観光や金融サービスを主たる収入源とすべく、国を発展させてきたとのこと。 今回旅をしてみて、きっとそれはうまく成功したのだろうなと感じました。観光客にとっては非常に快適な場所が揃っています。その戦略的な国家の発展のあり方はシンガポールにも通じるところがあり、一つのモデルとして素晴らしいなと思います。 しかし一方で、これはあくまでも個人的な感想ですが、どうしても気になってしまうことがありました。 一つは、こうした観光地としての発展を目指そうとすると、街の姿がどこに行っても同じように感じてしまうこと。モダンなデザインの高層ビルを立てて、世界中のブランドショップを並べた姿を見ていると、わざわざこの国に来る意味はあるのかなと思ってしまいます。そして、もう一つが、多くの観光ビジネスが外国人労働者に依存していること。ドバイの市場に行っても、それを売っているのは近隣の国からの外国人ばかりなのです。京都の着物屋に行っても、そこには日本人がいない様なもので、モノは売れてもコトが売れていない感じがしました。 当然、自国の限られた資源や人口と、周辺国との経済関係を考慮すれば、こうしたビジネスに帰着するのは合理的ですし、僕もその判断をする立場であればそう判断すると思いますが、一人の観光客としては、なんとなく寂しさを感じるところです。 日本も観光立国としての発展を目指しているところですが、日本ならではの要素をきちんと残しながらも、グローバル視点で魅力ある観光地として発展させていくというところのバランス感覚やその舵取りが極めて重要ですよね。 最終日はホテルでゆっくりした後インドに戻りましたので、ドバイ関連の記事は一旦こちらで終了です。その他の写真は Behind the Phoword を是非ご覧ください。 関連記事:ドバイ #1 | ドバイ #2 ご参考: ブルジュ・ハリファの展望台 At the Top のチケット予約 http://www.burjkhalifa.ae/en/ObservationDeck/TicketInformation.aspx

ドバイ #2 – Big Bus Tours で市内観光

ドバイ2日目は、ドバイ市街地へ。昨日のデザートサファリでニュージランドから観光に来ているグループとご一緒したのですが、市内観光は “Big Bus Tours” を利用すると良いよと教えてもらいました。有益な現地情報を頂き感謝です。これは $66 (2014年8月現在) のチケットを買えば、終日市内を走る観光バスに乗り降りしながら各スポットを回ることができるというもの。タクシー移動も比較的安価にできるドバイなので、$66 はやや割高な印象ですが、こちらは2階建てバスで見晴らしも良さそうですし、おまけで博物館などのチケットも付いてくるので利用してみることにしました。 ドバイの市内観光は大きく2つに分けることができそうです。一つは旧市街と言いますか、昔ながらの市場を中心としたエリアを回るものと、もう一つは近年急速に発達したモダンな建築物を回るものです。Big Bus Tours はそれぞれのエリアに合わせ2つのルート設計になっており相互を自由に行き来可能です。 アラビア語で市場はスーク (Souk) と呼ばれます。ドバイには3つの有名な Souk があり、それぞれ Textile Souk (繊維品市場)、Spice Souk (スパイス市場)、Gold Souk (貴金属市場) と呼ばれています。いずれも近接しており互いにアクセスしやすい場所に存在しています。冒頭の写真は Spice Souk にて。スパイスといっても、インドのマサラとはまた違った感じですね。色もやや落ち着きがあります笑。 Textile Souk から Spice Souk または Gold Souk へ移動するには入江 (Creek) を渡る必要がありますが、このために Abra と呼ばれる小型の船が運行しています。これに乗るのもまた観光では定番のようでした。一人 1 AED (約30円) です。 ドバイはどこに行っても外国人労働者ばかりです。人口の 90% が外国人というデータもあります。 例えば、昨日のサファリツアーのドライバーはスリランカ出身、ホテルから市内まで送ってくれたドライバーはインドのケララ州出身、そして Textile Souk での買い物で対応してくれた売り手はパキスタン出身でした。ドバイの労働環境は過酷と聞きますが、それでも母国で働くよりは収入が良いので、皆家族を母国に置いてドバイで単身で働いているのでした。収入が良いといっても、そう簡単に帰国できるわけではないでしょうから、長期単身赴任です。インドのケララ出身のドライバーは1年から1.5年ごとに帰国しているとのこと。その覚悟たるやすごいなと思いました。 ところで、Textile Souk のパキスタン人とは最初英語で話していたのですが、途中で彼の仲間が輪に入って、彼らだけで母国語で話す場面がありました。なんだかヒンディーに近い響きだなと思ってインド出身かと思っていたのですが、念のため “Are you from India?” とは聞かず、”Where are you from?” と聞いてみたらパキスタンとのこと。インドとパキスタンはややこしい関係なので、インドと決めつけて質問せずに良かったと思った瞬間です笑。何しろ買い物の談笑ついでにお茶をご馳走になっていたので。 僕だって海外では頻繁に中国人や韓国人と間違われますが、最初からそう決めつけられるとやっぱり複雑な気持ちですからね。個人的に中国や韓国にネガティブな感情はありませんけれど、自分は日本人だっていつも思ってますから、大げさに言えば、自分のアイディンティティを毀損されたような気がするんでしょうね。比較的中立な僕ですらそう感じるので、パキスタン出身者にインド人かって聞いてしまったら、その場で怒り出すこともありそうです。 ドバイはアフリカ、欧州、アジアからのアクセスが良いので、本当に様々な国の人の姿を見かけました。日本やインドでも欧州、アジアからの観光客はよく見かけますが、ドバイは更にそこへアフリカからの観光客が加わり、非常に多層的な印象的でした。 そういう場所だからこそ、political correctness と言えばいいのでしょうか、国や文化の違いを意識しながらのコミュニケーションが大切になってきますよね。こちらに他意はなくとも、思わぬ一言が落とし穴になることもありそうです。こういった人種のるつぼ的な場所では、そういう部分への気配りも大切だなと、今回旅をしていて思った次第です。

