#X-T1

Five years

プロジェクトベースの仕事という性質上、年間を通じての季節感はあまりないものの、桜の咲くこの時期は節目の季節。もうすぐ今働くコンサルティングファームに入社して満5年。そして社会人満5年。ファームに入った頃は3年続くかどうかと思っていたけど、なんだかんだ楽しくエキサイティングに仕事させてもらっていて、有り難いこと。

昨日は横浜にて博士時代からの仲間の勉強会に参加。これも数ヶ月に1回の頻度で開催を続け、今年の秋に5周年。こうして継続的に同じメンバーで集まり続けることができるのは素晴らしいね。集まってくれている皆に感謝。

Monochrome in Shinjuku Gyoen

2012年の終わり頃から フジフイルムのカメラ(X シリーズ)を愛用している。

今使っているのはレンズ交換タイプの X-T1 と、光学ファインダー付きでレンズ固定の X100T の2台。Xシリーズに出会ってから他のカメラをほとんど使わなくなり、ニコンのフルサイズ一眼レフも手放してしまった。

日常生活の何気ない瞬間、散歩中に街中で出会う風景、あるいは旅先での美しい景色。静かに心と対話しながら写真を撮りたい時、Xシリーズはそれに応えてくれる気がする。

このカメラで撮れる世界をもっと撮ってみたい。

 

片道切符

Fujifilm X-T1 with XF35mm F1.4R

 

帰国日が決まり、国際線の片道切符を買いました。

昨年12月、僕は成田からムンバイまでの国際線の片道切符を買いインドでの生活をスタートしたわけですが、それから約一年が経ち、今回はそれを補う形でムンバイから成田までの片道切符を買ったことになります。

 

日本国内の電車での移動ならまだしも、国際線のフライトチケットで片道切符を買うというのはなかなか経験できるものではないと思います。その切符には、しばらく日本に帰らず海外で暮らすという決意が込められているわけですから。

一年前にインド行きの片道切符を買った時は、もちろん新しい生活への期待も高かったた一方、同時に不安も大きかったです。以前に観光者としてインドを訪れたことがあったとはいえ、長期滞在でしかも仕事をするとなると話は別。自分にどんな生活が待っているかなど想像できませんでした。そして実際に待っていた生活は、日本では経験できない「異常値」の経験ばかりでありましたが、その意味では、期待通り、想像通りだったとも言えます。

インドで一年過ごして自分の中で何が変わったのか、という質問をされたら何と答えようかなと考えていたのですが、今出てくる答えとしては、「自分が受け入れることのできる世界がずっと広くなった」ということかなと思っています。異常値に出会った時、それに反発したり無視するのではなく、それも世界のあり様の一つなのだと理解し受け入れられるようになったと思います(仮に納得出来ないとしても)。

同時に一種の安心感を覚えました。この地球には本当に色々な世界が存在していて、自分が生きていく場所はたくさんあるんだなという事が、体全体で理解できたような気がします。もちろんこれはインドで生きていくとかそういう直接的な意味ではないのですが、世界はとても多様で、色々なことを許容してくれるんだという事が信じられるようになりました。

インドでの学びについては今はこれ以上は書かないでおきますが、日本に戻った後、折にふれて何度も振り返っていきたいと思っています。

 

インドに住み始めてからも何度か日本に帰国しています。ただし、いずれの場合もチケット予約画面では “Return” にチェックし往復の日付を指定して買っていました。それが今回は “One way” にチェックしし片道の日付のみを指定。到着地はもちろん Tokyo です。予約が完了した時、そうか自分は日本に帰るのか、という実感が湧いてきました。

ムンバイでの生活に名残惜しさもありますが、やはり自分の国に帰るというこの感じはなかなか良いものです。今回の片道切符ですが、自分にとっては日本での生活に戻るというよりも、日本での「再スタート」のような感じがしています。

アジアの西の果てとヨーロッパの東の果て

 

長期休暇を取得しトルコとギリシャを周っていました。どちらも初めての訪問でしたが、長い歴史の積み重ねを感じさせる重厚な場所でした。

 

中でもトルコはイスタンブールといえば、黒海とエーゲ海とをつなぐボスポラス海峡の両岸に亘って存在するわけですが、海峡の東側をアジア、西側をヨーロッパと見なすならば、イスタンブールはアジアにとっては最も西にあり、ヨーロッパにとっては最も東にあるとも言えます。

ヨーロッパとアジアそれぞれの民族や国家はこのボスポラス海峡を何度も渡りながら交流しまた覇権を争ってきたわけで、歴史上、常に重要な役割を担ってきた場所。

今はイスラム教の国だけあって、1日5回の礼拝の時間を知らせるアザーンが流れるこの街に滞在し、数々の遺産を廻りながらその歴史の変遷に思いを巡らしました。

 

僕は学生時代は世界史に関しては全く出来の悪い学生でしたが、実際にその歴史が作られた場所に訪れ五感を通じてその場所を体験すると、すべてのストーリーがリアルに感じられ、点と点が線として繋がってとても面白いですね。もっと学んでみたくなります。

滞在の過程で様々な刺激を受け色々と考えさせられましたが、まだうまく言葉にでてきません。少しずつ整理していけたらと思います。

 

冒頭の写真はイスタンブールのスルタンアフメット・モスク (Sultanahmet Camii)、通称ブルーモスクです。モスクの美しさに気づくことができたのも、今回の旅の実りの一つ。今回の旅路で撮った写真も合計2000枚を超えましたので、こちらも少しずつご紹介していけたらと思います。

習熟の基本は言語化にありとあらためて思う

最近時間があると、以前にもまして Flickr を始めとする写真サイトや、フォトグラファーのブログや、あるいは実際に出版された写真集をよく見ています。何をしているかというと、第一に自分が好きだなと思える作品を見つけることと、第二にそれがなぜ好きだと思ったのか考えること、そして第三にそれを自分で再現するためにはどうすればいいのかを考えることです。

ここで今までの自分を振り返ると、第一ステップの次にいきなり第三ステップを目指そうとしていたのではないかと思うのです。素敵だなぁとかカッコいいなぁと思う写真を見つけた時、自分もそんな写真を撮れるようになるためには何をしたらいいかなと考えていたと思うのです。

ただし最近は、その間のステップ、つまりその写真がなぜ好きなのか考えるというステップを意識して組み込むようにしています。そして、特に重要なのは、好きという漠然とした感情をできるだけ細かい言葉に落としこむことだと思っています。

例えば、その写真の対象となっている主題(人物や風景など)が気に入ったのか、気に入ったとしたらなぜなのか。構図に魅せられたのか、だとしたら何がポイントなのか。あるいはその写真の色の表現の仕方やコントラストの出し方が好きなのか。色の表現が好きなのだとしたら、色相や彩度に分けるとどういうことなのか。コントラストが良いのだとしたら、ハイライトからシャドウに至るまでどういう変化なのか。

・・・等々、挙げだすとキリがありませんが、写真を構成するこうした個々の要素に分けて自分の言葉に落としこむことによって、「好き」という漠然とした感情で終わらずに、その次のステップである「自分で再現するためにはどうすべきか」という問いに具体的に答えるための材料が生まれてくるのだと思います。その材料をきちんと揃えることができてはじめて、それを表現するための手法とその学習方法がより具体的に見えてくるでしょうし、実践することもできると思うのです。

もちろん芸術表現の一つである写真について、こうした科学的なアプローチが全てだとは思いません。本人が明確に言葉にできないにも関わらず素晴らしい作品が生まれるというケースは芸術の世界では珍しくないことだと思います。とはいえ、そうした才能や資質に依存せずに少しでも今よりも良い写真を撮りたいと思うならば、「言語化」はとても大切なプロセスだと思うのです。

本来はどんな分野においても、その分野での習熟を目指すならばこのプロセスを踏むことは当然のことと思います。曖昧なままでなく言葉に落として要素に分解して、正しい理解のもとステップを踏んでいくことが重要であるはず。ただし写真の場合、それが一見すると感覚的な分野であるがために、その学習も感覚的になってしまいがち。ですがちゃんと考えるとやはり言語化というものは重要で、それは分野を超えた基本中の基本なのだなとあらためて思ったのです。

