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夜明けの空港にて

先日インドに来て初めてコルカタへ出張しました。朝7時のフライトにのるため、5時に家を出て、6時過ぎにチェックインです。ムンバイはインドの西沿岸ですが、コルカタはバングラデシュに面するインドの東側。2.5時間のフライト時間でした。 コルカタといえばかつてのイギリス領地時代の首都。しかし今は首都機能はデリー、商業機能はムンバイのその座を譲ってしまっています。時間があれば観光に訪れてみたいところですが、果たして残りのインド滞在期間中に叶うかどうか。個人的には東よりも、北西と南に興味があります。 北西というのはラジャスタン (Rajasthan) 州、南というのはケララ (Kerala) 州です。ラジャスタン州のジャイプール (Jaipur) は春に訪れました。気温が下がる秋以降、ジョードプル (Jodhpur) 行きを狙っています。

海外在住者が直面する子供の言語教育

先日、ある方と話していて興味を惹かれたテーマです。例えば外交官のように、10年周期あるいはそれ以上の周期で海外に在住する家族が直面する課題の一つが、自分たちの子供の「思考言語の選択」だそうです。選択といっても基本的には、日本語を選ぶのか、英語を選ぶのかということです。 ここでいう「思考言語」とは、普段自分が何か物事を考えるときに、無意識に選択する言語を意味しています。当然、僕の場合は日本語になります。 僕はこうした分野についての知見はないので、以下は推測による話になりますが、人は後天的に非母国語を学ぶことによって、その言葉を母国語とする人と同程度に、その言葉を使う能力を高めることは可能であると思います。したがって他者との「コミュニケーション手段としての言語」については、論理的には、努力によって後天的にいくらでも習得することは可能と言っても良いかと思います。 しかし、人が無意識に選択する「思考言語」となると(もしそういうものが存在するならばですが)、それはおそらく一つの言語に集約されるといっても良いのではないかと思います。もしかするとヨーロッパの家庭に様に、異なる母国語を話す両親に育てられた子供はまた違うのかもしれませんが、それはここでは一旦は例外としておきます。 冒頭の話に戻ると、日本人外交官の様に、長期にわたって海外業務に従事する家庭において、自分たちの子供の思考言語の選択は、子供の教育における両親の重大な意思決定であり責任の一つであるとのことなのです。「両親の」と書いたのは、子供は年齢的に自分自身でその選択をすることはできず、親が「決める」必要があるためです。そして、今の時代においては、それを日本語にするのか英語にするのかという選択に迫られているとのことでした。 思考言語の選択、つまり日本語で考えるか英語で考えるか、によってどういった違いが生まれてくるのかについては興味深い問題ですが、ややこしくなりそうなので、ここでは一旦置いておきます。ただし一般的な感覚として、言語と文化、言事と習慣が切り離せないことを考えれば、当然、日本語か英語かという選択は、その子供の将来の思考様式や行動様式を大きく左右することは想像に難くありません。 僕は英語は後天的に身につけた言語で、しかも日本語と比べるとまだその運用能力は低いので、英語による思考の世界について深く考えることはできません。しかし実際に海外で暮らしていると、当然ですが、英語による思考が自然にできることのメリットは計り知れないであろうと感じています。少なくとも、これからの時代においては、合理的に考えれば英語を選択することは自然な流れではないかと思います。 一方で、日本の文化、思考、習慣といったものは、海外で暮らしていてその素晴らしさを再認識していますし、今後も正しく継承され評価されるべきものだと思っています。そして、それらと切り離すことのできない日本語を、少なくとも日本人である以上は、自分の子供の思考言語としたいとの想いもあります。加えて、正しく使うことができれば、グローバル化する世界であるからこそ、他者と差別化するための要素になりえると信じています。 自分の子供にどちらの言葉を選択すべきか、というのは答えのない世界です。もし自分がその立場なら、子供の将来ためにどちらを選ぶのだろうと考えてしまいます。そして、これは、今はまだ長期海外在住者だけの問題かもしれませんが、そう遠くない将来に国内を拠点とする家族にとっても重要な問いになってくるだろうと思います。

