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盟友ムンバイへ来たり(エンペラーの会) #3 – ザッキーニ、インド着

これは「エンペラーの会インド編第2話」からの続きである。

21:00 を回った。第2の男がまもなく到着予定だ。彼は成田からシンガポール経由でムンバイへ向かっている。シンガポールのチャンギ国際空港経由となると片道 15 時間前後の道のりだ。僕も以前この経路で日本との往復をしたことがある。夕方に日本を出て深夜にシンガポールに到着、ムンバイには明け方に着くという便だった。これだけの時間をひたすら移動に費やすというのはなかなか大変であり、まさにこんな感じになる(チャンギ国際空港にて)。

 

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盟友ムンバイへ来たり(エンペラーの会) #2 – 羅王インド着

9月18日木曜日、夕方5時。まだ若干の仕事を残しムンバイ国際空港へタクシーを走らせた。ムンバイはまもなくラッシュアワーの時間帯に突入。早めに動いておく必要がった。今の時間帯は、有料道路の Sea Link を経由しても空港へは1時間程度かかる。Black & Yellow Cab と呼ばれるローカルタクシーを捕まえたが、あいにく空港へ向かう途中で土砂降りの雨が降ってきた。Black & Yellow Cab は Non-AC cab (エアコンなし)との扱いになるため、基本的に窓を開けっ放しにして走る。雨が降ると窓を占めるのだが、閉めきってしまうとフロントガラスが曇るので、やはり窓は少し開いている。

ところが Non-AC といっても最近はエアコンが装備されているクルマも多い。したがって AC cab になることも可能である。この日、ドライバーは合計 700 ルピー払えばエアコンをつけてやるがどうだと提案してきた。しかし Yellow & Black Cab にしてはちょっと割高設定なので僕は安くしろと跳ね返した。しかし向こうも強気で値段を下げない。何度かの押し問答があったが、結局お互い折れることはなく、そのまま Non-AC cab として空港へ向かった。窓から雨が吹き込む中、僕はパソコンを開き仕事を継続し、ドライバーは僕以上に雨に濡れながら運転を続けた。彼が心の中で何を思っていたのかはわからない。

盟友ムンバイへ来たり(エンペラーの会) #1 – 序章

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先週の木曜日夜から日曜日にかけ、日本から友人がムンバイに遊びに来てくれました。より正確に言えば、遊びに来てくれたというよりも、僕が日本にいた時から参加していたある密会(エンペラーの会)が今回インドを舞台に開催され、それに参加するために数名のメンバーが日本からインドに来訪してくれたというのが正確な表現です。

盟友ムンバイへ

日本から久しぶりのお客さまです。明日から数日間、日本から3人の盟友、戦友あるいは悪友がムンバイに来てくれます。それぞれ忙しい身だというのに有り難いことです。そしてますます有り難いことに、3人ともバラバラの飛行機でムンバイに到着。ロジが大変です笑。 既に彼らにはお伝え済みですが、ムンバイは観光スポットはあまりありません。インドだからタージマハルだろ、となってもタージマハルのあるアグラまで移動するのは半日から1日がかり。ムンバイからすぐに行ける観光場所としては、フェリーで行くエレファンタ島くらい。 それでも、ムンバイに来てもらえれば、見てもらえるものがあります。インド人の生き方、暮らし方。これは多分、日本のパッケージツアーでは得られないものです。ムンバイで住む僕が一緒にいるからこそ、見せられるものだと思っています。きっと何か持ち帰ってもらえると思います。 >エンペラーの皆さん、どうぞお楽しみに!