・・・などと分かったように書いていますが、まだまだ写真はヘッポコなので引き続き、言語化を意識しながら精進します。。。

Photo of the day
  1. Jodhpur, 2014 / Fujifilm X-T1 / VSCO Film

青い街 ジョードプル 訪問記 #3

Jodhpur; Fujifilm X-T1

 

ジョードプルで2日目の朝を迎えた。まだ気温が少し穏やかな午前、メへランガール砦 (Mehrangarh Fort) へ向かった。

メへランガール砦は旧市街地からさらに丘を10分ほどオートリキシャで登った場所にあり、ジョードプルの街が展望できる。「砦」の名前がつくように、ここはかつでジョードプルを外敵から守るための重要な拠点であったわけで、今でもその砦の上部にはかつて使われたと思われる砲台が備え付けてある。

盟友ムンバイへ来たり(エンペラーの会) #9 – ドビー・ガート

Dhobi Ghat, Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF23mm F1.4R

 

これは「エンペラーの会インド編第8話」からの続きである。

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羅王、ザッキーニ、マッチの珍道中を書いているとなかなか話が進まないのが今回のシリーズの悩みである。ブログを読んでくれているムンバイの複数の友人からも「魅力的な仲間ですね」とのコメントを頂いている。確かに「魅力的」ではあるし、彼らのような仲間がいてとても恵まれていると思う。ただし「会ってみたいです」とは誰も言ってくれないのは、やはり何か問題があるのかもしれない。日本語はオブラートに包んで表現するものだ。

既に9話目だが、今日は土曜日の話だ。つまり木曜日に羅王とザッキーニが到着し、金曜日にマッチが到着し、全員でムンバイを観光する土曜日である。前回の記事に書いたように今日はいくつかのポイントを回ったのだが、個々については詳細は書かない。もしご興味を持たれる方がいれば羅王のブログをご覧頂きたい。「インド5弱の衝撃!8年ぶりに行ったインドの話 その7」によくまとまっている。

ムンバイの日常 (9月)

エンペラーの会インド編の途中ですが、息抜きで9月に撮った写真から何枚かご紹介(たまには iPhone じゃなくて iPad や PC など大きめの画面でも見てみてくださいね)。

 

Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF23mm F1.4R; Post-processed

ムンバイで最も身近な Black & Yellow Cab ですが、3、4台に1台くらいの割合でこうしたレトロな車種に遭遇します。タイヤが抜けるんじゃないかってくらいフラフラと左右に揺られますが、これで結構スピードを出すドライバーもいるのでなかなかスリルがあります。最初の頃は面白がって乗っていましたが、最近はだんだん避けるようになってしまいました。

 

Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF23mm F1.4R

9月のガネーシャ祭り(ガネーシャ・チャテュルティ)の最終日の前日に Colaba にて撮ったもの。翌日の祭りに備えて料理を準備しているようでした。

最初とこの2枚目の写真はいずれも Fujifilm X-T1 にレンズ XF23mm をつけて撮っています。35mm換算で 35mm の焦点距離ですね。街中の散歩の時のお気に入りの組み合わせ。Fujifilm のカメラは色再現に定評があり、僕もそのカメラで撮ったカラー写真の色の出方はとても好きですが、白黒は白黒で滑らかなグラデーションが綺麗です。

 

Mumbai;
Ricoh GR

自宅の近くの大通りを歩いて近所の酒屋さんまでビールを買いに行きました。インドでは Kingfisher というブランドが最も飲まれています。僕もそれをいつも飲んでいます。こちらの写真は Ricoh GR にて。コンパクトなのでいつも持ち歩けるカメラ。コントラストが高いのはあえてそう撮っているため。

 

Mumbai;
Nikon D600 with AF-S 24-70mm F/2.8G; Post-processed

9月最後の夜、土砂降りの雨が振りました。たくさんの落雷も。最近は日中は雨は降らず気温もかなり上昇してきたのでモンスーンは終わりかなと思っていましたが、まだ粘っているようです。こちらはニコンの一眼レフ D600 にて。

先日友人(羅王)にカメラの話をしたとき、僕がカメラを複数台持っていることに驚かれました。写真好きにとっては当たり前の感覚なのですが、一般的にはそうじゃないのかな、と考えてみると確かにそうじゃないのかもしれません。その時の気分と状況と、取りたい写真とで使うカメラそしてレンズを選んでます。

盟友ムンバイへ来たり(エンペラーの会) #5 – マッチ

Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF35mm F1.4R

 

これは「エンペラーの会インド編第4話」からの続きである。写真は今回の記事とは無関係だが以前 Colaba Causeway にて撮ったもの。

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金曜日の朝を迎えた。本来は羅王とザッキーニに付き添いたかったのだが、僕は仕事が入ってしまっていた。事前に分かっていたことなので、今日一日はクマールに観光案内をお願いしていた。もっともそれはクマールの本職であるから僕が案内するよりも羅王とザッキーニにとってプラスの面も大きいはずだ。

盟友ムンバイへ来たり(エンペラーの会) #3 – ザッキーニ、インド着

これは「エンペラーの会インド編第2話」からの続きである。

21:00 を回った。第2の男がまもなく到着予定だ。彼は成田からシンガポール経由でムンバイへ向かっている。シンガポールのチャンギ国際空港経由となると片道 15 時間前後の道のりだ。僕も以前この経路で日本との往復をしたことがある。夕方に日本を出て深夜にシンガポールに到着、ムンバイには明け方に着くという便だった。これだけの時間をひたすら移動に費やすというのはなかなか大変であり、まさにこんな感じになる(チャンギ国際空港にて)。

 

Singapore;
Fujifilm X-T1 with XF35mm F1.4R

 

Sula Vineyards にてワインテイスティング

Sula Vineyards near Nashik, Maharashtra;
Fujifilm X-T1 with XF23mm F1.4R

 

週末、少し足を伸ばしてインドのワイナリーへ行ってきました。その前日に Wasabi にご一緒頂いた友人からのお誘いです。

インド産のワインの存在はこちらに来るまで知らなかったのですが、レストランのメニューで度々目にするので、何度かグラスで飲んだことがあります。失礼な言い方ですが、インドの気候でワインが作れるとは思わなかったので、飲んでみて結構ちゃんと作るなあと思っていました。

 

 

今回訪れたワイナリーは Sula Vineyards というところ。それはムンバイから 170km ほど北東にある Nashik という街のすぐ近くにあります。運転手付きのタクシーを貸し切り、朝7時前にムンバイを出発。途中多少の寄り道をしながら現地についたのが11時半ころでした。モンスーンの時期とあって、ムンバイから少し郊外に出ると緑が広がる場所も多く、目の保養になりました。

 

Sula Vineyards near Nashik, Maharashtra;
Fujifilm X-T1 with XF35mm F1.4R

 

Sula Vineyards の創業者 Rajeev Samant はスタンフォード大学を卒業し Oracle に務めた後、インドに帰国後。農業を営む実家の土地がワインづくりに適していると気付き、1999年にワイナリーを立ち上げたとのことです。まだ15年前の話ですが、今では日本にも輸出されている程のブランドに成長しています。すごい。

 

Sula Vineyards near Nashik, Maharashtra;
Fujifilm X-T1 with XF35mm F1.4R

 

このワイナリーでは1時間おきにツアーを実施しており、ワイン工場の見学と実際にその工場で生産されたワインのテイスティングが可能です。ワイン4杯までのテイスティングが 150ルピー、6杯までのテイスティングが 250ルピーと2つのオプションがありましたが、もちろん6杯で参加です笑(といってもテイスティングなのでグラスの底に軽く注がれる程度です)。

ワインのテイスティングなるものに参加したのは実は今回が初めてですが、複数のワインを飲ませてもらうと確かに色々な違いの発見があって面白いですね。日本に帰ったらもう少し勉強してみたくなりました(いつもワインを頼むときは品種もブランドも分からずおまかせで済ましてしまっていたので・・・)。

 

Sula Vineyards near Nashik, Maharashtra;
Fujifilm X-T1 with XF23mm F1.4R

 

夕方に現地を出発。ムンバイに戻ったのが夜の8時頃です。社会勉強にもなりましたし、良い気分転換にもなりました。お誘い下さった S さん、どうもありがとうございました!

