これまで何度か書いてきていますが、僕の生活圏では日本人は僕一人です。勤務先のオフィスはもちろん、仕事でお会いするお客さんもほぼインド人で、たまに欧米からの出張者がいらっしゃる程度。私生活でも、月に一回程度の日本人会の若手の皆さんとの交流会を除けば、インド人社会の中で毎日を過ごしています。
こうした環境で過ごしていると、自分は日本を代表している、という意識が自然と強くなります。もちろん日本代表と言っても、オリンピック選手やワールドカップ選手のそれと比べれば全然ちっぽけなものですが、それでも、僕が仕事や私生活で普段接する多くのインド人にとっては「僕イコール日本人なんだ」と意識させられるのです。彼らにとっては、僕の振る舞いは、僕という個人の振る舞いであると同時に、日本人の振る舞いでもあるんです。
例えば、仕事のプロジェクトで一緒になったメンバーと雑談をすると、よく「日本の XX はどうなんだ」「こういう時、日本人はどう考えるんだ」という質問を受けます。あるいは、僕の振る舞いを見て「日本人は丁寧だな」といった感想を持たれたり、「日本人はきっちり仕事をするから、お前もちゃんとこの仕事をしてくれると思う」といった期待を持たれたりするのです。
彼らは、僕という個人を見て、その延長線上に日本人を見ている。そう強く意識させられます。
今日までインドで生活していて、インド人が持っている日本そして日本人の印象は総じて大変良いものであると感じています。
ほとんどのインド人は日本に行ったことはありませんし、直接日本人と接する機会もほとんどありません。したがって、メディアの情報を通じて受ける印象がベースになっているのだと思いますが、日本や日本人に対して、ある種の尊敬の念といったものを抱いてもらっていると感じます。全てではないにしろ、日本の文化、精神、技術、サービスといった様々な日本の資産を評価してもらっていると感じます。
僕という個人を通じて日本が見られているのだとすれば、こうした日本のブランドや品位を損なうことがあってはならないと思っています。自分が至らないことも少なくありませんが、少なくとも意識の上では、その責任を果たせるように考え、発言し、行動しなくてはいけないと思っています。
僕の仕事のやり方、人との接し方、日本という国に対する視座のあり方から、街中でのちょっとした振る舞い方やゴミの捨て方まで、そういった言動の端々に、日本人としての意識や健全な誇りを持ちたいと思っています。
背番号はなくとも僕は日本代表なんだ、そう思いたいのです。
インドに来て以来、グローバル人材とは、という問いについて度々考えることがあります。その一つの答えとして、母国の国旗を背負えること、というのはあり得るのかなと思っています。
もちろん語学力を含めたスキル的な部分や、特定分野における専門性といった実践的な要素は当然重要だと思います。それでも、非常に曖昧ですが、自分の国の国旗を背負って他国の人間と付き合える意識とそれ相応の言動が取れることって、より本質的に大切な要素はないかなと思うんです。
そう考えると、僕はまだまだ未熟者ですが、地道に頑張っていきます。
: Life
ムンバイは雨がすっかり日常となりました。5月末まで一度も雨を経験しなかったのに、7月以降、毎日雨が降っています。
時に鬱陶しいこともある雨ですが、雨は雨で情緒豊かな表情を見せてくれることもあります。そして何よりも自然にとっては恵みですね。
あっという間に8月。インドの生活も残り5ヶ月を切りました。
写真を整理していたら、ふと過去に撮った写真が目に入りました。
撮った日付は 2012年12月21日になっています。代官山の蔦屋書店で撮ったものですが、テーブルの上にはインド関係の書籍と、取得したばかりの観光用ビザが置かれています。
2012年の年末年始の休みを利用して、インドに一人旅に出かけました。インドに行くことの明確な目的があったわけではありませんが、一生のうちに一度は行っておきたいと思っていたのと、行くなら一人が良さそうだなとずっと考えていたことは確かで、それを行動に移すなら今だと思ったのは確かです。
数日後の25日に成田を出発し、デリーを経由して27日にガンジス川のあるバラナシへ。そこで数日を過ごし年末年始はタージマハルのあるアグラの近くで現地で知り合ったインド人たちと寝食を共に過ごしました。そして年明けにデリーに戻りさらにネパールに立ち寄った後、帰国しました。約10日間の一人旅でした。
その時が初めてのインドの旅となったわけですが、1年後の2013年末、再びインドの地を踏むことになるとは当時は全く思いもよらず。
偶然なのか必然なのか分かりませんけれど、あの時にインドを訪れていていなければ、きっとインドで仕事をしてみたいという気持ちも生まれなかったと思いますから、やはり必然なのかもしれません。そして、今インドで何とか生活が続けられるのも、1年半前に思い切って一人でインドに旅だった自分がいたからです。
そう考えると、人生はつくづく日々の積み重ねであって、今日考えたことや起こったことが、将来のどこかのタイミングで結びついていくんだなと思います。今の環境に感謝できることがあるとすれば、それは過去の自分がどこかでその種を蒔いたからですし、今日蒔く種は、将来の自分をつくっていくんですよね。
