もはや不定期すぎて何のブログか分からなくなってきている。
週末は4ヶ月ぶりくらいに妻・息子と一緒に実家に帰省。毎日顔を合わせていても変化を感じるのだから、数ヶ月も会わないと別人のように成長しているだろうなと思う。息子自身も、どれくらい前回の訪問を覚えているか分からないけれど、実家がまた別の世界に感じているだろうな。
もはや不定期すぎて何のブログか分からなくなってきている。
週末は4ヶ月ぶりくらいに妻・息子と一緒に実家に帰省。毎日顔を合わせていても変化を感じるのだから、数ヶ月も会わないと別人のように成長しているだろうなと思う。息子自身も、どれくらい前回の訪問を覚えているか分からないけれど、実家がまた別の世界に感じているだろうな。
気持ちの良い快晴に恵まれた祝日。こんな陽気には開放的な場所で昼間からビールを飲めたら最高! ということで散歩も兼ねて天王洲の “T.Y. Harbor” へ。敷地内にビールの醸造所が併設されており、出来たてのクラフトビールが飲める場所。現地に到着したのが既にお昼時の時間は終わった 2:30pm 頃だったものの、テーブル席はまだ一杯で空きがあるのはバーカウンターのみだった。もちろんビールを飲みに来たので more than welcome。
恵比寿駅から歩いて10分ほどの場所にある「写真食堂めぐたま」を訪問。写真評論家の飯沢耕太郎蔵さんの所有する写真集が5000冊、壁一面に並ぶ写真好きにはたまらない場所。数年前にその存在を知って行ってみたいと思っていた場所。
12時前に到着したところまだお客さんはまばら。今日は暖かかったためかテラスが開放されており広々としたスペースで心地よい空間。本棚から気になる写真集を選びビールを飲みながらご機嫌な時間を過ごした。
写真はすべて Fujifilm X-Pro2 にて。PRO Neg Hi モードをベースに微修正。
プロジェクトベースの仕事という性質上、年間を通じての季節感はあまりないものの、桜の咲くこの時期は節目の季節。もうすぐ今働くコンサルティングファームに入社して満5年。そして社会人満5年。ファームに入った頃は3年続くかどうかと思っていたけど、なんだかんだ楽しくエキサイティングに仕事させてもらっていて、有り難いこと。
昨日は横浜にて博士時代からの仲間の勉強会に参加。これも数ヶ月に1回の頻度で開催を続け、今年の秋に5周年。こうして継続的に同じメンバーで集まり続けることができるのは素晴らしいね。集まってくれている皆に感謝。
To see the world, things dangerous to come to, to see behind walls, to draw closer, to find each other and to feel.
That is the purpose of life.
好きな映画は何かと聞かれてすぐに思い浮かぶのが「ショーシャンクの空に」だ。希望を捨てず、小さな努力を積み重ね、最後に自由を手に入れる主人公の姿が印象的であり、また励まされる。そして、少し前に観た「LIFE! (ライフ)」もまた、自分の中で何度も見返したい映画になりそうな気がする。
普段は海外旅行に出てしまう夏休みだが、今年はゆっくりと都内で過ごしている。昨年末に日本に帰国した後にスタートしたプロジェクトが地方常駐のもので、かつ頻繁に中国出張が入るので、都内にいるのは実質週末のみという生活がずっと続いていた。だから夏休みはむしろ自宅で過ごそうと思った。
自宅で過ごすと言っても何もせずにぼっとするというより、自分の生活環境の改善を試みている。ここ最近ずっと自分の生活に行き詰まり感があったので、まずは身の回りをシンプルにしようと思い、いわゆる断捨離を実施している。
「もったいない」という気持ちと戦いながらも、「これは本当に自分に必要か」と問いかけながら不要な本、不要な服、不要な小物を片っ端から処分中。だんだんと部屋がスッキリしていくにつれて、自分の身辺も整理が付いていくような気がする。
シンプルに、自分が好きなもの、必要なものだけを選び、それと長く付き合うような生活がしたい。
インドから帰国してはや半年が経過。その間、公私ともに精力的に活動していたものの、このブログは放置・・・。
遙か離れたインドから日本に向けて文章を書き綴っていたこのサイトで、いざ日本に戻ってきて日本で起こっていることを書くというのは、なかなか気持ちがスムーズに繋がらなかったようです。
今もうまく言葉が出てこないところはありますが、そうなると永遠に書けないので、まずは写真を載せていくことを主眼に、あまり難しいことを考えずに書けることを書いていこうかなと思います。
冒頭の写真は伊勢にて。最近仕事で中部・関西方面によく行くので週末を利用して行ってきました。伊勢神宮も素晴らしい場所でしたが、内宮の近くにあるおかげ横丁もまた風情があって歩くのが楽しい場所。良い気分転換になりました。旅のお供カメラは Fujifilm X100T。
帰国日が決まり、国際線の片道切符を買いました。