 

参考リンク: Sula Vineyards

写真

今回の写真はすべて Fujifilm X-T1 にて撮影。レンズは FUJINON XF23mm と XF35mm です。現在ドイツでは Photokina 2014 が開催中。どんなカメラが登場するのか、楽しみですね。

ガネーシャ・チャテュルティ

Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF23mm F1.4R

 

ここ一週間ほどの間、ムンバイはなかなか騒々しい毎日でした。

先々週の土曜日から本日月曜日までの10日間、インドはガネーシャ・チャテュルティ (Ganesha Chaturthi) と呼ばれるガネーシャを祭り上げる祭典の中にありました。中でもムンバイはそれを盛大にやる都市であると聞きました。

僕もこの祭りのことはよく知らないのですが、この期間中、人々はガネーシャを持ち寄ってムンバイの海岸 (Chowpatty) に投げ込むということと、夜はダンスミュージックを大音響でかけながら街を練り歩くということは学びました。

ガネーシャといえば、象の顔をした有名なヒンズー教の神様ですが、ヒンズー教の最高神の一人であるシヴァとその妻パルバティーの子供として生まれました。父の顔を知らないガネーシャはパルバティーの頼みで家の見張りをしていたのですが、そこへシヴァが帰宅。父シヴァは家に入れまいとするガネーシャに怒り心頭し、首を切り落として遠くへ投げ捨ててしまいます。その後、それが自分の息子だとパルバティーから聞いたシヴァは首を探すのですが見つからず、代わりに象の首をガネーシャに据え付けました。そして、そのまま現在に至る、です。

すごい話です。

そのガネーシャですが、インドではすっかり人気者で、日本でいうところの招き猫のような商売繁盛の神様として崇められています。家々にはガネーシャが祀られ、タクシーに乗ればガネーシャのミニチュアがダッシュボードの上に置かれ、観光地に行けばガネーシャの置物が大量に売られています。シヴァよりも人気があるのは間違いありません。

 

Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF23mm F1.4R

 

どうやら今回のガネーシャ・チャテュルティは、そんなガネーシャを祀るお祭りのようなのです。

これは異文化体験としては非常に興味深いものなのですが、困ったことに、連日かなりの盛り上がりを見せてしまっていたのです。踊り好きのインド人。様々なガネーシャを載せたトラックと共に、道路に大音響のトランス・ミュージックをかけ、またバクチを鳴らしながら、夜の10時あるいは11時くらいまで外で踊りまくっていました。なかなかの近所迷惑です笑。それでも、まあインドだしね、の一言で全てが納得できてしまうのですが。

ようやく今晩でガネーシャ・チャテュルティも最終日を迎え、また明日から静かな夜が迎えられそうだとほっと一安心です。

インドにおけるモノづくりという話

Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF27mm F2.8

 

モディ首相の来日に合わせ、連日、日印関係の強化に関する話題でニュースが盛り上がっています。その中で9月3日の日経朝刊に「インドでモノづくりを」という記事が掲載されていました。以下、同記事からの引用です。

モディ氏は約2000人の聴衆を前に「インドには低コストで質の高い労働力がある」と指摘、「メーク・イン・インディア(インドでものづくりを)」という政権が掲げるキーワードを繰り返した。特に中堅・中小企業の進出に期待を寄せ、「日本の中小企業は、インドの大企業と同程度の力を持っている」と述べた。

 

これを受けて、インドにおける日本流の「モノづくり」とは果たして可能なのだろうかと考えてみました。以下、あくまでも個人的な感覚や経験に基づく主観ですので、ご留意を。

 

そもそも日本流の「モノづくり」とは何なのでしょうか。

これに関しては既に多くの考察がなされているので、素人に近い僕が見解を述べられる立場ではないのですが、それを可能たらしめている重要な要素の一つとして、製造現場に蓄積された高度なスキルやノウハウが挙げられると思います。なかでも形式知化が困難な、現場に暗黙知として蓄積されたスキルやノウハウが非常に重要な役割を担っているのだと認識しています。

もちろん他にも、日本のモノづくりたらしめる要素は存在するはずですが、ここでは話を簡単にするために、そうした暗黙知的なスキルやノウハウの存在が日本のモノづくりの要件の一つであるとして、それに絞って話を進めたいと思います。

さて、こうした暗黙知的なスキルやノウハウは、その定義により、属人的な性質を持つはずです。属人的で暗黙知である以上、現場で働く方々が、中長期的な時間軸で習得し、また継承していくものだと思います。言い方を変えれば、その現場で働く方々が、中長期的な時間軸で、その現場に留まり続けることが前提条件になっているとも言えます。

 

ここで、インドにおける日本流のモノづくりについて考えてみると、その最大の課題は、雇用したインド人に中長期的な時間軸で現場に留まってもらい、暗黙知的なスキルやノウハウを十分に吸収し活用してもらうこと、ではないかと思っています。

私は他の新興国の事例を知らないのですが、ことインドの中間層においては離職率がどうやらとても高いのです。あくまでも僕の感覚によるものですが、ちゃんとデータを調べても、やはり高いのではと推測します。

例えば今インドで僕が住んでいるアパートは、常時交代で、受付にスタッフが在席しているのですが、このスタッフの皆さんの顔ぶれが毎月入れ替わるのです。おそらく全員で5から6名程度のスタッフが勤務しているはずですが、その顔ぶれがどんどん入れ替わる。本当にコロコロと仕事を変えてしまうのです。顔見知りになったなと思ったら、いつの間にかいなくなってまた新しいスタッフが常駐している。日本のアルバイトのスタッフの方がまだ長くいるんじゃないかと思うくらいの入れ替わり方です。

こうした事例はこちらに住んでいる他の日本人からもよく聞きますので、おそらくインド人の中間労働者層の就業観として、全般的にそうなのではと推測します(もちろん一定層以上のビジネスパーソンになるとまた話は別です)。つまり、少しでも今よりも条件が良い仕事が見つかればすぐに移ってしまう、あるいは今の仕事に少しでも不満があれば辞めてしまう、そんな印象を受けています。そしてこれはインドの製造現場でも同じような状況ではないかと想像します。

 

従って、日本企業が日本流のモノづくりをインドに移管しようとした時、大きな壁となってくるのがこの離職率の高さではないだろうかと思っています。せっかくスキルやノウハウを教育しても、それが身につく前に仕事を辞めてしまうリスクが非常に高いのではと思うのです。当然、それを防ぐために、他企業よりも給与面や待遇面を手厚くすることで、ある程度の離職は避けられると思います。しかし、良くも悪くも個人主義の強いインドの方々を見ているとそう話は単純ではないだろうなと、あくまで直感的にですが、感じています。

ただし、これまでも日本企業は中国や東南アジアに、日本流のモノづくりのあり方を広めてきた実績はあるわけですから、うまいやり方はあるのかもしれません。それらについては僕は具体的なストーリーを知っているわけではないのでコメントできませんが、これまでの他国への製造移管のノウハウを結集すれば、インドへの移管もできるのかもしれません。

そしてもちろんのことながら、これだけ文化が違うので、こうしたハードルが存在するのは当たり前のこと。その前提で、インドにおける製造の意味やあり方について吟味し、試行錯誤しながら、手探りでインドにおける日本のモノづくりを進めていけば良いのだと思います。

インドで製造するということは、コスト競争力やインド市場の獲得以上の意味が存在すると思います。具体的には、中東やアフリカといった更に西側の市場へのアクセスです。ムンバイに住んで実感していますが、こうした西側への拡がりが具体的にイメージできるのがインド(特にムンバイなどの西側の都市)なのです。そうした中長期的な視野で、インドをどう活用するのか、という部分が今後の面白いところかなと思います。

ドバイ #3 – ブルジュ・ハリファ

From At the Top, Burj Khalifa, Dubai;
Fujifilm X-T1 with XF18-55mm F2.8-4 R

 

せっかくドバイに来たので定番中の定番ですが、世界一高い高層ビルである、ブルジュ・ハリファ (Burj Khalifa) にも登りました。全高 828m とのことです。市内を巡っていてもこの建物の存在感は圧倒的で、まさにドバイのランドマークですね。登ったからといって夜景以外に特に何があるわけでもありませんが、かといって登らずにドバイを去ってはいけないような場所ですね。

2010年の開業からすでに4年以上経過していますが今も非常に人気は高く、事前のチケット予約は必須です。僕は数日前に訪問を決めたため、すでに夕刻日没の時間帯のチケットは売り切れでした。そこで少し遅い午後7:30のチケットを購入。予約時間前に現地のカウンターにて実際のチケットを受け取り、20分程度並んで展望台 (At The Top) まで辿り着くことができました。