朝の色

先週の金曜日は朝8時デリー発のフライトに乗るため、5時台にホテルを出ました。こちらの写真は朝5時半前にホテルの部屋から撮ったものです。早朝なので物静かですが日中はクルマと人で賑やかになります。 ムンバイで金曜の夜から日曜の昼間で過ごし、その夜に再びムンバイからデリーに戻りました。月曜の朝からこちらでミーティングがあったので前夜入りすることにしたのです。日本だと東京から大阪くらいであれば当日の朝に移動すれば余裕なのですが、フライトでの移動が多いインドは飛行場との往復やフライトのチェックインなどで最低でも片道移動に3時間から4時間かかるので、移動のタイミングにも気を使います。 ところで今回のプロジェクトは短期でアウトプットを出す必要があり、朝から夜まで仕事のことを考えてしまう結果、なかなか気が休まりません。ちょっと気を緩めてダラダラしようにも、頭の片隅では仕事のことが離れないです。当たり前ですが、仕事のモヤモヤは仕事を通じてしか解決できませんね。もちろんそうした環境ですので、今回もまた色々な経験が積めそうです。 余談の余談ですが、私と同様にムンバイからデリーに出張している同僚が、どこかの週末はデリーに滞在して観光しようと誘ってくれました。土日の2日間あればそれなりの場所は回れるだろう、自分もデリーはあまり知らないから、と。有り難いことです。私も以前インドを旅した時はバラナシとアグラ周辺が主でデリーは中継地点として宿に泊まった程度なのできちんと観光したことがなく楽しみです。

第二領域の世界に杭を打つ

デリーからムンバイに戻りました。といってもまたムンバイの自宅で過ごすのは週末のみで週明けからは再びデリーです。 今関わっているプロジェクトですが、プロジェクト最終日までの時間が短いため、平日は朝から夜までかなりみっちりと仕事が入ってしまいます。しかもホテル住まいという環境のため、せめて夜は自宅でゆっくりというわけにもいかず、どうしても張り詰めた気持ちが続いてしまいがちです。結果的に目の前の仕事のことで頭が一杯になりがちな毎日となっています。 しかしこうした毎日の中においても、中長期的な視点を忘れず、今の自分のあり方について振り返り、将来に向けた行動の布石を打っておきたいものです。今日の自分は数年前の自分の思考や行動の結果ですから、数年後の自分は、今日の思考と行動が大きな鍵を握っています。その時、自分が望む状態を手に入れているために、今日を意識的に過ごせたらと思っています。 今のように、直近の仕事のために必要な時間が日常の大半を占めているような状況においても、中長期的な視点を忘れないために私が意識していることは、朝起きたら手帳に書いてある自分のありたい姿を確認することと、加えてメモ書きで良いので手帳にそれに関連した自分の思考結果を書きとどめておくことです。私が尊敬するある方は「杭を打つ」という表現をよく使われていますが、まさに自分の手で思考を残すことによって、多忙な日常に流されないよう杭を打っているイメージです。 もちろんメモを書いたところで、それに付随する具体的な行動をその日に起こせるかというと難しい日も多いです。第二領域の時間はあらかじめ天引きすべし、というのは正論として理解していても、時間に追われてしまうことも現実には少なくないと思います。ですから、行動レベルで日々結果を残していくことは理想としつつも、それが難しい場合には、せめて自分の意識だけでも第二領域の世界に飛ばし思考を言語化しておくことで、自分がその世界に片足だけでも留まれるよう杭を打っておきたいのです。 写真はデリーからムンバイに戻る機上で撮影したもの。雨期のムンバイの上空はたくさんのダイナミックな形の雲に覆われていました。コンパクトな Ricoh GR は出張時でもカバンに入れておける頼もしいカメラです。

仕事の立ち上がりを早くするには

新しい仕事を始める時は、できるだけ早く立ち上がりたいものです。特に新しい仕事が自分の土地勘があまりない分野であればあるほど、立ち上がりを早くしておかなければ、不確定要素が見えないままに時間が経ってしまい、後から状況が悪化しかねません。 実は今、私がまさにその必要性に迫られています。今週から新しいプロジェクトがスタートしたのですが、なかなか時間がタイトで、きっちりと結果を出しながら、毎日着実に仕事を前進させていかなければいけない状況です。 一般的に新しい仕事を始める時は、情報収集をしっかりしたいとの誘惑にどうしてもかられます。そして色々な資料を集め読み進めるのですが、結果的にそれだけでかなりの時間を要してしまうことも多いと思います。数日経ってみても何も新しいアウトプットが出せていないという事態が起こってしまいます。 情報収集を優先する方法の大きな問題は、本来はアウトプットに必要とされない情報も集めてしまい、かつそれの理解のために時間を使ってしまうことでしょう。時間に余裕のある仕事であればこうしたやり方でも問題はないと思いますが、時間がタイトな場合は、インプットの時間を最小化しアウトプットの時間を最大化する意識と工夫が欠かせません。 インプット最小化、アウトプット最大化。そのための具体的な方法として、これまでのところ一番確実だと思うことは、最終的に必要な仕事の成果物からの逆算思考です。情報が不足していても、最終的なアウトプットのストーリーや枠組みを先に考えてから、そのために必要な情報を選択的にインプットしていく方法です。 情報が不足していて理解が足りない状況で答えをつくっていくようなものなので、もちろんハードルは高いですし、結果的に誤った枠組みをつくってしまうことも当然あり得ますが、それでも無作為に情報収集をしてから始めるよりは、確実に成果が出せる方法だと思っています。それに何より、日々、必要な成果物が着実に生まれつつあるという安心感も高いです。 新しい仕事に取り組む時は、最初から逆算思考で答えを出しに行く。これを基本原則として仕事を進めていきます。 現在デリーに滞在していますが、連日、日中の最高気温が40度を超えています。夕方になっても40度台をキープし、夜中も30度台のままの様です。幸い一日の大半をオフィスで過ごしていますが、ちょっと屋外に出るとかなりの熱気。日本ではまずなかなか経験できません。

