: D600
ジョードプルで2日目の朝を迎えた。まだ気温が少し穏やかな午前、メへランガール砦 (Mehrangarh Fort) へ向かった。
メへランガール砦は旧市街地からさらに丘を10分ほどオートリキシャで登った場所にあり、ジョードプルの街が展望できる。「砦」の名前がつくように、ここはかつでジョードプルを外敵から守るための重要な拠点であったわけで、今でもその砦の上部にはかつて使われたと思われる砲台が備え付けてある。
エンペラーの会インド編の途中ですが、息抜きで9月に撮った写真から何枚かご紹介(たまには iPhone じゃなくて iPad や PC など大きめの画面でも見てみてくださいね)。
ムンバイで最も身近な Black & Yellow Cab ですが、3、4台に1台くらいの割合でこうしたレトロな車種に遭遇します。タイヤが抜けるんじゃないかってくらいフラフラと左右に揺られますが、これで結構スピードを出すドライバーもいるのでなかなかスリルがあります。最初の頃は面白がって乗っていましたが、最近はだんだん避けるようになってしまいました。
9月のガネーシャ祭り(ガネーシャ・チャテュルティ)の最終日の前日に Colaba にて撮ったもの。翌日の祭りに備えて料理を準備しているようでした。
最初とこの2枚目の写真はいずれも Fujifilm X-T1 にレンズ XF23mm をつけて撮っています。35mm換算で 35mm の焦点距離ですね。街中の散歩の時のお気に入りの組み合わせ。Fujifilm のカメラは色再現に定評があり、僕もそのカメラで撮ったカラー写真の色の出方はとても好きですが、白黒は白黒で滑らかなグラデーションが綺麗です。
自宅の近くの大通りを歩いて近所の酒屋さんまでビールを買いに行きました。インドでは Kingfisher というブランドが最も飲まれています。僕もそれをいつも飲んでいます。こちらの写真は Ricoh GR にて。コンパクトなのでいつも持ち歩けるカメラ。コントラストが高いのはあえてそう撮っているため。
9月最後の夜、土砂降りの雨が振りました。たくさんの落雷も。最近は日中は雨は降らず気温もかなり上昇してきたのでモンスーンは終わりかなと思っていましたが、まだ粘っているようです。こちらはニコンの一眼レフ D600 にて。
先日友人(羅王)にカメラの話をしたとき、僕がカメラを複数台持っていることに驚かれました。写真好きにとっては当たり前の感覚なのですが、一般的にはそうじゃないのかな、と考えてみると確かにそうじゃないのかもしれません。その時の気分と状況と、取りたい写真とで使うカメラそしてレンズを選んでます。
最近 Facebook の投稿に度々新サンマの写真が登場するようになり笑、日本に秋が到来しつつあることを感じます。食欲の秋ですね。まだ少し早いですが、木々の彩りの移り変わりも美しい季節も近づいてきました。カフェで読書なんてのもいいですね。日本人として、「秋」という響きを聞くだけで色々なものが連想できます。
モンスーンが終わりつつあるムンバイは、青空が見える日も増えてきています。そして以前よりも太陽の光がより強く届き、夕日が建物をオレンジ色に照らすようになりました。といってもこちらは湿度が高いせいか、日本の秋空のような、透き通るような青や辺り一面が染まるような赤ではありませんけれど、それでも毎日どんよりとしていたこれまでの数ヶ月よりはずっと良いですね。
そんなことを考えながら以前撮った写真を見返していました。何気なく撮った写真ででも、今見返すと、うーむ、日本はいいなぁと改めて思うものばかり。
ムンバイは一年を通じて温暖な気候なので、モンスーン以外に自然を通じて季節を感じるものもがあまりありません。旬の食べ物も聞いたことがありませんし(きっとあるのでしょうが)、もちろん紅葉もありません。