800m を越える高さからの景色はというと、もちろん素晴らしい眺めでしたが、個人的には東京のほうが好きかなと思います。当たり前ですが、夜景の良さはその建物自身の高さだけでなく、その周辺に広がる建造物の姿形に大きく依存するので、高層ビルが遠方まで広がる東京近辺の夜景はなかなかのものだと思います。

 

Dubai;
Fujifilm X-T1 with XF18-55mm F2.8-4 R

 

ところで中東と言うとオイルマネーの印象が強いのですが、ドバイのオイル産出量は限られているのだそうです。

アラブ首長国連邦としては豊富な石油資源によって経済が支えられているものの、その資源のほとんどがアブダビに集中しており、ドバイはアブダビの10分の1程度の産出量なのだそうです(引用: ドバイ旅行館)。そして、ドバイの GDP に占める石油関連の収入は 4% 程度との情報もあります(引用: R25)。従ってドバイとしては、観光や金融サービスを主たる収入源とすべく、国を発展させてきたとのこと。

今回旅をしてみて、きっとそれはうまく成功したのだろうなと感じました。観光客にとっては非常に快適な場所が揃っています。その戦略的な国家の発展のあり方はシンガポールにも通じるところがあり、一つのモデルとして素晴らしいなと思います。

しかし一方で、これはあくまでも個人的な感想ですが、どうしても気になってしまうことがありました。

一つは、こうした観光地としての発展を目指そうとすると、街の姿がどこに行っても同じように感じてしまうこと。モダンなデザインの高層ビルを立てて、世界中のブランドショップを並べた姿を見ていると、わざわざこの国に来る意味はあるのかなと思ってしまいます。そして、もう一つが、多くの観光ビジネスが外国人労働者に依存していること。ドバイの市場に行っても、それを売っているのは近隣の国からの外国人ばかりなのです。京都の着物屋に行っても、そこには日本人がいない様なもので、モノは売れてもコトが売れていない感じがしました。

当然、自国の限られた資源や人口と、周辺国との経済関係を考慮すれば、こうしたビジネスに帰着するのは合理的ですし、僕もその判断をする立場であればそう判断すると思いますが、一人の観光客としては、なんとなく寂しさを感じるところです。

日本も観光立国としての発展を目指しているところですが、日本ならではの要素をきちんと残しながらも、グローバル視点で魅力ある観光地として発展させていくというところのバランス感覚やその舵取りが極めて重要ですよね。

 

最終日はホテルでゆっくりした後インドに戻りましたので、ドバイ関連の記事は一旦こちらで終了です。その他の写真は Behind the Phoword を是非ご覧ください。

 

Dubai;
Fujifilm X-T1 with XF18-55mm F2.8-4 R

 

関連記事:ドバイ #1 | ドバイ #2

ご参考: ブルジュ・ハリファの展望台 At the Top のチケット予約
http://www.burjkhalifa.ae/en/ObservationDeck/TicketInformation.aspx

ドバイ #2 – Big Bus Tours で市内観光

Spice Souk, Dubai;
Fujifilm X-T1 with XF18-55mm F2.8-4R

 

ドバイ2日目は、ドバイ市街地へ。昨日のデザートサファリでニュージランドから観光に来ているグループとご一緒したのですが、市内観光は “Big Bus Tours” を利用すると良いよと教えてもらいました。有益な現地情報を頂き感謝です。これは $66 (2014年8月現在) のチケットを買えば、終日市内を走る観光バスに乗り降りしながら各スポットを回ることができるというもの。タクシー移動も比較的安価にできるドバイなので、$66 はやや割高な印象ですが、こちらは2階建てバスで見晴らしも良さそうですし、おまけで博物館などのチケットも付いてくるので利用してみることにしました。

ドバイの市内観光は大きく2つに分けることができそうです。一つは旧市街と言いますか、昔ながらの市場を中心としたエリアを回るものと、もう一つは近年急速に発達したモダンな建築物を回るものです。Big Bus Tours はそれぞれのエリアに合わせ2つのルート設計になっており相互を自由に行き来可能です。

 

アラビア語で市場はスーク (Souk) と呼ばれます。ドバイには3つの有名な Souk があり、それぞれ Textile Souk (繊維品市場)、Spice Souk (スパイス市場)、Gold Souk (貴金属市場) と呼ばれています。いずれも近接しており互いにアクセスしやすい場所に存在しています。冒頭の写真は Spice Souk にて。スパイスといっても、インドのマサラとはまた違った感じですね。色もやや落ち着きがあります笑。

Textile Souk から Spice Souk または Gold Souk へ移動するには入江 (Creek) を渡る必要がありますが、このために Abra と呼ばれる小型の船が運行しています。これに乗るのもまた観光では定番のようでした。一人 1 AED (約30円) です。

 

Spice Souk, Dubai;
Fujifilm X-T1 with XF18-55mm F2.8-4R

 

 

Dubai Creek, Dubai;
Fujifilm X-T1 with XF18-55mm F2.8-4R

 

ドバイはどこに行っても外国人労働者ばかりです。人口の 90% が外国人というデータもあります。

例えば、昨日のサファリツアーのドライバーはスリランカ出身、ホテルから市内まで送ってくれたドライバーはインドのケララ州出身、そして Textile Souk での買い物で対応してくれた売り手はパキスタン出身でした。ドバイの労働環境は過酷と聞きますが、それでも母国で働くよりは収入が良いので、皆家族を母国に置いてドバイで単身で働いているのでした。収入が良いといっても、そう簡単に帰国できるわけではないでしょうから、長期単身赴任です。インドのケララ出身のドライバーは1年から1.5年ごとに帰国しているとのこと。その覚悟たるやすごいなと思いました。

 

ところで、Textile Souk のパキスタン人とは最初英語で話していたのですが、途中で彼の仲間が輪に入って、彼らだけで母国語で話す場面がありました。なんだかヒンディーに近い響きだなと思ってインド出身かと思っていたのですが、念のため “Are you from India?” とは聞かず、”Where are you from?” と聞いてみたらパキスタンとのこと。インドとパキスタンはややこしい関係なので、インドと決めつけて質問せずに良かったと思った瞬間です笑。何しろ買い物の談笑ついでにお茶をご馳走になっていたので。

僕だって海外では頻繁に中国人や韓国人と間違われますが、最初からそう決めつけられるとやっぱり複雑な気持ちですからね。個人的に中国や韓国にネガティブな感情はありませんけれど、自分は日本人だっていつも思ってますから、大げさに言えば、自分のアイディンティティを毀損されたような気がするんでしょうね。比較的中立な僕ですらそう感じるので、パキスタン出身者にインド人かって聞いてしまったら、その場で怒り出すこともありそうです。

 

Dubai;
Fujifilm X-T1 with XF18-55mm F2.8-4R

 

ドバイはアフリカ、欧州、アジアからのアクセスが良いので、本当に様々な国の人の姿を見かけました。日本やインドでも欧州、アジアからの観光客はよく見かけますが、ドバイは更にそこへアフリカからの観光客が加わり、非常に多層的な印象的でした。

そういう場所だからこそ、political correctness と言えばいいのでしょうか、国や文化の違いを意識しながらのコミュニケーションが大切になってきますよね。こちらに他意はなくとも、思わぬ一言が落とし穴になることもありそうです。こういった人種のるつぼ的な場所では、そういう部分への気配りも大切だなと、今回旅をしていて思った次第です。

 

この日は夕方以降、近年発達したモダンなドバイの姿を見て回りましたが、一旦ここで区切ります。

 

ドバイ初日の様子はこちらです。 http://phoword.com/2014/08/dubai-1/

エボラウイルス

Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF27mm F2.8

 

インドの自宅に来てくれているメイドさんとの雑談の中で、エボラ出血熱が話題に登りました。

彼女曰く、プネ (Pune) でエボラウイルスに感染した患者が出たとのこと。プネはムンバイから車で3時間ほどの街で、最近、大企業の進出も進む発展著しい街。

僕はそこまでエボラに関してのニュースを追いかけていなかったのですが、そんな話は知らなかったのでちょっと驚き、ネットで検索してみました。実際、8月13日付のこちらニュースを読むと、プネでエボラウイルス感染の疑いのある患者がいたことは事実のようです。ただ、最終的な血液検査では陰性だったと書かれてあります。