昨年12月、僕は成田からムンバイまでの国際線の片道切符を買いインドでの生活をスタートしたわけですが、それから約一年が経ち、今回はそれを補う形でムンバイから成田までの片道切符を買ったことになります。
日本国内の電車での移動ならまだしも、国際線のフライトチケットで片道切符を買うというのはなかなか経験できるものではないと思います。その切符には、しばらく日本に帰らず海外で暮らすという決意が込められているわけですから。
一年前にインド行きの片道切符を買った時は、もちろん新しい生活への期待も高かったた一方、同時に不安も大きかったです。以前に観光者としてインドを訪れたことがあったとはいえ、長期滞在でしかも仕事をするとなると話は別。自分にどんな生活が待っているかなど想像できませんでした。そして実際に待っていた生活は、日本では経験できない「異常値」の経験ばかりでありましたが、その意味では、期待通り、想像通りだったとも言えます。
インドで一年過ごして自分の中で何が変わったのか、という質問をされたら何と答えようかなと考えていたのですが、今出てくる答えとしては、「自分が受け入れることのできる世界がずっと広くなった」ということかなと思っています。異常値に出会った時、それに反発したり無視するのではなく、それも世界のあり様の一つなのだと理解し受け入れられるようになったと思います(仮に納得出来ないとしても)。
同時に一種の安心感を覚えました。この地球には本当に色々な世界が存在していて、自分が生きていく場所はたくさんあるんだなという事が、体全体で理解できたような気がします。もちろんこれはインドで生きていくとかそういう直接的な意味ではないのですが、世界はとても多様で、色々なことを許容してくれるんだという事が信じられるようになりました。
インドでの学びについては今はこれ以上は書かないでおきますが、日本に戻った後、折にふれて何度も振り返っていきたいと思っています。
インドに住み始めてからも何度か日本に帰国しています。ただし、いずれの場合もチケット予約画面では “Return” にチェックし往復の日付を指定して買っていました。それが今回は “One way” にチェックしし片道の日付のみを指定。到着地はもちろん Tokyo です。予約が完了した時、そうか自分は日本に帰るのか、という実感が湧いてきました。
ムンバイでの生活に名残惜しさもありますが、やはり自分の国に帰るというこの感じはなかなか良いものです。今回の片道切符ですが、自分にとっては日本での生活に戻るというよりも、日本での「再スタート」のような感じがしています。
実は10月末に一週間ほど日本に一時帰国していました。身内のプライベートなことでの帰国だったので誰にも言わずでしたが。ほとんど実家で過ごして、しかも平日は仕事もしていたのでほとんど外出していませんけれど、とにかく日本にいました。
それで、結論から言うと、日本はすごかったです。何だかすごい国でした。その話を書いておこうと思います。
ちなみにこれまでも今年に入って数回一時帰国しているんですが、いずれも週末だけの弾丸帰国で一週間くらい日本にいたのは今回がインドに来てから初めてです。
インドから日本へはデリー経由で成田空港に着いたんですけれど、久しぶりに ANA に乗ったんですね。これまでの弾丸帰国はより安い Air India を使っていました。ANA なので、機内の案内がヒンディーじゃなくて日本語で流れますし、おしぼりも出てきますし、オレンジ色の派手な色遣いじゃなくてブルー系統の落ち着いた雰囲気で、既にこの時点で「おかえりなさい」と言われている気がしました。
ただし一点だけ残念な点がありまして、僕はインド国内からの往復便を買ったのですが、何故かその予約サイトでは日本食を機内食として選択するオプションがなかったんです。それでヒンズーミールとかイスラム料理とか、そんなオプションしかなかったので、とりあえずヒンズーミールを選んでおいたんです。そうしたら飛行機の座席に座るなり、アテンダンスさんから「お客さま、ヒンズーミールを選択されていますが・・・」と明らかに日本人顔の僕を見ながら若干遠慮気味に確認されたので「それしかオプションがなかったんですが日本食に変更できますか」と聞いたら「あいにく余裕がございません・・・申し訳ありません」と即答されてしまったんです。
もちろんヒンズーミールを選んでしまった僕が悪いですし、できるだけ無駄を減らす企業努力として当然なので全く文句はないのですが、せっかくの ANA 便で日本に帰るという時に「ヒンズーミール」を食べた僕の気持ちが分かるでしょうか。それにこれは個人的な感想なんですけれど、ヒンズーミールに関して言えば ANA よりも Air India の方がスパイス具合などが一段上をいっているなと思いました。インドに1年弱住んだ成果として、それくらいの判断ができるようになりました。ですので、これをお読みの皆さんにお伝えしておくと、ヒンズーミールを機内食で食べたい方は ANA ではなくて Air India を選択いただければ間違いはないかと思います。Air India であれば、ベジタリアン向けかどうか (Veg / Non-Veg) も選択可能でより充実しています。