Sula Vineyards にてワインテイスティング

週末、少し足を伸ばしてインドのワイナリーへ行ってきました。その前日に Wasabi にご一緒頂いた友人からのお誘いです。 インド産のワインの存在はこちらに来るまで知らなかったのですが、レストランのメニューで度々目にするので、何度かグラスで飲んだことがあります。失礼な言い方ですが、インドの気候でワインが作れるとは思わなかったので、飲んでみて結構ちゃんと作るなあと思っていました。 今回訪れたワイナリーは Sula Vineyards というところ。それはムンバイから 170km ほど北東にある Nashik という街のすぐ近くにあります。運転手付きのタクシーを貸し切り、朝7時前にムンバイを出発。途中多少の寄り道をしながら現地についたのが11時半ころでした。モンスーンの時期とあって、ムンバイから少し郊外に出ると緑が広がる場所も多く、目の保養になりました。 Sula Vineyards の創業者 Rajeev Samant はスタンフォード大学を卒業し Oracle に務めた後、インドに帰国後。農業を営む実家の土地がワインづくりに適していると気付き、1999年にワイナリーを立ち上げたとのことです。まだ15年前の話ですが、今では日本にも輸出されている程のブランドに成長しています。すごい。 このワイナリーでは1時間おきにツアーを実施しており、ワイン工場の見学と実際にその工場で生産されたワインのテイスティングが可能です。ワイン4杯までのテイスティングが 150ルピー、6杯までのテイスティングが 250ルピーと2つのオプションがありましたが、もちろん6杯で参加です笑(といってもテイスティングなのでグラスの底に軽く注がれる程度です)。 ワインのテイスティングなるものに参加したのは実は今回が初めてですが、複数のワインを飲ませてもらうと確かに色々な違いの発見があって面白いですね。日本に帰ったらもう少し勉強してみたくなりました(いつもワインを頼むときは品種もブランドも分からずおまかせで済ましてしまっていたので・・・)。 夕方に現地を出発。ムンバイに戻ったのが夜の8時頃です。社会勉強にもなりましたし、良い気分転換にもなりました。お誘い下さった S さん、どうもありがとうございました! 参考リンク: Sula Vineyards 写真 今回の写真はすべて Fujifilm X-T1 にて撮影。レンズは FUJINON XF23mm と XF35mm です。現在ドイツでは Photokina 2014 が開催中。どんなカメラが登場するのか、楽しみですね。

Wasabi by Morimoto

ムンバイに来てからずっと気になっていたレストランについに行ってきました。Colaba の 5-star ホテル Taj Mahal Hotel にある、Wasabi by Morimoto という日本食レストランです。一人ではもったいないので、8月からムンバイに赴任された弁護士の友人を誘って行ってきました。 1月にムンバイに来て既に8ヶ月が経過していますが、これだけ日本食に飢えながらも今まで訪れなかった最大の理由、それはそのレストランの料金です。噂によれば一人あたり 10,000 ルピーはかかると書いてあり、それは実に日本円にして 17,000円。貴重な日本食とはいえそこまでの贅沢をして良いものか迷っていたのです。しかし賛同してくれる友人のお陰で気持ちが盛り上がり、今回、初挑戦してきました。 お店の雰囲気はモダンです。メインとなる寿司・刺し身のカウンターに加え、鉄板焼きのカウンターの2つが同居しています。寿司と鉄板焼きがレストランに同居するというのは日本だとまずありえませんが、日本食が貴重なムンバイにおいてはそれもまた合理的な判断ではないかと。今回は寿司カウンター (Sushi bar) に座りました。 フードメニューを見ますと、値段はさすがです。大トロの握りが一貫あたり 900ルピーほど(1500円強)です。しかしここまで来てビビっても仕方ないので、値段はあまり見なかったことに。二人で相談して、土瓶蒸し、揚げ豆腐、そして寿司と刺し身の盛り合わせを注文しました。お酒は日本酒、といきたいところですが、1合あたり5000円くらいするので今回はワインのボトルを注文。 ネタは全て築地から空輸されているだけあって、新鮮で美味しいです。さすがに日本の一流店との比較はできませんが、それでも日本で食べる寿司と大きくは遜色ありません。久しぶりにちゃんとした日本食を食べている気分に浸って幸せです。うなぎの握りも頂きました。 そして、日本食に飢えた二人ですので、結局、寿司だけではモノ足らず、鉄板焼きも注文し、Wasabi の看板メニューを大いに楽しませていただきました。最終的にお値段はうわさ通りの水準でしたが汗、それくらいの贅沢をしてでも、ここムンバイでこれだけちゃんとした日本食を食べられるのは有り難いことです。 カウンターで寿司を握っていただいたのは、ムンバイに来て一年ほどの日本人の職人さん。寿司のネタを見ながら、カウンター越しに日本人の職人さんと日本語でお話できるのもまたここでは貴重です。友人と一緒に、とても幸せな時間を過ごさせて頂きました。また来てくださいねと言われましたが、気軽に来れる場所ではないので笑、帰国前に再訪問できるかどうかといった感じです笑。