またつい昨日のニュースでは、デリー国際空港にて6名の乗客がエボラウイルス感染の疑いで隔離されています。また、同ニュースでは、その間にリベリア、ナイジェリアから85名のインド人がムンバイ国際空港に到着。特に検査では異常なしだったとのこと。

次の記事では、インドにおけるリスクとして、現在エボラ出血熱の患者が多発している地域で働くインド人からの感染を挙げています。同記事によれば、エボラウイルスの発生している地域では約45,000人のインド人が住み、特にナイジェリアでは40,000人相当のインド人が在住と書かれています。

こうして日々、エボラウイルスのインド国内侵入が瀬戸際で食い止められているんですね。

 
 

僕が最初にエボラウイルスを知ったのは、学生の頃に読んだリチャード・プレストン著の『ホット・ゾーン』を読んだ時になります。それを読んだのが学生のいつの時点だったか忘れてしまいましたが、同書の発行が1994年なので、今から15年から20年くらい前になるんでしょうか。

当時これを読んで、世の中にはなんと恐ろしいウイルスがあるものだろうかと一人戦々恐々としていたのですが、その後は特にその名を聞くことはなく、エボラウイルスのアウトブレイクというものは幻だったのかと思っていました。それが今年に入ってかなりのインパクトを世界に与える事態に発展し驚いています。

今回のエボラウイルスに限らず、近年では SARS の様に、これまでもある時期に爆発的にウイルスが広まり人類を脅威に与えるということは度々起こっています。一方で、実際には自分たちの体は日々多くの病原菌やウイルスに触れながらも、体の免疫系に守られ全く影響を受けることなく過ごしている。その微妙なバランスに、生命の複雑さを感じますね。

そういえば、スピルバーグの『宇宙戦争』も、最終的には地球のバクテリアがそれに対する免疫を持たないエイリアンを弱体化させ死に至らしめるというストーリーでしたね(ネタバレすみません)。

やや話がそれましたが、アフリカに近く人口の多いインドということで、やはり今回のエボラウイルスの脅威は日本よりも高いのだろうなと感じます。かといって僕ができることといえば、状況を静観することだけですけれど。

ムンバイの日常(8月)

Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF35mm F1.4R

 

ちょっと堅い話が多いこちらのブログですが、たまには写真と雑談を中心に。

仕事が忙しかった7月、8月ですが、週末の買い物やご飯の時はカメラを持ち歩いているので、少し雨のムンバイの街を撮ることができました(すでに過去の記事で使った写真も混ざっています)。

 

Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF35mm F1.4R

 

ムンバイに来た当初、夏のモンスーンの時期は大変なことになるよ、と色々な人から聞いていました。あちこちで道路は冠水して、膝くらいの高さまで水が溜まるよ。その溜まった水で子供たちが泳ぐよ。なんて話も聞いたので、どれくらい大変なことになるのか、興味と恐怖とが半分半分の気持ちでいました。

 

Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF35mm F1.4R

 

モンスーンは毎日が雨だと聞いていたのですが、実際に迎えてみると、ひたすら雨が振り続けるというよりは、一日に何度も夕立のような激しい雨が突発的に降るという表現の方が正しいように思います。そして、心配したほどに雨による日常生活への影響は少なく、このまま平和に秋以降の乾季の季節を迎えられそうな気がしています。

 

Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF35mm F1.4R

 

昨年もムンバイで過ごしていた日本人の方によれば、どうやら今年は平年より雨が少ないようです。ただ、こちらの地方ではモンスーンの時期に大量に降った雨を貯蓄しておいて、乾季の水不足を補うので、今年雨が少なかったということは必ずしも良いニュースとは限りません。

 

Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF23mm F1.4R

 

今週に入って、雨の頻度が減ってきたように感じます。雨が降っていない時はいつもどんよりとした曇り空でしたが、今日は朝から晴れ間も見えています。もう間もなく9月ですし、そろそろモンスーンも終盤なのかなと感じます。

9月から11月という季節は、日本では自然が見せる表情の変化がとても素晴らしい時期ですが、こちらムンバイでは淡々と、雨季から乾季へと変わっていきます。

 

Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF23mm F1.4R

 

写真はいずれもフジフイルム X-T1 に XF35mm F1.4R もしくは XF23mm F1.4R をつけて。カメラ出力の JPEG に対し、少しだけ Lightroom で調整しています。

最近、白黒で撮ることが多くなりました。一つはこのカメラだと白黒が綺麗に撮れるということもありますが、もう一つは、インドの街は色が多すぎて(しかもゴミもたくさん落ちているので笑)カラーだと落ち着きが無いということもまた理由です。

日本代表 背番号なし

Delhi;
Fujifilm X-T1 with XF35mm F1.4R

 

これまで何度か書いてきていますが、僕の生活圏では日本人は僕一人です。勤務先のオフィスはもちろん、仕事でお会いするお客さんもほぼインド人で、たまに欧米からの出張者がいらっしゃる程度。私生活でも、月に一回程度の日本人会の若手の皆さんとの交流会を除けば、インド人社会の中で毎日を過ごしています。

こうした環境で過ごしていると、自分は日本を代表している、という意識が自然と強くなります。もちろん日本代表と言っても、オリンピック選手やワールドカップ選手のそれと比べれば全然ちっぽけなものですが、それでも、僕が仕事や私生活で普段接する多くのインド人にとっては「僕イコール日本人なんだ」と意識させられるのです。彼らにとっては、僕の振る舞いは、僕という個人の振る舞いであると同時に、日本人の振る舞いでもあるんです。

例えば、仕事のプロジェクトで一緒になったメンバーと雑談をすると、よく「日本の XX はどうなんだ」「こういう時、日本人はどう考えるんだ」という質問を受けます。あるいは、僕の振る舞いを見て「日本人は丁寧だな」といった感想を持たれたり、「日本人はきっちり仕事をするから、お前もちゃんとこの仕事をしてくれると思う」といった期待を持たれたりするのです。

彼らは、僕という個人を見て、その延長線上に日本人を見ている。そう強く意識させられます。

今日までインドで生活していて、インド人が持っている日本そして日本人の印象は総じて大変良いものであると感じています。

ほとんどのインド人は日本に行ったことはありませんし、直接日本人と接する機会もほとんどありません。したがって、メディアの情報を通じて受ける印象がベースになっているのだと思いますが、日本や日本人に対して、ある種の尊敬の念といったものを抱いてもらっていると感じます。全てではないにしろ、日本の文化、精神、技術、サービスといった様々な日本の資産を評価してもらっていると感じます。

僕という個人を通じて日本が見られているのだとすれば、こうした日本のブランドや品位を損なうことがあってはならないと思っています。自分が至らないことも少なくありませんが、少なくとも意識の上では、その責任を果たせるように考え、発言し、行動しなくてはいけないと思っています。

僕の仕事のやり方、人との接し方、日本という国に対する視座のあり方から、街中でのちょっとした振る舞い方やゴミの捨て方まで、そういった言動の端々に、日本人としての意識や健全な誇りを持ちたいと思っています。

背番号はなくとも僕は日本代表なんだ、そう思いたいのです。

インドに来て以来、グローバル人材とは、という問いについて度々考えることがあります。その一つの答えとして、母国の国旗を背負えること、というのはあり得るのかなと思っています。

もちろん語学力を含めたスキル的な部分や、特定分野における専門性といった実践的な要素は当然重要だと思います。それでも、非常に曖昧ですが、自分の国の国旗を背負って他国の人間と付き合える意識とそれ相応の言動が取れることって、より本質的に大切な要素はないかなと思うんです。

そう考えると、僕はまだまだ未熟者ですが、地道に頑張っていきます。

僕は逃げなかったよ

Mumbai;
X-T1 with XF35mm F1.4R

 

きちんとした文章をこちらに書くのは実に1ヶ月半ぶりです。つい最近まで、具体的には6月の終わり頃から8月の上旬まで、とてもタフなプロジェクトに参加しており、なかなかブログを書こうという時間も気力もありませんでした。この間、ほとんど写真も撮れていませんでした。ようやくプロジェクトが先週で終わって一息つける状況になり、こうして言葉として振り返ることができそうです。