すみません。書きたかったのはこういう話ではなくて、日本はすごいよという話です。
成田空港に着いたのは日本時間のお昼すぎですが、成田エクスプレスで都内に移動して所用を済まし、そのまま夕方には北関東の実家に帰りました。その過程で僕が感動したり喜んでしまったことをメモっていたのですが、こんなことを感じていました。
成田へ着陸する時、緑に囲まれゴミひとつない整備された道路や家の並びをその機内の窓から見て感動しました。先日モディ首相が日本を訪れた際に日本のあまりに綺麗さにショックを受けたという話をインドの友人がしていましたが、僕も成田空港で既にショックを受けてしまいました。ムンバイですと空港の周りにはスラムが拡がっていて、それはそれで上空から見ると、ムンバイに帰ってきたなと思わせる風格がありますけれど、客観的に見てどちらが心地よいかというと日本の空港だと思います(注:ムンバイのスラムはネガティブなものではありません。詳細は文末のリンクからダラヴィ・スラムに行った際の記事をご覧ください)。
そして、飛行機で着陸した瞬間から僕の iPhone が 4G ネットワークに繋がってしまい、あまりの高速通信に驚愕してしまいました。10時間ぶりに Facebook を見たら、タイムラインが一瞬で表示されて、そこに載っている動画がグリグリ動いていました。ムンバイですと、空港に降りて繋がるのは EDGE で、これは 2.5G とか呼ばれていましたが、日本ですと10年くらい前によく使われていた規格です。Facebook を表示しようとすると iPhone で最初の画面が出るまで1分以上かかることもありますし、遅くて見るのを諦めることもあります。ムンバイの市内に行くとようやく 3G が使えますが、帯域が狭いのでやっぱり遅いです。
空港で成田エクスプレスに乗る前の時間調整としてスターバックスに行ったんですが、そこで座っているだけで顔がにやけました。まずコーヒーが美味しいですし、それなりの数の人が座っていましたが、皆さん静かです。オシャレな音楽を聞きながら落ち着いた空間でコーヒーを飲むだけで幸せでした。成田エクスプレスのチケットを買う時、自動化されたチケット販売機があって、しかも全てがちゃんと動作していて、列に並ぶだけで何の滞りもなくチケットを買うことが出来ました。感動。
もちろん電車の時刻は正確で、時間通りに電車が到着して時間通りに発車しました。電車の車内は清潔でゴミが落ちておらず、座席のリクライニングもちゃんと動作しました。以前 Air India に乗った時はリクライニングが壊れていて、アテンダンスの方に着陸だから元の位置に戻してと言われても戻せなかったので、自分で姿勢を正して戻ったように見せかけたことを思い出しました。
ANA でヒンズーミールを食べたことによって本来食べられたはずの日本食一回分を失ってしまったわけですが、都内についてようやく昼食として念願の日本食を食べました。その時に出てくるお冷が何の心配もなく飲めることに感動しました。というよりも最初は無意識に手を付けなかったんですが、そうか、これは飲めるんだと思って、飲めたのがうれしかったです。日本食については書きません。キリがありませんから笑。
インドにある自分の銀行口座に日本円を送金したかったのでシティバンクに寄りました。そうしたら何も言わないのにキレイなお姉さんが声をかけてきてくれて、送金の手続きについて詳しく教えてくれました。当たり前ですが日本語で。それでどれくらいの日数で送金できそうか聞いたら、いくつかの事例を教えてくれて大体これくらいかかりますねという話をしてくれたんですが、ちゃんと理路整然としていてどこまでがシティバンクの管轄でどこからが管轄外かも教えてくれました。サービス業の窓口ってこんなに丁寧だったっけ。
都内から実家のある駅に着いて、タクシーに乗って帰宅しようとしたのですが、タクシーの扉が勝手に開いて戸惑いました。ウソじゃなくて本当に最初は自分で開けようとしてしまったのです。タクシーの車内は清潔で、エアコンがちゃんと付いていて、サスペンションもしっかりしていて揺れないのが驚きでした。そして道路の静かなこと。ちゃんと平坦に舗装されていますし、クラクションが鳴らないですし、交差点には信号があってその通りにクルマが走っています。すごいなぁ。ベンツは静寂で全く揺れないなんて言われますけれど、いやいや、日本のタクシーも超高級車です。
これらは全て、初日のたった半日だけのことですけれど、日本に帰国して僕が感動したことの一部です。できるだけ具体的に書いてみたんですけれど、少しでもその感動が伝わりますでしょうか。