秋の足音

最近 Facebook の投稿に度々新サンマの写真が登場するようになり笑、日本に秋が到来しつつあることを感じます。食欲の秋ですね。まだ少し早いですが、木々の彩りの移り変わりも美しい季節も近づいてきました。カフェで読書なんてのもいいですね。日本人として、「秋」という響きを聞くだけで色々なものが連想できます。 モンスーンが終わりつつあるムンバイは、青空が見える日も増えてきています。そして以前よりも太陽の光がより強く届き、夕日が建物をオレンジ色に照らすようになりました。といってもこちらは湿度が高いせいか、日本の秋空のような、透き通るような青や辺り一面が染まるような赤ではありませんけれど、それでも毎日どんよりとしていたこれまでの数ヶ月よりはずっと良いですね。 そんなことを考えながら以前撮った写真を見返していました。何気なく撮った写真ででも、今見返すと、うーむ、日本はいいなぁと改めて思うものばかり。 ムンバイは一年を通じて温暖な気候なので、モンスーン以外に自然を通じて季節を感じるものもがあまりありません。旬の食べ物も聞いたことがありませんし(きっとあるのでしょうが)、もちろん紅葉もありません。 僕がムンバイに生まれていたら(インドは広いのでムンバイに限定)、秋に対してどんなイメージを持っていたんだろうと思います。秋 (Autumn) という季節があることは知っている。夏の終わりと冬の始まりの間にあることは知っている。それは雨季が終わる時期で、そしてディワリ(インド最大のお祭)の時期だ。そんな感じなんでしょうか。 春には桜を愛で、夏には緑いっぱいの自然を満喫し、秋には紅葉を楽しみ、そして冬には雪が降る日本。いいですね。本当にいいなと思います。 別にホームシックになってるわけじゃありません、まだまだインドで頑張れますよ笑。

夜明けの空港にて

先日インドに来て初めてコルカタへ出張しました。朝7時のフライトにのるため、5時に家を出て、6時過ぎにチェックインです。ムンバイはインドの西沿岸ですが、コルカタはバングラデシュに面するインドの東側。2.5時間のフライト時間でした。 コルカタといえばかつてのイギリス領地時代の首都。しかし今は首都機能はデリー、商業機能はムンバイのその座を譲ってしまっています。時間があれば観光に訪れてみたいところですが、果たして残りのインド滞在期間中に叶うかどうか。個人的には東よりも、北西と南に興味があります。 北西というのはラジャスタン (Rajasthan) 州、南というのはケララ (Kerala) 州です。ラジャスタン州のジャイプール (Jaipur) は春に訪れました。気温が下がる秋以降、ジョードプル (Jodhpur) 行きを狙っています。