ドバイ #1 – デザートサファリ

ムンバイに住んでいる間に、一度行ってみたかった場所がありました。アラブ首長国連邦はドバイです。ムンバイからは直行便で西に約3時間の距離で、その気になれば日帰りも不可能ではない距離なのです。日本からの時差は5時間、インドからは1.5時間です。 金曜日が祝日となったインド。この3連休のチャンスを利用してドバイを訪れました(このブログを書いているのは3日目の日曜日の午前です)。といっても、ドバイに来ることを決めたのは数日前。飛行機のチケットの確保とホテルの確保の後、現地に着いてからもネットで情報をかき集めながらの旅となりました。ちょっと慌ただしいですが、ガチガチに予定を組まず、その時の気分に合わせて動く旅もありですよね。 準備不足でも、カメラと衣類をバッグに入れて、パスポートを持っていれば大体なんとかなります。現金は現地の空港の ATM で引き出し、携帯電話も空港で現地の SIM カードを入手すれば電話とネットが開通です。現金と電話とネットがあれば、後は現地で大抵何とかなりますよね。それにしても、多くの国でビザ不要の日本のパスポートは本当にすごいです。 まだ8月のドバイとあって、日中は40度を超える気温で外を歩くのは大変でした。インドで暑さには多少強くなったかなと思いますが、さすがにこちらはまた次元が違いますね。もっとも移動の多くはバスやタクシーになるので、あえて外を出歩かなければ大きな問題はありませんでした。 ドバイ観光というとリゾートとショッピングのイメージが強いのですが、個人的にはそちらには興味が薄いので、初日は砂漠のドライブを楽しむことができるツアー(デザートサファリ)に参加してみました。砂漠のドライブといっても砂丘をかなりのスピードで登ったり降りたりするので、人によっては乗り物酔いになるくらいの迫力があり、4WD はまさにこのためにあるのだと実感しました。 砂漠ではちょっと風が吹いただけで、粒子の細かい砂が宙を待ってしまいます。サングラスをかけていても、その隙間から砂がよく目に入ってしまいました。中東の民、そしてラクダ、どちらもまつ毛が長いわけですが、納得です。そしてもちろんその砂は衣類の隙間にも入ってきます。中東の人々の定番である頭から下半身まで覆う民族衣装も、とても理にかなっているのですね。 砂漠地帯をドライブする途中は、所々でラクダの群れを率いて移動する人々の姿を見ることができ、そこで実際に暮らす人々の存在も実感できました。 ところで、こちらのツアーですが夜はバーベキュー付きでした。その会場のお土産屋さんでは砂を使った置物を販売していました。その場で、ガラスの小瓶の中にいろいろな色の砂を組み合わせながら、砂漠をイメージした絵と、自分の名前とラクダの絵を描いてくれるのです。 旅に出たら、モダンな観光もいいですが、現地の自然や暮らしを少しでも実感できると、思い出深い旅になりますよね。 今回の砂漠のツアーも本当に短時間でしたが、豊富に存在する砂を使って砂のアートをつくる様子や、過酷な自然環境と共存の道を模索した結果の衣装や生活スタイルから、ほんの少しだけですが、砂漠の民の姿を垣間見ることが出来ました。 以下、ご参考までにデザートサファリの概要です。 Dubai Desert Safari Tours: http://www.desertsafaritours.com/ 275 AED (8,000円弱) で、砂漠のドライブ、ベリーダンスを見ながらのバーベキュー付き。希望者はラクダにも乗れます。滞在ホテルへの送迎付き。申し込みは電話もしくはメールにて。前日でも間に合いました。