それで思ったことなんですが、もちろん日本は素晴らしい、すごい、ということもそうですが、その裏返しとして日本のどこか不満なんだろう、ってことなんです。こんなに全てが完璧と思ってしまうくらいに環境が充実している日本に住んでいて、これ以上不満に感じなくてはいけないことって何なのでしょうか。こんなに素晴らしい環境にいながら、なおも満たされない日常があるとすれば、それは何が原因なのでしょうか。にも関わらず、日本では満たされずに精神的な苦悩を持つ人の数が少なくありません。何が悪いんでしょうか。
と言いつつも、僕も一年前は東京にいましたが、その時はこんなことは全く考えませんでした。漠然と日本の良さを理解しつつも、でもそれに対して幸せだなぁといちいち感動なんてしていません。それが当たり前のことですから。そして日本に戻って一年もすればこういう感動は忘れて、以前のように日々の出来事に不満を抱いてしまうかもしれません。
今回日本に帰ってみて、人の喜びや幸せは極めて相対的なものなのだと実感しました。今の環境(=インド)に慣れた自分にとっては、日本では当たり前のサービスを経験するだけで幸せと思ってしまいます。それはインドから見ると相対的に日本が圧倒的にすごいからです。しかし、日本に慣れてしまうと、その感動は薄れてしまい、さらに相対的にすごいものに出会わなければ感動できない。
常により良い物を、より良い環境を、というヒトとしての本能的な欲求があったからこそ、今の日本があるのだと思います。ただ難しいのは、絶対的な水準としてかなり高いレベルにある今の日本が、さらに「より良い」と思えるようなモノやコトを見つけ出すことの難易度が相当に上がってしまっているということです。日本を今より「すごく良くする」アイデアって何? と聞かれるとうまく答えられません。
それでも、その問いを見つけていかなきゃいけないなと思います。多分それはもはや単純な物質的な欲求に答えるだけの世界ではないでしょう。なぜなら物質的な部分は既に圧倒的に満たされているはずの日本ですら、人の不満や不安は消えていないからです。他の国に参考事例があるかというとあんまり無いような気がします。ヒントはあるかもしれませんがダイレクトな答えはないでしょう。日本が自ら手探りで答えを出さなくちゃいけないことだと思います。そして、人口が減る中、残された時間はあまりないかもしれません。
今回の記事では書いていませんが、日本にいる間の一週間、毎日感動がありました。別に特別なことではないです。日本人だったら当たり前のこと。でも海外(インド)に一年弱住むだけで、それが感動になっちゃうくらい、日本は素晴らしかったです。僕は今30代前半ですが、日本がもっと先に行くために、僕らの世代が頑張らないといけないんだろうなと思います。簡単な事じゃないですが、がんばりましょう。
日本からムンバイに戻るときの ANA 便では同じ失態を繰り返すまいと、事前に ANA に電話してヒンズーミールを普通の和食に変えてもらいました。そして機内に登場したらやはりアテンダンスさんが「お客さま、ヒンズーミールを選択されていますが・・・」と明らかに日本人顔の僕を見ながら若干遠慮気味に確認されたので「昨日電話して和食に変更してもらったはずです。」と聞いたら「確認してまいりますので少々お待ちください」と言って、5分後に「お客さま、日本食がご用意できそうです」との返答をもらいました。この対応も日本のサービス。最後の日本食を堪能し、再びヒンズーミールの国に戻りました。
リンク:ダラヴィ・スラムに行った際の記事
ムンバイで暮らす日本人にとって日本食の確保が死活問題であることは広く知られています。ムンバイに新しく赴任してきた日本人の方とお話させて頂くと、赴任して間もない時期は「結構インド料理もいけますね、大丈夫ですね」といったテンションが普通なのですが、数カ月後に話すと「日本食がなくて辛いです。味噌汁が飲みたい。納豆が食べたい。」みたいな泣き言に激変している確率が非常に高いのです。もちろん僕もその一人。
そんなムンバイですが最近、日本食が食べられるレストランの数が微増しつつあります。微増といってももともと数カ所だったところに 1,2 カ所増えているわけですから、その年間成長率としてはインドの GDP 成長率 5% をはるかに凌ぐ勢いです。
今回はムンバイに住む友人と、まだオープンして間もないレストラン “Guppy Pop-Up” に行ってきました。カタカナであえて書くとグッピー・ポップアップです。まったく日本食を連想させませんが、日本料理が食べられるレストランです。
このレストランの素晴らしいところは場所がマハラクシュミ (Mahalaxmi) というエリアにあるので、僕の家からとても近いということです。ムンバイで最高級とされる [Wasabi by Morimoto][1] はコラバ (Colaba) なのでやや遠いですし(そもそも高いですし)、以前から有名なムンバイ在住日本人第2の故郷ともいえる Kohfuku はバンドラ (Bandra) というエリアにあり、さらに遠いです(それでも日本食が食べたくて通ってしまう)。
[前回の第12回の記事][1]で羅王と別れ、僕もダラヴィ・スラムのツアーを終え自宅に戻り、インドでのエンペラーの会も無事に終了しました。