プロジェクトの内容はもちろん公にはできませんが、グローバルに展開する某インド企業のポートフォリオ全体を対象に、ビジネスプランのレビューを支援していました。いわゆるデュー・デリジェンス (Due Diligence) と呼ばれるものに近いですが、各ビジネスの中長期プランが適切に立案されているかどうか、改善の余地があるとすればどんな点にあるか、を綿密に検証する作業でした。

こうした業界で働いている方はある程度ご想像つくかと思いますが、このデュー・デリジェンス系のプロジェクトは往々にしてタフな環境に置かれることが多いのです。短い期間で複数のビジネスを正しく理解し、市場環境や競合環境を踏まえ、現実的かつある程度前向きな中長期の売上や利益を算定し、その実現に必要なプランを検証する。こうした戦略立案に近い作業を、複数のビジネスを対象に限られた時間で実施しなければならないので、時間的にも精神的にもかなり追い込まれることが多いのです。

加えて私の担当したビジネスは事業部が北米にありました。インドからですと9時間から12時間ほどの時差なので、電話でのコミュニケーションは朝か夜に限られてしまうボトルネックも存在しており、時間的な制約が一段厳しかったです。

正直、プロジェクト期間中の生活はかなりひどいもので笑、月曜日の早朝4時台に起床し、朝のフライトでデリーに移動。そのまま月曜日から金曜日までデリーで朝から夜遅くまで仕事し、金曜日の夜にムンバイに戻る。そして土日も結局、自宅で仕事。そういった状況でした。仕事するか寝るか食べる。そんな毎日です。

もともと日本語だけで仕事をしてもタフな類の仕事なのですが、英語によるコミュニケーション(かつ北米との電話会議)ですので、さらに効率が低下。インドに来て着実に英語力は上がった実感はありますが、非ネイティブの壁は厚く、未だに苦戦することも少なくありません。例えば 95% 理解できても、残りの 5% の理解が非常にクリティカルということも多いので、そういう時に自分の英語の運用能力を嘆いてしまうのです。

また、これも変な話なのですが、出張先の食事は毎日基本カレーなんですよね。美味しい、美味しくないという以前に、日本人としてはこれもまた厳しくて笑。まったく食欲の湧かない毎日でした。体重はちゃんと測っていませんが、ベルトの穴が1つ移動するくらいのダイエットになりました。

さらに、当たり前ですが日本人は自分一人。インド人の同僚は皆とても親切で優秀なメンバーばかりでとても助けられましたが、それでも、日本語で仕事や仕事の悩みを共有できるメンバーがいないというのは、こういうタフな環境ではジワジワと精神的に影響してくるんです。日本であれば、同僚とちょっと食事で雑談したり軽く飲むだけでも気分転換できると思うのですが、それができませんでした。もちろんこちらのインド人の同僚とは一緒に食事を取り、たまに飲むのですが、どんなに相手が優しいメンバーでも、同じ国に生まれた同じ血が流れる相手に感じられる親密感や一体感は、なかなか得られないのだと実感しました。要は、寂しかったということです笑。

こうした複数の状況が組み合わさって(本当はちゃんと書くともっと生々しい日々でしたが)、私が今の会社に入って以来、最も肉体的にも精神的にも追い込まれたプロジェクトでした。時間がタイトな中、思ったように仕事が進まず、自分の仕事への適正や能力を疑ってしまいました。自分は本当にこの仕事に向いているのかなと。つい弱くなって、自分はなぜインドで働いているんだろうと思う日も少なくありませんでした。自分がこれまで学んできたことを疑いもしました。しばらくはもう体験したくないという位、追い込まれていた気がします。

ただ、そうした苦しい状況ではあったのですが、自分で決めていたことがありました。自分からは最後まで逃げない、ということです。苦しいけれど、それに立ち向かって最後までやり抜く、ということだけは自分に課していました。自分の能力不足が原因で、仕事が取り上げられたらその時は仕方ないけれど、自分から、この仕事は自分にはできないと宣言することだけは絶対にしないと決めていました。

・・・本来これは私の仕事では当然のマインドセットで、日本にいた時はそんなことを考えたことはなかったのですが、それを思ってしまうくらいタフだったんです。

とにかく「逃げない」という事だけは絶対に決めていたので、肉体的、精神的に辛い時期も、「今、自分にできることをちゃんとやろう」と仕事に向き合えたように思います。

人って、過去の成功体験や失敗体験が、その後の生き方に大きく影響するものだと思います。スポーツでも勝ち癖をつけることは大切だと思われますが、当然、仕事でもそうだと思います。トートロジーですが、勝ち続けてきたから、勝ち続けることができる、というのが一つの真理でしょう。

では今回、自分は「勝った」のだろうか、というと正直、胸を張ってそうは言えません。求められている結果はきちんと出しました。けれど、総合的に見て、自信を持って「勝った」と宣言できるかと言われると、そうではないと思います。努力はしたけれど、至らない点も多々あったと思います(そこはチームのメンバーにたくさん助けてもらいました)。

それでも胸を張って言えること。それは、「僕は逃げなかったよ」ということです。苦しかったけれど、最後までやり抜いた。それは自信を持って言うことができます。

正直に言えば、ある時期はかなり苦しくて、これは自分の能力を超えているんじゃないだろうか、自分がこのまま仕事を続けていると迷惑をかけてしまうのではないだろうか、という心の迷いもあったのですが、それでも、それを自分から言葉に出すことだけは絶対にしませんでした。そして、きっとそれをチームメンバーも分かって信じてくれていたと思います。

そして今振り返れば、やっぱり、逃げずに最後までやり抜いて良かった、と心から思います。

余談ですが、私が昨年日本でフルマラソンに初出場した時も、同じ心境でした。良い結果は出せなかったのですが、走りだして10キロ過ぎで腸脛靭帯炎で足が痛くてまともなフォームで走れなくなった時も、痛み止めを飲んで最後まで走り抜きました。あの時も「逃げない」と決めていたから、走り切れたんだと思います。

こうした経験から思うことは、理想は、「勝ち続けること」かもしれませんが、それと同じくらいあるいはそれ以上に「勝てないとしても逃げないこと」も大切ではないだろうかと思うのです。「苦しくて大変だった。でも自分からは逃げなかった。」そう言えることが、次の自信に繋がっていくんじゃないかと思うのです。また次に何か困難な状況に面した時も、「あの時、逃げなかった。だから今回も自分を信じることができる」と言えるんじゃないかと思うのです。

そうやって一つ一つの経験を積み重ねていきたいなと思っています。

・・・と、今回のちょっと苦い経験を、ポジティブに捉えるために言葉に落としてみた次第です。それとやっぱりオレって日本人だなぁと痛感しました笑。

写真はムンバイにて。これでも信号のある交差点です。

雨の日々

Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF35mm F1.4R

 

ムンバイは雨がすっかり日常となりました。5月末まで一度も雨を経験しなかったのに、7月以降、毎日雨が降っています。

時に鬱陶しいこともある雨ですが、雨は雨で情緒豊かな表情を見せてくれることもあります。そして何よりも自然にとっては恵みですね。

あっという間に8月。インドの生活も残り5ヶ月を切りました。

働いています

Hotel in Delhi
Fujifilm X-T1 with XF35mm F1.4 R

 

ここ数年の間でも間違いなく五本指に入る「時間×濃度」で仕事しています。日々反省し、日々学びです。そしてムンバイは日々、雨。

凝縮された時間の中で

Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF35mm F1.4

 

気づけば土曜日の朝。そんな気持ちです。

ここ数週間、特にこの一週間はひたすら朝から夜中まで仕事の毎日でした。出張先のデリーのホテルで、朝起きてまずはメールの確認から始まり、そのまま夕方まで仕事、そしてホテルに戻ったら今度は電話会議。電話会議の後はまたホテルで仕事。そんな毎日が続いていました。

もともと私の仕事は、平均的な仕事よりも労働時間が長い方ですが、今はさらに長い時間働いています。プロジェクト期間が短期ということもありますが、加えて私の場合は相変わらず英語での意思疎通や思考に一定の不自由があることとと、さらにプロジェクトで関係するお客さんがアメリカやカナダを拠点としているため、朝夕の電話会議にコミュニケーションを頼らなければいけないためそこでもまた効率が落ちていることも要因の一つです。