僕がムンバイに生まれていたら(インドは広いのでムンバイに限定)、秋に対してどんなイメージを持っていたんだろうと思います。秋 (Autumn) という季節があることは知っている。夏の終わりと冬の始まりの間にあることは知っている。それは雨季が終わる時期で、そしてディワリ(インド最大のお祭)の時期だ。そんな感じなんでしょうか。
春には桜を愛で、夏には緑いっぱいの自然を満喫し、秋には紅葉を楽しみ、そして冬には雪が降る日本。いいですね。本当にいいなと思います。
別にホームシックになってるわけじゃありません、まだまだインドで頑張れますよ笑。
ムンバイに住んでいる間に、一度行ってみたかった場所がありました。アラブ首長国連邦はドバイです。ムンバイからは直行便で西に約3時間の距離で、その気になれば日帰りも不可能ではない距離なのです。日本からの時差は5時間、インドからは1.5時間です。
金曜日が祝日となったインド。この3連休のチャンスを利用してドバイを訪れました(このブログを書いているのは3日目の日曜日の午前です)。といっても、ドバイに来ることを決めたのは数日前。飛行機のチケットの確保とホテルの確保の後、現地に着いてからもネットで情報をかき集めながらの旅となりました。ちょっと慌ただしいですが、ガチガチに予定を組まず、その時の気分に合わせて動く旅もありですよね。
準備不足でも、カメラと衣類をバッグに入れて、パスポートを持っていれば大体なんとかなります。現金は現地の空港の ATM で引き出し、携帯電話も空港で現地の SIM カードを入手すれば電話とネットが開通です。現金と電話とネットがあれば、後は現地で大抵何とかなりますよね。それにしても、多くの国でビザ不要の日本のパスポートは本当にすごいです。
まだ8月のドバイとあって、日中は40度を超える気温で外を歩くのは大変でした。インドで暑さには多少強くなったかなと思いますが、さすがにこちらはまた次元が違いますね。もっとも移動の多くはバスやタクシーになるので、あえて外を出歩かなければ大きな問題はありませんでした。
ドバイ観光というとリゾートとショッピングのイメージが強いのですが、個人的にはそちらには興味が薄いので、初日は砂漠のドライブを楽しむことができるツアー(デザートサファリ)に参加してみました。砂漠のドライブといっても砂丘をかなりのスピードで登ったり降りたりするので、人によっては乗り物酔いになるくらいの迫力があり、4WD はまさにこのためにあるのだと実感しました。
砂漠ではちょっと風が吹いただけで、粒子の細かい砂が宙を待ってしまいます。サングラスをかけていても、その隙間から砂がよく目に入ってしまいました。中東の民、そしてラクダ、どちらもまつ毛が長いわけですが、納得です。そしてもちろんその砂は衣類の隙間にも入ってきます。中東の人々の定番である頭から下半身まで覆う民族衣装も、とても理にかなっているのですね。
砂漠地帯をドライブする途中は、所々でラクダの群れを率いて移動する人々の姿を見ることができ、そこで実際に暮らす人々の存在も実感できました。
ところで、こちらのツアーですが夜はバーベキュー付きでした。その会場のお土産屋さんでは砂を使った置物を販売していました。その場で、ガラスの小瓶の中にいろいろな色の砂を組み合わせながら、砂漠をイメージした絵と、自分の名前とラクダの絵を描いてくれるのです。
旅に出たら、モダンな観光もいいですが、現地の自然や暮らしを少しでも実感できると、思い出深い旅になりますよね。
今回の砂漠のツアーも本当に短時間でしたが、豊富に存在する砂を使って砂のアートをつくる様子や、過酷な自然環境と共存の道を模索した結果の衣装や生活スタイルから、ほんの少しだけですが、砂漠の民の姿を垣間見ることが出来ました。
以下、ご参考までにデザートサファリの概要です。
Dubai Desert Safari Tours: http://www.desertsafaritours.com/