第1回目の記事を書いたのが9月24日ですが、実際にメンバーがインドに来てくれたのは9月18日から21日にかけてでしたので、もう1ヶ月前の出来事なんですね。そのため本シリーズの後半は若干記憶が曖昧になりつつありましたが、記事を書いているうちにそういえばあんなこともあったな、なんて思い出すことも多かったです。とても楽しい4日間でした。はるばるムンバイに来てくれた羅王、ザッキーニ、マッチには改めて感謝です。
羅王とザッキーニのブログでも今回のエンペラーの会に関しての振り返りが進んでいますので、ぜひご覧になって下さい。同じ出来事を別の人間が書くとこうも違ってくるのかと思います笑。
最後にご紹介できなかった写真から何点かピックアップしてみました。
これは「エンペラーの会インド編第11話」からの続きである。
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今回のダラヴィ・スラムのツアーには羅王と僕以外にイギリスからの青年3人そしてシンガポールからの参加の女性1人も同行している。商業地区を見ながらトーマスは色々な説明をしてくれ、またツアー参加者からの質問を受け付けてくれた。
印象深かったのは同行していたイギリス青年グループとトーマスとのやり取りだ。彼らも自分たちの興味故に質問しているのだろうが、その質問内容がかなり率直、というより日本人感覚からすればやや失礼なものも少なくなかった。例えば、この仕事でいくら収入が得られるのかとか、このビジネスを買うとしたら(オーナーになるとしたら)いくらくらいお金を払えばよいのか、とかそんな質問だ。当然、異国の地でそういった点に興味を持つのは理解できるのだが、モノの言い方として、ダラヴィ・スラムの人々を下に見ているような言い方だったのが気になってしまった。彼らの1人がコソっと仲間に「ここは発展途上国だから仕方ないよね」とのコメントを漏らしていたのも僕は聞いている。
これは「エンペラーの会インド編第10話」からの続きである。
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午後、タクシーでダラヴィ・スラム (Dharavi Slum) に向かう。Realty TOURS & TRAVELS のスラムツアーに参加するのだ。
ムンバイに飛行機で降り立つ時、滑走路のすぐ近くにはたくさんのスラムが建ち並んでいる。雨漏り防止なのか日除けなのか、トタンの屋根にブルーシートが敷かれているので、空から見るとそれがスラムなのだとよく分かる。空港の周りだけでなく、ムンバイの市内を移動するときも、あちこちにスラムと思われる住居地区がたくさん目に入る。高層マンションの近くに点在するスラム。これが至るところにあるのがムンバイという街だ。
これは「エンペラーの会インド編第9話」からの続きである。
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しばしの休息から回復し、今回最後となるエンペラー全員での晩餐へ。初日木曜日の夜、二日目金曜日の昼と夜、そして本日三日目の昼と連続でインド料理を食べている。そこでたまには他のジャンルにしようと提案。あくまでもメンバーのために、という言い方をしていたが、実際には僕がもう限界だった。
彼らにしてみれば本場インドで食べる旨いインド料理とあって、それが連日続いても問題ないかもしれないが、僕はその本場インドで食べるインド料理が既に過去9ヶ月にわたって続いている。旨い不味いの問題ではなく(実際旨いのだが)、インド料理か否かが問われている。したがって強引にインド料理以外の選択肢としてシーフードの美味しい中華があるよという提案を行い、メンバーの賛同を得ることに成功した。
これは「エンペラーの会インド編第8話」からの続きである。
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羅王、ザッキーニ、マッチの珍道中を書いているとなかなか話が進まないのが今回のシリーズの悩みである。ブログを読んでくれているムンバイの複数の友人からも「魅力的な仲間ですね」とのコメントを頂いている。確かに「魅力的」ではあるし、彼らのような仲間がいてとても恵まれていると思う。ただし「会ってみたいです」とは誰も言ってくれないのは、やはり何か問題があるのかもしれない。日本語はオブラートに包んで表現するものだ。
既に9話目だが、今日は土曜日の話だ。つまり木曜日に羅王とザッキーニが到着し、金曜日にマッチが到着し、全員でムンバイを観光する土曜日である。前回の記事に書いたように今日はいくつかのポイントを回ったのだが、個々については詳細は書かない。もしご興味を持たれる方がいれば羅王のブログをご覧頂きたい。「インド5弱の衝撃!8年ぶりに行ったインドの話 その7」によくまとまっている。
これは「エンペラーの会インド編第7話」からの続きである。