それと、やっぱり写真はいいなと思いました。
自分で撮った写真を見ると、その時の周りの様子や自分の心境が今でも鮮明に思い出せるような気がします。あの時、休日の蔦屋書店は座る場所を確保するのも大変なくらいに混んでいたのですが、その中で自分は、これからインドに一人旅に出るのだという高揚と緊張とに包まれていました。
これからも、拙いながらも自分の写真と自分の言葉で世界を切り取っていきたいと思います。
デリーからムンバイに戻りました。といってもまたムンバイの自宅で過ごすのは週末のみで週明けからは再びデリーです。
今関わっているプロジェクトですが、プロジェクト最終日までの時間が短いため、平日は朝から夜までかなりみっちりと仕事が入ってしまいます。しかもホテル住まいという環境のため、せめて夜は自宅でゆっくりというわけにもいかず、どうしても張り詰めた気持ちが続いてしまいがちです。結果的に目の前の仕事のことで頭が一杯になりがちな毎日となっています。
しかしこうした毎日の中においても、中長期的な視点を忘れず、今の自分のあり方について振り返り、将来に向けた行動の布石を打っておきたいものです。今日の自分は数年前の自分の思考や行動の結果ですから、数年後の自分は、今日の思考と行動が大きな鍵を握っています。その時、自分が望む状態を手に入れているために、今日を意識的に過ごせたらと思っています。
今のように、直近の仕事のために必要な時間が日常の大半を占めているような状況においても、中長期的な視点を忘れないために私が意識していることは、朝起きたら手帳に書いてある自分のありたい姿を確認することと、加えてメモ書きで良いので手帳にそれに関連した自分の思考結果を書きとどめておくことです。私が尊敬するある方は「杭を打つ」という表現をよく使われていますが、まさに自分の手で思考を残すことによって、多忙な日常に流されないよう杭を打っているイメージです。
もちろんメモを書いたところで、それに付随する具体的な行動をその日に起こせるかというと難しい日も多いです。第二領域の時間はあらかじめ天引きすべし、というのは正論として理解していても、時間に追われてしまうことも現実には少なくないと思います。ですから、行動レベルで日々結果を残していくことは理想としつつも、それが難しい場合には、せめて自分の意識だけでも第二領域の世界に飛ばし思考を言語化しておくことで、自分がその世界に片足だけでも留まれるよう杭を打っておきたいのです。
写真はデリーからムンバイに戻る機上で撮影したもの。雨期のムンバイの上空はたくさんのダイナミックな形の雲に覆われていました。コンパクトな Ricoh GR は出張時でもカバンに入れておける頼もしいカメラです。
前回の記事の更新が3月末でしたので、2ヶ月以上の空白期間を経て、こちらの記事を書いているところです。こちらでの仕事が忙しくなったのも理由の一つですが、加えて、このブログの立ち位置というかあり方について自分の中でうまく整理ができず、筆が止まってしまっていました。
この2ヶ月ほどの間に起こった事というと、インドでは複数のプロジェクトを経験し、週末を利用して日本の友人たちと東南アジアを中心としたいくつかの国を視察し、また久しぶりに短期間ながらも日本への一時帰国を果たしました。ブログの更新は止まっていたものの、充実した時間を過ごせていたように思います。
既に6月に入り海外生活も半年になろうとしています。まだ半年と言うべきか、もう半年と言うべきか難しいところですが、半年前の自分と今の自分とを比べ明らかに変わったことといえば、自分が日本人であることが強く意識されるようになった事ではないかと思います。インドという異国の地で生活し仕事をするため、その土地の人々の世界観や価値観をできるだけ理解しようと努めれば努めるほどに、日本人である自分が持っている世界観や価値観との違いが浮かび上がってきました。
例えば、「自分が発する言葉」に対する意味合いの違いといったものも、日本とここインドでは随分と違うものです。日本は自分の言葉に対する責任感が強い一方、それに引きづられる傾向がある(武士に二言はないの世界)。しかしインドでは状況が変われば自分の発言もリセットし新しい枠組みを構築できるような柔軟性を感じます。
こうした文化や社会における価値観や世界観の違いという視点を持って、インド以外の国を訪れてみると、やはり同じような気付きや発見があります。日本に生まれ育ってきた結果自分の体に染み込んでいる様々な「日本的なもの」が日本を離れることによって初めて明確に意識できるようになったのかもしれません。
加えて面白いのは、日本へ一時帰国をしてみても、以前は当たり前のものとして気付かなかった「日本的なもの」の存在をあちこちに感じることです。海外で暮らすという経験が、それらに対する感度を上げたのではないかと思っています。
まとまりの話になりましたが、冒頭に書いたこのブログのあり方については、自分でもまだどういう方向性に持って行きたいのかは明確に分かっていません。ただしブログのタイトル Phoword に “Moving forward through photos and words” という意味を込めた様に、写真と言葉で世界を切り拓くという軸はブラさず、自分の思考を残しておきたいと思っています。