海外在住者が直面する子供の言語教育

先日、ある方と話していて興味を惹かれたテーマです。例えば外交官のように、10年周期あるいはそれ以上の周期で海外に在住する家族が直面する課題の一つが、自分たちの子供の「思考言語の選択」だそうです。選択といっても基本的には、日本語を選ぶのか、英語を選ぶのかということです。 ここでいう「思考言語」とは、普段自分が何か物事を考えるときに、無意識に選択する言語を意味しています。当然、僕の場合は日本語になります。 僕はこうした分野についての知見はないので、以下は推測による話になりますが、人は後天的に非母国語を学ぶことによって、その言葉を母国語とする人と同程度に、その言葉を使う能力を高めることは可能であると思います。したがって他者との「コミュニケーション手段としての言語」については、論理的には、努力によって後天的にいくらでも習得することは可能と言っても良いかと思います。 しかし、人が無意識に選択する「思考言語」となると(もしそういうものが存在するならばですが)、それはおそらく一つの言語に集約されるといっても良いのではないかと思います。もしかするとヨーロッパの家庭に様に、異なる母国語を話す両親に育てられた子供はまた違うのかもしれませんが、それはここでは一旦は例外としておきます。 冒頭の話に戻ると、日本人外交官の様に、長期にわたって海外業務に従事する家庭において、自分たちの子供の思考言語の選択は、子供の教育における両親の重大な意思決定であり責任の一つであるとのことなのです。「両親の」と書いたのは、子供は年齢的に自分自身でその選択をすることはできず、親が「決める」必要があるためです。そして、今の時代においては、それを日本語にするのか英語にするのかという選択に迫られているとのことでした。 思考言語の選択、つまり日本語で考えるか英語で考えるか、によってどういった違いが生まれてくるのかについては興味深い問題ですが、ややこしくなりそうなので、ここでは一旦置いておきます。ただし一般的な感覚として、言語と文化、言事と習慣が切り離せないことを考えれば、当然、日本語か英語かという選択は、その子供の将来の思考様式や行動様式を大きく左右することは想像に難くありません。 僕は英語は後天的に身につけた言語で、しかも日本語と比べるとまだその運用能力は低いので、英語による思考の世界について深く考えることはできません。しかし実際に海外で暮らしていると、当然ですが、英語による思考が自然にできることのメリットは計り知れないであろうと感じています。少なくとも、これからの時代においては、合理的に考えれば英語を選択することは自然な流れではないかと思います。 一方で、日本の文化、思考、習慣といったものは、海外で暮らしていてその素晴らしさを再認識していますし、今後も正しく継承され評価されるべきものだと思っています。そして、それらと切り離すことのできない日本語を、少なくとも日本人である以上は、自分の子供の思考言語としたいとの想いもあります。加えて、正しく使うことができれば、グローバル化する世界であるからこそ、他者と差別化するための要素になりえると信じています。 自分の子供にどちらの言葉を選択すべきか、というのは答えのない世界です。もし自分がその立場なら、子供の将来ためにどちらを選ぶのだろうと考えてしまいます。そして、これは、今はまだ長期海外在住者だけの問題かもしれませんが、そう遠くない将来に国内を拠点とする家族にとっても重要な問いになってくるだろうと思います。

エボラウイルス

インドの自宅に来てくれているメイドさんとの雑談の中で、エボラ出血熱が話題に登りました。 彼女曰く、プネ (Pune) でエボラウイルスに感染した患者が出たとのこと。プネはムンバイから車で3時間ほどの街で、最近、大企業の進出も進む発展著しい街。 僕はそこまでエボラに関してのニュースを追いかけていなかったのですが、そんな話は知らなかったのでちょっと驚き、ネットで検索してみました。実際、8月13日付のこちらニュースを読むと、プネでエボラウイルス感染の疑いのある患者がいたことは事実のようです。ただ、最終的な血液検査では陰性だったと書かれてあります。 Ebola scare may force doctors to leave Naidu (Pune Mirror) またつい昨日のニュースでは、デリー国際空港にて6名の乗客がエボラウイルス感染の疑いで隔離されています。また、同ニュースでは、その間にリベリア、ナイジェリアから85名のインド人がムンバイ国際空港に到着。特に検査では異常なしだったとのこと。 6 passengers isolated at Delhi airport over Ebola fears, 85 Indians clear screening test at Mumbai airport (The Times of India) Ebola scare: Six passengers isolated at Delhi airport; no suspected cases in Mumbai (The Indian Express) 次の記事では、インドにおけるリスクとして、現在エボラ出血熱の患者が多発している地域で働くインド人からの感染を挙げています。同記事によれば、エボラウイルスの発生している地域では約45,000人のインド人が住み、特にナイジェリアでは40,000人相当のインド人が在住と書かれています。 Why is India an easy target for Ebola (Yahoo! News) こうして日々、エボラウイルスのインド国内侵入が瀬戸際で食い止められているんですね。 僕が最初にエボラウイルスを知ったのは、学生の頃に読んだリチャード・プレストン著の『ホット・ゾーン』を読んだ時になります。それを読んだのが学生のいつの時点だったか忘れてしまいましたが、同書の発行が1994年なので、今から15年から20年くらい前になるんでしょうか。 当時これを読んで、世の中にはなんと恐ろしいウイルスがあるものだろうかと一人戦々恐々としていたのですが、その後は特にその名を聞くことはなく、エボラウイルスのアウトブレイクというものは幻だったのかと思っていました。それが今年に入ってかなりのインパクトを世界に与える事態に発展し驚いています。 今回のエボラウイルスに限らず、近年では SARS の様に、これまでもある時期に爆発的にウイルスが広まり人類を脅威に与えるということは度々起こっています。一方で、実際には自分たちの体は日々多くの病原菌やウイルスに触れながらも、体の免疫系に守られ全く影響を受けることなく過ごしている。その微妙なバランスに、生命の複雑さを感じますね。