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土曜日の朝を迎えた。今日は終日、エンペラー全員でムンバイのローカルツアーに出かける。クマールと相談していくつか訪問場所を決めたが、僕が必ずエンペラーの皆を連れて行こうと考えていたのはインド最大級の洗濯場であるドビー・ガート (Dhobi Ghat) と、インドを知る上では欠かせないスラム (Slum) 。この2つは実際に見て体験してもらわなければと思っていた。
これは「エンペラーの会インド編第6話」からの続きである。
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無事にマッチが合流し、エンペラー全員がムンバイに参集した。
時刻は19時を回っており、そろそろディナーの時間になっていた。しかしエレファンタ島の観光を終え遅いランチを食べた羅王とザッキーニはまだそこまで空腹ではないと言う。そこで僕たちは少し Colaba 地区を散策してから、ディナーへ向かうことにした。
これは「エンペラーの会インド編第5話」からの続きである。
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14:36、Facebook メッセンジャーに頭の回転以上に口の回転が速い男、マッチ帝から連絡が入った。
「いま到着! これから荷物ゲットしてホテルにむかうよ!」
どうやらインドに到着して早々、iPhone の国際パケット通信を駆使して連絡を入れてきたようだ。さすがコミュニケーション最速の男だけある。ムンバイ国際空港で「一時間ほどまごついていた」(羅王分析による)ザッキーニとの格の違いを見せつけてきた。
15:16 には「いまタクシーのったっす!」との連絡。
空港について 40 分後にタクシー乗車とは極めて順調である。インド初上陸ながら順調にハードルを越えている。ベンチャー企業経営層の一角として荒波に揉まれながらも成果を出してきた実力をいかんなく発揮している。今の時間に空港から移動を開始したとなれば、Colaba まで南下してホテルに着くのは 16:30 前後だろう。
その時、羅王とザッキーニは、エレファンタ島での観光を終え、遅めのランチをクマールと一緒に食べ終わり一旦ホテルに戻った頃であった。この頃、羅王は定例の OPP 活動(いわゆるアウトプット系の生理現象である)によりホテルのトイレに籠り、ザッキーニはトイレに籠った羅王を待っている状況であった。マッチがホテルに到着する頃には羅王の OPP 活動も下火になっていると思われる。僕はまだ仕事があるので、マッチの出迎えは羅王とザッキーニに任せる事にした。
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その後しばらく情報が途絶えてしまったため、彼らに何が起こったのか僕はよく分かっていない。これは夕方以降に皆と再会した時に聞いた話である。
どうやらマッチを待っていた羅王とザッキーニはあろうことか同時にお昼寝タイムに突入してしまった様である。マッチが連絡を取ろうにも全く連絡が取れなかったと聞いている。エレファンタ島の観光を終えランチをたっぷり食べた二人は、エンペラーとしての日頃の習慣なのか、後はよろしくとばかりに、同時に意識を失ってしまった様なのだ。
ところが正確な場所を二人から聞き出せなかったマッチは無事にホテルに到着している。もちろんタクシードライバーが近くに連れて行ってくれたのだろうと思う。しかし一帯は似たようなホテルが並んでおりすぐには分かりづらい。そして頼りの羅王とザッキーニは無意識状態である。話を聞くに、どうやら絶妙なタイミングで外を歩くマッチをクマールが見つけてくれたようなのだ。
もちろん僕はクマールにマッチの写真は見せた事がないから、クマールが知っているのはもう一人日本人が来るという情報だけだ。Colaba 地区は外国人比率が高く日本人、韓国人、中国人が歩いていることも少なくないのだが、羅王、ザッキーニがマッチを放置し熟睡する一方で、クマールが鋭い嗅覚を効かせてマッチを発見してくれたようなのだ。ありがとうクマール。
無事にマッチも合流し、今回のメンバー全員が揃った。僕も仕事を切り上げ 19:00 前に彼らと合流するために Taj Mahal Hotel と呼ばれるムンバイでは非常に有名は5つ星ホテルへ向かった。羅王、ザッキーニ、マッチそしてクマールたちがそこでお茶をしていのだ(なお、Taj Mahal とあるが、アグラにある世界遺産タージマハルとは直接の関係はない。Taj とは “crown” そして Mahal とは “palace” の意味である)。
ところが久しぶりのマッチとの再会を楽しみに Taj Mahal Hotel のカフェテリアへ向かって見たものは、僕の嫉妬心をかき立てる光景であった。なんと出会って 1,2時間程度のはずのクマールとマッチが既に意気投合しているのだ。