275 AED (8,000円弱) で、砂漠のドライブ、ベリーダンスを見ながらのバーベキュー付き。希望者はラクダにも乗れます。滞在ホテルへの送迎付き。申し込みは電話もしくはメールにて。前日でも間に合いました。
昨晩デリーから戻り、今日は久しぶりに終日仕事もなく羽を伸ばしました。雨期のムンバイですが天候は穏やかにやや曇りの一日。せっかくなのでカメラを手に街へ。中央郵便局から世界遺産にも指定されている CST (Chhatrapati Shivaji Terminus) を経由し、そこからさらに海岸沿いのビーチへ行き、またまた移動して Bandra というムンバイやや北寄りのエリアへ。汗もたくさんかいて、リフレッシュできました。
それにしても、どこへ行っても、人、人、人のムンバイです。東京の新宿や渋谷も週末の人の波は相当だと思いますが、こちらも負けていないというか、勢いや騒々しさとしては明らかに一つ上の次元です。国全体の平均年齢は、日本の40代中盤に対し、インドはまだ20代ですし、物売りの声、クルマのクラクション、そしてこの時期のムンバイ特有の湿度の高い熱気が加わって、ものすごいエネルギーを感じます。
この圧倒的なばかりのエネルギーは、私が感じるインドならではの要素の一つで、インドを知らない日本の方にはぜひ一度経験してもらいたい!と常々思っているものです。
しかし一方で住居者としては、こうした中で日常を送るのは、なかなか大変な面もあります。これはあくまでも日本人としてということになりますが、一言で言えば、落ち着く場所がほとんど見つからないという感じなのです。日本であれば新宿や渋谷といえど、少し場所を選べばほっと一息ついて気を休められる本屋やカフェなどがあったりするものですが、ムンバイの場合、そうしたスポットがほとんどありません。
もともと私は休日は静かに読書をして過ごしたいような性格なのですが、ムンバイではどこにいてもザワザワした感じが続くので、なかなか気を休めるのが難しいのです。幸い今のムンバイの自宅が唯一そうした場所として機能してくれていますが、自宅以外に自分が落ち着ける場所がない、というのは長期滞在する上ではちょっと残念な点ではあります。
・・・まだ人通りの少ない晴れた休日の朝、家を出て静かで落ち着いたカフェに。美味しいブラックコーヒーを飲みながら、お気に入りの本をじっくり読み物思いにふける・・・そんな日もあったなぁと遠い目になる今日このごろです笑。
せっかくの機会なので今日見てきたムンバイの様子を写真でご紹介しました。日本にも戦後、こんな時代があったのでしょうか。このエネルギーは先進国ではなかなか感じられません。
今働いている出張先のオフィスはどうやらビル全体での電力供給力が不十分な様で、頻繁に停電が起こります。朝から夕方までの滞在中、昨日は4回、本日も2回の停電を経験しました。また、ムンバイで私が住んでいるアパートも時々停電が発生し、回復まで長い時で1時間以上かかったこともあります。
オフィスでの事務作業ならその影響は軽微ですが、インドへの工場進出を検討する外資系企業にとっては、インドの停電リスクは工場進出の判断の是非に影響を与える大きな懸念事項の一つのようです。
しかし当のインド人たちは停電にはすっかり慣れているようで、停電が起きてもまったく無反応のまま仕事を続けます。日本でしたら停電によって部屋が真っ暗になれば、動揺はしないまでも、ちょっと手が止まって状況を見守るような反応が出て当然ですが、こちらでは本当に何ごともなかったかのようにすべてがそのまま進行していきます。単に慣れの問題でしょうが、最初にその光景を見た時はなかなかタフだなあと感心してしまいました。
タフなインド人という観点でもう一つのエピソードをご紹介します。
インドでのビジネスパーソンにとっては、タクシー移動中にラップトップを開いて仕事をすることは珍しくありません。昨日の記事にも書いたとおり、渋滞の多いインドではタクシーでの移動に1時間以上かかることが多く、移動時間も仕事の稼働時間として組み込まなければいけない事情があるからです(余談ですがインドはタクシーが非常に安いので1時間乗っても1000円程度)。