フットワークの軽く動ける仲間の存在(シンガポール #2)

昨日から土日を利用しシンガポールに来ています。 (http://phoword.com/2014/06/unusual-weekend/) 今回の2日間限定のシンガポールの旅の始まりはとてもシンプルで、そのシンガポール在住の友人が、数名の仲間に「今度シンガポールで集まらないか」という声がけをしたことが発端です。当時それ以上は明確な目的も具体的なプランもなかったと思います。 こうした声がけを頂いた時、どんなリアクションが想定されるでしょうか。 自分にとって興味深いものであれば、少なくともまずは一旦その場では「そうだね」「いいね」という肯定的な返答が生まれると思います。実現できるかどうかは分からないけれど、実現したら面白そう。そういう本心から出てくる言葉ですよね。 しかしその後はというと、そのままどんどん時間が流れてしまい、そのアイデアはなかなか動き出しません。そして何かの瞬間にふと「あれはどうなったのだろう」と思い出すものの、そのまま結局流れてしまう。というのは実際によく経験するケースではないでしょうか(実際、私もそうした経験は多数・・・)。 アイデアが出たその場では面白そうだと思えても、それを実現させるとなると、日程の調整やプランの具体化などの負荷も大きいですから、「いつか」「今度」と言っている間にアイデアが流れてしまうことも、残念ながら少なく無いと思います。 しかし今回の場合はというと、「今度シンガポールで集まらないか」という声がけに対し、一緒にいた仲間たちは「集まります。いつにしますか」という問いで返答したのでした。そしてそのアイデアがより具体化し「XX月XX日に決まりました」という案内が流れば、数日のうちに「日程を調整出来ました」「飛行機のチケット確保しました」というやり取りが行われ、一定数の仲間が集まる結果となったのです。「面白そう」と感じた自分の正直な気持ちをそのまま放置せず、実現まで皆それぞれが動いたのです(しかもかなり短期間のうちに)。 ・・・誰もが色々な「やってみたいこと」「行ってみたいこと」を心に描いていると思います。しかし、日常の忙しさや様々な制約を理由に、実現に向けた行動を先延ばしにしてしまうのもまた事実。それでも、実際にそれが実現できるかできないかの本当のところは、まずは動いてみなければ分からないもの。分からないからこそ、とにかく少しずつ動いてみることが大切なはずです。 動いてみた結果、うまくいかないこともあると思います。しかし動いてみた結果、うまくいくこと、現実のものになっていくこともまたあるはずです。結果は分かりませんが、まずは動く。当然のことですがそれが実現に向けた最も確実で最も大切なことですよね。 そうは言いつつ、私もそうですが、なかなか自分一人では動けないことも多いと思います。そういった時に何よりも有り難いのは、フットワークの軽い仲間の存在。ちょっとしたアイデアに賛同してくれ、実現に向けた具体的な行動を着実に起こしてくれる仲間がいると、毎日がとても躍動的で彩り豊かになるように思います。今回私がシンガポールで同行させて頂いた友人はまさにそうした仲間です。彼らの存在があるからこそ、私も忙しいを理由にすることなく、自分の心に素直に実現に向けたアクションを取っていくことができています。とても有り難い存在に感謝です。

異国の地にて友と過ごす週末(シンガポール #1)