プロジェクトの時間の制約が厳しいので、結果的に私もタイムプレッシャーをかなり感じながら毎日を過ごしています。1日24時間しかない中、どのタイミングでどの仕事をするのか、その適切な判断が求められるのですが、やはり目の前の喫緊のタスクも消化する必要があり、なかなか全体最適が図れていません。忙しければ忙しいほど全体最適を意識しなければいけないのですが、忙しいほどに短期思考になるというジレンマです。

 

昨晩デリーからムンバイに戻りました。今朝起きてプライベートなメールやブログをチェックしながら、久しぶりに仕事以外の世界に戻ってきたような感じです。自分で淹れたコーヒーを飲み、音楽を聴きながらつかの間のリラックスタイムです。日本で売られている雑誌のいくつかを iPad で電子書籍として読んでいます。その中で “PHaT PHOTO” という写真雑誌の 7-8 月号のテーマが「インスピレーションがわく!写真の旅」でした。いいですね、写真の旅。

 

まだまだしばらくは今のように時間に追われながらの生活が続きそうです。とはいえ、この前後の数週間は後から振り返って、恐らく自分にとっての成長の良い機会になったと捉えられるように思います。一週間単位で色々な学びや経験があります。決して自分がうまく働けているとは思えないのですが、踏ん張り続けることができれば、きっと先に見えるものがあるだろうと思います。

いつの間にか7月です。インドでの生活も折り返し地点を越えました。写真は以前、インド人の友人のところに訪れた際に。

魔法のカレー

Colaba, Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF35mm F1.4

 

ムンバイに住むインド人の友人にランチに招待され彼の手作りカレーをご馳走になりました。彼とはムンバイに来たばかりの頃に、街で声をかけられて知り合った仲ですが、月に一回位の頻度で会い、ほぼ毎回、彼の手料理を頂いています。手料理といっても毎回カレーです。

彼はこのカレーをつくるにあたっては数時間以上の時間をかけるのですが、本人もそれなりに自身を持っているようで、実際にかなり美味しいです。スパイスが効いているので、日本人にはちょっと慣れが必要かもしれませんが、私がインドで日々食べるカレーの中でもその味はかなりの上位に位置します。

ヒンズー教徒とイスラム教徒が多いインドでは、ビーフやポークは一部の場所でしか食べられず、肉といえばまず最初に来るのがチキン。そしてたまにマトンです。インドで暮らすということは、基本的に肉はこのどちらかから選ぶのが基本になってきます。そして彼のカレーはいつもはチキンカレーなのですが、今日はマトンカレーでした。

魔法のカレーというと大げさですが、彼のカレーを食べた後は全くお腹が減りません。ランチと合わせてビールも一緒に頂いていることも影響していますが、夕方自宅に戻るとまずかなりの眠気に襲われます。そして睡魔に負けて仮眠を取ることになりますが、起きた後もお腹の満腹感は延々と続き、夕ご飯の時間になっても全く空腹感を感じません。

そこまで大量に食べているわけではないのです。少なくともボリュームとしては、自分の許容範囲内のはず。それでも食事後こうして何時間も満腹感が続くのは何故なのか不思議です。言い方を変えるとこれは胃もたれではないだろうか、とも思うのですが、とにかくお腹が減りません。

使っているスパイス(マサラ)が何か影響しているのか、あるいは単に油の量が多いのか、原因は不明ですが、不思議なカレーです。

ムンバイにいる間に彼のカレーのレシピを覚えて帰る予定ですが、これを日本でつくったらどんなリアクションになるのかなかなか楽しみではあります。

足がない

B&Y cab in Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF23mm F1.4

 

インドでの生活も半年を過ぎようとしていますが、今更ながら、足がないことに気が付きました。ちょっとした外出の時に手軽に使える移動手段がないのです。もう少し正確に言えば、タクシー以外に手軽に使える手段がありません。

ムンバイではタクシーやオートリキシャーでの移動が主たる交通手段になります。黄色と黒色のペイントがされた Black & Yellow Cab は市街地の至るところで捕まえられる気軽なタクシーですし、ちょっと郊外に出ればオートリキシャーが同様に利用可能です。しかしそれでも、ちょっとだけ、場所を点々として移動したいときには若干気をつかいます。というのは、特に朝夕の渋滞時間などはタクシードライバーは中距離以上でないと乗せてくれない(本当に乗車拒否される)ことが多いのと、加えて、あまりお釣りを持っていない(持っていても持っていないと言い張る)ので、細かいお金を常に用意しておかなければいけないからです。

現地インド人であればタクシードライバーとの交渉でうまく対応できるのでしょうが、タクシードライバーはあまり英語が流暢でないので私の場合は細かいやり取りができません。結果的に、ある程度の距離を乗るときには便利に使っているタクシーも、短距離では若干遠慮してしまい使いにくい印象を持ってしまっています。

 

・・・余談ですが、このお釣りがない問題はタクシー以外でも時に起こり困ることがあります。先日、空港の KFC にて合計 300 Rs くらいのセットを注文して、1,000 Rs 札を出したのですが “No change” (お釣りはありません)と突っ返され、結局注文を諦めました・・・

 

やはりここはインド人に習ってひたすら歩くというのも手なのかもと思います。日中はかなり暑いので熱中症になりそうですが、インド人達は時に重い荷物を抱えながら道路脇を延々と黙々と歩いています。あるいはこちらでは主流の、日本の昭和初期に見られたようなクラシカルな自転車もまた一つの手段かもしれません。

タクシーだけですとどうしてもピンポイントの移動になってしまうので、その間を繋ぐ移動ができれば、もう少し日々の生活にも幅がでるかなと思っているところです。

 

なお、日本企業からインド支社に派遣されている日本人の方々には、専属のドライバーが付くことが多いようです。それも会社からの福利厚生のパッケージに入っているものだと思いますが、電話一本でどこにでも連れて行ってくれる様子を見ると、なかなか羨ましいなあと思います。

思考と習慣の格差社会

Mumbai;
Fujifilm X-T1 with XF23mm F1.4

 

今週はずっとデリーに出張中です。

インドで働いていると、超優秀な人と、普通のインド人との間に立ちはだかる格差に時に呆然となることがあります。格差とは収入の格差ではなく(もちろん結果的にそうした格差にも繋がっているのですが)、思考だとか習慣といった、人としての振る舞いを大きく左右する部分の格差です。

 

今こちらでは、クライアントのオフィスと宿泊先のホテルとの往復は、ホテルのピックアップサービスを利用しています。朝はホテルのフロントからクルマを頼めばそのまま先方のオフィスまで連れて行ってくれるのですが、帰りはこちらからホテルに電話をしてピックアップをお願いしなくてはいけません。幸いホテルからオフィスは近いので夕方の交通ラッシュでも30分弱の距離です。

ここで問題が起こっています。ホテルからの迎えのクルマが到着しても、何の連絡もしてこないのです。先日はホテルにピックアップをお願いした後、1時間以上経っても連絡がないので電話してみたところ、30分以上外で待っていると言われました。

インドは時間によって交通状況がかなり変動するので、クルマの到着時間をこちらが読むことは難しく、到着が遅れるのは日常茶飯事。したがって、到着したら到着したと言ってもらわなければ、こちらは何らかの事情でまだ来ていないと捉えるのが基本なのです。

そこで、これではこちらも困るのでホテルにお願いを入れました。到着したらドライバーにその旨を連絡してくれるように徹底してほしいと。

そして次の日、また同じ問題が起こるのです。クルマをお願いしてしばらく待って連絡がないので確認してみたら、またしてもオフィスの前で待っていると言います。今回は昨日とは別のドライバーでしたが、ホテルに依頼した事項がきちんと共有されていないのか、もっと根本的に何かがおかしいのか分かりませんが、とにかく同じ問題を何度も繰り返しているのです。そもそも、ドライバーが少しだけ想像力を発揮できたなら、ピックアップの場所に到着して誰も来なければ依頼者に確認の電話を入れてみてもいいはずです。しかしそうした事は起こらず、ピックアップを依頼されたドライバーはピックアップの場所に移動後、ただ待っているのです。

 

こうした、お願いしたことが共有されず無かったことになる、あるいは、多少気を利かせればできるはずのことができない、という現象はインドではあちこちで見られます。そしてその度に、どうしようもない無力感を抱くのです。当然本人たちは悪気はなくマジメに仕事をしているのですが、マジメに仕事をしているにも関わらずこうした状況がかなりの頻度で起こるというのは、小さい頃からの思考習慣の積み重ねの問題であるとしか思えません。