これまで何度か書いてきた様に、僕とクマールとはそれなりに良好な関係を続けさせてもらってきた。今年の1月、散歩中に出会って以来、月に一回ほどの頻度で彼のカレーをご馳走になり、また、彼のご家族、ご親戚の皆さんにも会わせてもらっている。その時は一緒にダンスまでした仲である。つまり半年以上の時間をかけ、彼との関係をじっくりと構築してきたのだ。
ところがマッチはなぜか一瞬にしてクマールとのラポールを築いてしまっていた。
クマールとマッチの間で何が起こったのかは分からないが、出会い頭からマッチが怒涛のようにスベり技術をいかんなく発揮して圧倒的なアウトプットを続けた事は想像に難くない。インド人は話し好きであり、意思を明確に示す事に価値があると考える人々だ。その内容に納得できるかどうか、あるいは理解できるかどうかは次のステージで、まずはとにかくアウトプットしなければ始まらないのだ。量があり、その次に質がある。
その点、マッチは既に第一ステージ、すなわち量の部分は軽々とクリアしていたのだろう。クリアしていたというよりインド人のそれすらを凌駕していたのかもしれない。マッチも決して英語が流暢ではないが、日本語で話していても基本的にはスベり傾向が強く齟齬はつきものである。つまり日本語だろうと英語だろうと、結果的には大きく変わらないのだ。
考えてみてほしい。もし仮に自分が初めてインドを訪れたとしたらどうなるか。
辺り一面、こちらに熱い視線を送るインド人に囲まれ、蒸す様な暑さの中、インド独特の訛りのある英語であちこちから声をかけられるのだ。日本人であれば既にこの段階で弱気になってしまい口数少なくなるのも無理はない。まさにザッキーニがこうした症状にやられた典型例である。そしてクマールも当然これまで日本人たちを相手にしてきているから、そうした日本人のステレオタイプを持っているに違いないのだ。
ここにきて頭の回転以上に口の回転が速い男マッチの登場である。夜中に成田を発ちドバイ経由でインド入りし疲労しているにも関わらず、臆することなく圧倒的なアウトプットをかましてきたのだと思われる。何を言っているかは問題ではない。むしろ何を言っているかあまり分からない。しかしその圧倒的なアウトプット量に、これまでにクマールが接してきた日本人像を塗り替えてしまうインパクトを持っていたはずだ。
僕はマッチの驚異的なコミュ力、それを支えるスベり技術に心底感銘を受けながら、彼のクマールとのラポールに嫉妬していた。
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Taj Mahal Hotel でのティータイムも一段落し、19:30 を回った。遅めのランチを取った羅王、ザッキーニはまだお腹が空かないと言っているが、ムンバイに着いてまだ食事をしていないマッチはお腹が空いたし、僕も空いてきた。ということで羅王、ザッキーニのお腹が空くように、少し外を散歩してからディナーに行くことにした。
この後、再びマッチはその恐るべきポテンシャルを見せつける事になるのだが、それは次回に。
次の写真は Taj Mahal Hotel にて。今回インド訪問のエンペラー全員集合である。ここでもザッキーニのファッションがインド仕様でないことがお分かり頂けると思う。
これは「エンペラーの会インド編第4話」からの続きである。写真は今回の記事とは無関係だが以前 Colaba Causeway にて撮ったもの。
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金曜日の朝を迎えた。本来は羅王とザッキーニに付き添いたかったのだが、僕は仕事が入ってしまっていた。事前に分かっていたことなので、今日一日はクマールに観光案内をお願いしていた。もっともそれはクマールの本職であるから僕が案内するよりも羅王とザッキーニにとってプラスの面も大きいはずだ。
これは「エンペラーの会インド編第3話」からの続きである。
無事に羅王そしてザッキーニと合流し Colaba Causeway のホテルへ到着した。ここ Colaba Causeway はムンバイの南端に位置する繁華街で外国人観光客の割合がおそらくムンバイで最も高いエリアである。質の良いホテル、レストランが揃っており、今回の旅の拠点としては最適だ。
これは「エンペラーの会インド編第2話」からの続きである。
21:00 を回った。第2の男がまもなく到着予定だ。彼は成田からシンガポール経由でムンバイへ向かっている。シンガポールのチャンギ国際空港経由となると片道 15 時間前後の道のりだ。僕も以前この経路で日本との往復をしたことがある。夕方に日本を出て深夜にシンガポールに到着、ムンバイには明け方に着くという便だった。これだけの時間をひたすら移動に費やすというのはなかなか大変であり、まさにこんな感じになる(チャンギ国際空港にて)。