週末、土日を利用してシンガポールに来ています。金曜日の深夜にムンバイを出発し、土曜の朝、チャンギ国際空港に到着しました。 シンガポール在住の友人の声がけによって、日本そしてミャンマーから仲間が参集しました。もちろんせっかくの機会ですのでシンガポールも観光してきますが、それよりも友人たちと共に時間を過ごし語り合う時間を持つという方が目的としては強いかもしれません。インターネットを介し場所を問わず連絡を取り合う手段はいくらでも存在する今の世の中です。しかし、実際に現地で会い、共にメシを食べ、そして酒を飲みながら語り合うという直の交流は他には代えがたい価値があると感じています。特に今回は異国の地まで足を運んでの再会です。お陰でとても濃密な時間を過ごさせて頂いています。 加えて今回は、シンガポールに住み働いている方々との接点も頂きました。そうした方々から聞くシンガポールの現状や今後や、さらには外から見える日本の姿などは新鮮で、とても学びとなりました。こうした新しい視点を頂けるのは海外で人に合うことの大きなメリットの一つですよね。 今年は私自身、海外在住者という立場であるため、以前よりも積極的に海外(アジア域内)で人と会う機会を持とうとしています。これまでもフィリピン、香港といった地を訪れ、今回のメンバーを中心とした仲間との時間を持たせて頂いています。日本からインドに来る、あるいはその逆にインドから日本に行くとなるとややハードルが上がってしまい簡単ではありませんが、日本とインドの中間国を利用することで今回の様に週末を利用しての行き来も不可能ではありません。 もちろん海外で人と会うためには、ある程度の旅費を捻出しなければいけませんし、いくら土日だけを利用するといっても移動のための時間や体力もそれなりに必要になってきます。私も金曜日の夜、空港でフライト搭乗直前まで仕事をしての慌ただしい出発となることもあり、さすがに手軽な旅というわけにはいきません。 しかしそれでも実際に異国の地で友人と会うという経験は他には代えがたい魅力があります。自分たちが住む場所を離れることで普段よりも意識、精神が開放され、また現地の文化からの刺激を受ける中での会話は自由かつ未来志向で大変刺激的です。そして、そうした会話から生まれてくる、生き方や働き方に関する多様な視点は今後の自分の方向性にとてもプラスの影響を与えてくれるような気がします。 例え週末という短い時間でも、異国にて仲間と一緒の時間を過ごす。これは人生を前向きに生きるにあたって、とても効果の高い投資であると実感しています。

インドでカメラを持ち歩くのはまだ慣れない

未だにインドでカメラをぶら下げて街を歩くのは慣れていません。一眼レフなど持ちだそうものなら、最初は緊張して周りの視線を伺ってしまいます。 インドでカメラを持ち歩いているのは、観光スポットで外国人相手の写真撮影サービスを提供しているインド人(カメラは商売道具)か、あるいはその観光スポットを訪れている外国人や裕福なインド人くらいです。一度観光スポットを離れ、日常の生活圏に入ると、カメラを見かけることはほとんどありません。 従って私がカメラを持ち歩いていると、見た目の違いも手伝ってかなり目立ってしまうのです。自意識過剰かもしれませんが、外国人でカメラという格好は観光客としか見えないようで、路上の物売りや物乞いからの熱い視線を浴びることになってしまいます。もちろん他人の目など気にしては生きていけないインドですから、私もある程度は開き直って好きにさせてもらうのですが、やはり根っこは周りの目を気にする日本人。どうしても緊張してしまうのです。 ところでインドでは普段の生活圏では本格的なカメラを見かけないと書きましたが、インド人は写真を撮らないのかというとそんなことはありません。例えば街中でのパレードや何らかのイベント時には、スマートフォンのカメラで写真を撮るインド人達をよく見かけます(共和国記念日に開催されたパレードではボリウッドスターが登場し大変盛り上がっていました)。 日本では一昔前であればコンパクトカメラが活躍していたシーンだと思いますが、インドの場合、コンパクトカメラ市場の立ち上がりよりも先にスマートフォンが普及してしまったようです。日本においてもコンパクトカメラの市場はどんどんスマートフォンに取って代わられている現状を考えると、この先インドでコンパクトカメラが普及することは難しいだろうなと思います。 そう考えると、ノートパソコンに対するタブレット、インフラの必要なリアル書店に対する電子書籍など、新興国ならではの市場の立ち上がり方が想定されるものは他にも色々とあり得そうですね。 冒頭の写真は Black & Yellow Cab から。乗り心地はイマイチですが、手軽に使える日常の足として活躍してくれています。ムンバイでは定番のタクシーです。