インドでは私の周りの同僚もそうですが、優秀な層は舌を巻くほど超優秀です。しかし一方で、もはやどう理解すれば良いのか分からない社会層も存在しているのも事実。インドはこうした激しい思考や習慣の格差を内包しながら国として発展していかなければいけないのかと思うと、なぜか私まで気が遠くなる思いです(少なくとも日本が高度成長を遂げた際には、こうした課題はなかっただろうと思います)。

今後も世界で活躍していくインド人はどんどん増えていくと思います。しかし、インドという国がどう発展していくのか、果たして私にもまだまだ謎の部分です。

電話会議の多いインドの仕事

Mumbai
Fujifilm X-T1 with XF23mm F1.4R

 

シンガポールからムンバイに昨晩帰国したばかりですが、今朝の早い便でデリーに出張しています。5時過ぎに家を出て、7時のフライトで約2時間。9時ころにデリーに到着しました。週末から3日連続でのフライトはさすがに疲れますね・・・。

 

日本で働いていた時に比べると、インドでは電話会議を使ってのコミュニケーションがかなり増えました。

日本の場合は多くの大企業の本社機能が東京または大阪に集中しているため、プロジェクトメンバー同士が直接会えるような距離を維持することは難しくありません。一方、インドの場合、面積が日本の10倍の国土において、例えばデリー(インドの北)、ムンバイ(西)、バンガロール(南)、チェンナイ(南)とインド各地に都市が分散しています(ちなみにこれらの都市を移動する場合は飛行機で2時間から3時間弱)。加えてそれら中枢都市の周辺にも規模の大きい衛星都市が点在し、飛行場からさらにクルマで数時間の移動が必要といったケースも珍しくありません。更に加えると、朝夕は交通渋滞が激しいためより一層の移動時間が必要です。

こうした地理的環境のため、一度プロジェクトメンバーが他の都市へ出張すると、しばらくは顔を合わせることができません。例えば以前、私がムンバイで働き、プロジェクトのマネジャーがチェンナイで働いていた時などは、1ヶ月に2回しか顔を合わせることはできませんでした。

したがって結果的に日常の連絡や相談で電話を用いることが多くなります。複数拠点と同時に接続可能な電話会議システムを用いてのチーム内での議論も日常的に起こります。

日本語であれば全く問題ないのですが、英語がノンネイティブの私にとって、こちらでの電話会議は今でもちょっとしたチャレンジです。対面であれば理解できる会話も、電話となるとどうしても理解力が下がってしまうのです。携帯越しでノイズ混じりになる音質の問題も大きいですが、ジェスチャーなどのノンバーバルコミュニケーションが使えないことも要因だと思っています。電話会議での理解不足は仕事のアウトプットに大きな影響を与えてしまうので、一言も聞き漏らすまいと、今でもまだ緊張しながら会議に望んでいるのが現状です。

 

インドに来て以来、コミュニケーションの精度については常々課題でした。半年前に比べればかなり精度も上がってきているとの実感はありますが、自分のベンチマークである日本語でのコミュニケーション精度と比較すると、まだまだ改善が必要だと思っています。日本語と同水準のレベルはかなりの修練が必要ですが、改善のためには地道に場数を踏んでいくことが一番の近道だと思いますので、電話会議の多い今の環境をうまく活用しながら努力を続けたいと思います。

傘を売る人

Mumbai
Fujifilm X-T1 with XF18-55mm

 

ムンバイは間もなく雨期(モンスーン)に入ろうとしています。まだ本格的な雨は降りだしていませんが、時折、夜などに短い時間ですが雨が降っています。12月末から5月までの間、ムンバイでは一度も雨を経験せずほぼ晴れの毎日でしたので、これからはどんな生活が待っているのだろうと最近はややドキドキしながら過ごしています。

そんなムンバイですが、先日街を歩いていたら初めて雨傘を売っている人を見つけました。今まで買い物に出かけても傘を売っている店を見たことがなかったので、ムンバイではどこで傘を買うのか不思議だったのですが、どうやら雨が降り出す頃になってはじめて傘の販売が始まるようです。正確には、雨が降り出して「から」ですかね。

 

この露天の雨傘売りを見て、実にインドらしいと感じてしまいました。

日本人の感覚としては、モンスーンが間もなく始まる前の例えば5月中には、念のため傘を準備しておきたい心理があると思います。しかし、そのタイミングではまだここでは傘は売られていません。実際に傘が売られるのは、本当に傘が必要になってから、つまり雨が一度降ってからなんですね。雨が降ったという事実をもって、実際に傘の販売が開始されるのです。

あえてシンプルに言えば、リスクを事前に想定して備えるのでなく、問題が起こってからそれに対応する、という考え方。あれが起きたらどうしよう、あれが無かったらどうしよう、なんて「たられば」の世界で事前にあれこれ心配するより、「問題が起きてから対処すればいいじゃないか」という潔さ。まさにインドという感じです。

 

果たして日本人である自分たちはどうなのでしょうね。国際的に見ると、日本人はリスクを想定し万が一に備えることに長けていると思います。その特長によって日本の製品やサービスの安全性や品質が高い次元で保たれているのでしょう。2011年の福島における原子力発電所の事例など、その安全神話が揺らぐこともありますが、総合的に見ればやはり日本のレベルは世界的には非常に高いことは間違いありません。そして、そうした資質は日本人として大切にすべきことです。

しかし一方で、インドのようなおおらかな精神の持ちようもまた人の生き方としては学ぶべき点が多いなあと思っています。実際に起きるかどうか分からない問題を心配して精神的に疲労するよりは、今確実に起こっていることに注力しそれに対処していく方が、気持ちの上では前向きになれそうですし、身軽に生きられそうな感じがします。もちろんそのためには、そうした「緩さ」を受け入れる社会の存在が前提になりますけれど。

何ごとバランスですが、異文化から学ぶべき点はやはり多いものです。

写真について

At a book store in Mumbai; Fujifilm X-T1 with XF18-55mmF2.8-4

 

何故か理由は分かりませんが、「写真」はこれまでのところ波はあるにせよ一貫して興味を持ち続けられている分野です。写真を鑑賞するのも好きですし、自分で写真を撮るのも好きです。

写真を面白いと思う理由を言葉に落としこんでみると、目の前に存在する世界を自分なりの切り口でフレームに収め、何らかの意味合いを加え、一つの完結した新しい世界を表現できることなのかなと思っています。目の前にある混沌とした世界を前提に、レンズとカメラを通じより単純に再構築しながらも、今まで見えなかった新しい視点を加える事ができるのが、きっと自分にとって面白いのだろうなと思っています。

スマートフォンの普及と Facebook や Twitter などの SNS の浸透によってこれまでにない膨大な量の写真が日々ネットで共有されるようになりました。自分が経験したオリジナルの世界を周りの人に知ってもらいたいという個々人の欲求がそうした動きを加速しているのだと思います。誰もが表現者という一面を持っているのでしょうね。

きっと私の場合も根っこにあるのはそうした自分の世界を表現したいという気持ちなのだと思います。

 

ところで写真付きの方であれば必ず共感頂けるかと思いますが、カメラを持つと、周りの世界に対する興味や感度がぐっと高くなります。興味深い被写体や、写真として映える光や影を常に追い求めるような感覚が続きます。そしてカメラを持っていなければ素通りしてしまうようなシーンを実際に察知し、レンズを向けることができるようになります。

こうした「超高感度」モードは、写真以外の分野においても持ちたいものですね。

軽く読み流してしまう記事、何となく会話して別れてしまう多くの人、目の前を素通りしていく街中のモノやコト。その先に新しい世界が拡がっている可能性があるにも関わらず、気付くことなくその瞬間は日々過ぎ去ってしまっているのではないかと思います。

その「瞬間」を見逃すことなくちゃんとすくい取る事ができれば、きっと膨大な気付きや学びがあるはず。そのために何より必要なことは、見えない世界を見ようとする執着心や好奇心ですよね。そしてそれは写真と同じように、何度も繰り返し試行錯誤することで、より感度や精度が上がっていくのだと思います。

そんなことを考えながら、写真を見たり撮ったりしています。