海外在住者が直面する子供の言語教育

先日、ある方と話していて興味を惹かれたテーマです。例えば外交官のように、10年周期あるいはそれ以上の周期で海外に在住する家族が直面する課題の一つが、自分たちの子供の「思考言語の選択」だそうです。選択といっても基本的には、日本語を選ぶのか、英語を選ぶのかということです。 ここでいう「思考言語」とは、普段自分が何か物事を考えるときに、無意識に選択する言語を意味しています。当然、僕の場合は日本語になります。 僕はこうした分野についての知見はないので、以下は推測による話になりますが、人は後天的に非母国語を学ぶことによって、その言葉を母国語とする人と同程度に、その言葉を使う能力を高めることは可能であると思います。したがって他者との「コミュニケーション手段としての言語」については、論理的には、努力によって後天的にいくらでも習得することは可能と言っても良いかと思います。 しかし、人が無意識に選択する「思考言語」となると(もしそういうものが存在するならばですが)、それはおそらく一つの言語に集約されるといっても良いのではないかと思います。もしかするとヨーロッパの家庭に様に、異なる母国語を話す両親に育てられた子供はまた違うのかもしれませんが、それはここでは一旦は例外としておきます。 冒頭の話に戻ると、日本人外交官の様に、長期にわたって海外業務に従事する家庭において、自分たちの子供の思考言語の選択は、子供の教育における両親の重大な意思決定であり責任の一つであるとのことなのです。「両親の」と書いたのは、子供は年齢的に自分自身でその選択をすることはできず、親が「決める」必要があるためです。そして、今の時代においては、それを日本語にするのか英語にするのかという選択に迫られているとのことでした。 思考言語の選択、つまり日本語で考えるか英語で考えるか、によってどういった違いが生まれてくるのかについては興味深い問題ですが、ややこしくなりそうなので、ここでは一旦置いておきます。ただし一般的な感覚として、言語と文化、言事と習慣が切り離せないことを考えれば、当然、日本語か英語かという選択は、その子供の将来の思考様式や行動様式を大きく左右することは想像に難くありません。 僕は英語は後天的に身につけた言語で、しかも日本語と比べるとまだその運用能力は低いので、英語による思考の世界について深く考えることはできません。しかし実際に海外で暮らしていると、当然ですが、英語による思考が自然にできることのメリットは計り知れないであろうと感じています。少なくとも、これからの時代においては、合理的に考えれば英語を選択することは自然な流れではないかと思います。 一方で、日本の文化、思考、習慣といったものは、海外で暮らしていてその素晴らしさを再認識していますし、今後も正しく継承され評価されるべきものだと思っています。そして、それらと切り離すことのできない日本語を、少なくとも日本人である以上は、自分の子供の思考言語としたいとの想いもあります。加えて、正しく使うことができれば、グローバル化する世界であるからこそ、他者と差別化するための要素になりえると信じています。 自分の子供にどちらの言葉を選択すべきか、というのは答えのない世界です。もし自分がその立場なら、子供の将来ためにどちらを選ぶのだろうと考えてしまいます。そして、これは、今はまだ長期海外在住者だけの問題かもしれませんが、そう遠くない将来に国内を拠点とする家族にとっても重要な問いになってくるだろうと思います。