それくらい日本でもやっている人はやっているよ、と思われるかもしれません。実際私も日本で働いていた時はそうした事もありました。
しかしここはインド。日本よりもずっと道路状況は悪く路面はデコボコしていますし(たまに穴が空いています)、運転マナーもそこまで良くないので急な加速、停止、追い抜きの連続です。つまりタクシーに乗っている間は、とにかく前後左右くわえて上下への揺れが続くのです。そうした状況でパソコンの文字を読もうものなら、数分で車酔いになってしまいます(なりました)。
それでも仕事ができるのがインド人ビジネスパーソンなのです。実際、先月まで一緒に働いていた同僚は、「慣れれば大丈夫」と平然とタクシーで仕事をしているようでした。
新興国であるインドでは、まだまだインフラの整備はこれからの課題です。上記に挙げたような電力事情あるいは道路事情以外にも、様々な部分に課題を抱えています。しかしそれでも、こちらの優秀なビジネスパーソン達はそれらをものともせず仕事をして成果を出しています。さらには流暢な英語を使い海外企業を相手にどんどんビジネスを展開しようとしています。こうした側面を見ていると、日本人として危機感を覚えるとともに、自分も負けずに頑張らなければとの思いを強くするのです。
前回の記事の更新が3月末でしたので、2ヶ月以上の空白期間を経て、こちらの記事を書いているところです。こちらでの仕事が忙しくなったのも理由の一つですが、加えて、このブログの立ち位置というかあり方について自分の中でうまく整理ができず、筆が止まってしまっていました。
この2ヶ月ほどの間に起こった事というと、インドでは複数のプロジェクトを経験し、週末を利用して日本の友人たちと東南アジアを中心としたいくつかの国を視察し、また久しぶりに短期間ながらも日本への一時帰国を果たしました。ブログの更新は止まっていたものの、充実した時間を過ごせていたように思います。
既に6月に入り海外生活も半年になろうとしています。まだ半年と言うべきか、もう半年と言うべきか難しいところですが、半年前の自分と今の自分とを比べ明らかに変わったことといえば、自分が日本人であることが強く意識されるようになった事ではないかと思います。インドという異国の地で生活し仕事をするため、その土地の人々の世界観や価値観をできるだけ理解しようと努めれば努めるほどに、日本人である自分が持っている世界観や価値観との違いが浮かび上がってきました。
例えば、「自分が発する言葉」に対する意味合いの違いといったものも、日本とここインドでは随分と違うものです。日本は自分の言葉に対する責任感が強い一方、それに引きづられる傾向がある(武士に二言はないの世界)。しかしインドでは状況が変われば自分の発言もリセットし新しい枠組みを構築できるような柔軟性を感じます。
こうした文化や社会における価値観や世界観の違いという視点を持って、インド以外の国を訪れてみると、やはり同じような気付きや発見があります。日本に生まれ育ってきた結果自分の体に染み込んでいる様々な「日本的なもの」が日本を離れることによって初めて明確に意識できるようになったのかもしれません。
加えて面白いのは、日本へ一時帰国をしてみても、以前は当たり前のものとして気付かなかった「日本的なもの」の存在をあちこちに感じることです。海外で暮らすという経験が、それらに対する感度を上げたのではないかと思っています。
まとまりの話になりましたが、冒頭に書いたこのブログのあり方については、自分でもまだどういう方向性に持って行きたいのかは明確に分かっていません。ただしブログのタイトル Phoword に “Moving forward through photos and words” という意味を込めた様に、写真と言葉で世界を切り拓くという軸はブラさず、自分の思考を残しておきたいと思っています。