9月18日木曜日、夕方5時。まだ若干の仕事を残しムンバイ国際空港へタクシーを走らせた。ムンバイはまもなくラッシュアワーの時間帯に突入。早めに動いておく必要がった。今の時間帯は、有料道路の Sea Link を経由しても空港へは1時間程度かかる。Black & Yellow Cab と呼ばれるローカルタクシーを捕まえたが、あいにく空港へ向かう途中で土砂降りの雨が降ってきた。Black & Yellow Cab は Non-AC cab (エアコンなし)との扱いになるため、基本的に窓を開けっ放しにして走る。雨が降ると窓を占めるのだが、閉めきってしまうとフロントガラスが曇るので、やはり窓は少し開いている。
ところが Non-AC といっても最近はエアコンが装備されているクルマも多い。したがって AC cab になることも可能である。この日、ドライバーは合計 700 ルピー払えばエアコンをつけてやるがどうだと提案してきた。しかし Yellow & Black Cab にしてはちょっと割高設定なので僕は安くしろと跳ね返した。しかし向こうも強気で値段を下げない。何度かの押し問答があったが、結局お互い折れることはなく、そのまま Non-AC cab として空港へ向かった。窓から雨が吹き込む中、僕はパソコンを開き仕事を継続し、ドライバーは僕以上に雨に濡れながら運転を続けた。彼が心の中で何を思っていたのかはわからない。
先週の木曜日夜から日曜日にかけ、日本から友人がムンバイに遊びに来てくれました。より正確に言えば、遊びに来てくれたというよりも、僕が日本にいた時から参加していたある密会(エンペラーの会)が今回インドを舞台に開催され、それに参加するために数名のメンバーが日本からインドに来訪してくれたというのが正確な表現です。
日本から久しぶりのお客さまです。明日から数日間、日本から3人の盟友、戦友あるいは悪友がムンバイに来てくれます。それぞれ忙しい身だというのに有り難いことです。そしてますます有り難いことに、3人ともバラバラの飛行機でムンバイに到着。ロジが大変です笑。
既に彼らにはお伝え済みですが、ムンバイは観光スポットはあまりありません。インドだからタージマハルだろ、となってもタージマハルのあるアグラまで移動するのは半日から1日がかり。ムンバイからすぐに行ける観光場所としては、フェリーで行くエレファンタ島くらい。
それでも、ムンバイに来てもらえれば、見てもらえるものがあります。インド人の生き方、暮らし方。これは多分、日本のパッケージツアーでは得られないものです。ムンバイで住む僕が一緒にいるからこそ、見せられるものだと思っています。きっと何か持ち帰ってもらえると思います。
>エンペラーの皆さん、どうぞお楽しみに!
週末、少し足を伸ばしてインドのワイナリーへ行ってきました。その前日に Wasabi にご一緒頂いた友人からのお誘いです。
インド産のワインの存在はこちらに来るまで知らなかったのですが、レストランのメニューで度々目にするので、何度かグラスで飲んだことがあります。失礼な言い方ですが、インドの気候でワインが作れるとは思わなかったので、飲んでみて結構ちゃんと作るなあと思っていました。
今回訪れたワイナリーは Sula Vineyards というところ。それはムンバイから 170km ほど北東にある Nashik という街のすぐ近くにあります。運転手付きのタクシーを貸し切り、朝7時前にムンバイを出発。途中多少の寄り道をしながら現地についたのが11時半ころでした。モンスーンの時期とあって、ムンバイから少し郊外に出ると緑が広がる場所も多く、目の保養になりました。
Sula Vineyards の創業者 Rajeev Samant はスタンフォード大学を卒業し Oracle に務めた後、インドに帰国後。農業を営む実家の土地がワインづくりに適していると気付き、1999年にワイナリーを立ち上げたとのことです。まだ15年前の話ですが、今では日本にも輸出されている程のブランドに成長しています。すごい。
このワイナリーでは1時間おきにツアーを実施しており、ワイン工場の見学と実際にその工場で生産されたワインのテイスティングが可能です。ワイン4杯までのテイスティングが 150ルピー、6杯までのテイスティングが 250ルピーと2つのオプションがありましたが、もちろん6杯で参加です笑(といってもテイスティングなのでグラスの底に軽く注がれる程度です)。
ワインのテイスティングなるものに参加したのは実は今回が初めてですが、複数のワインを飲ませてもらうと確かに色々な違いの発見があって面白いですね。日本に帰ったらもう少し勉強してみたくなりました(いつもワインを頼むときは品種もブランドも分からずおまかせで済ましてしまっていたので・・・)。
夕方に現地を出発。ムンバイに戻ったのが夜の8時頃です。社会勉強にもなりましたし、良い気分転換にもなりました。お誘い下さった S さん、どうもありがとうございました!
参考リンク: Sula Vineyards
今回の写真はすべて Fujifilm X-T1 にて撮影。レンズは FUJINON XF23mm と XF35mm です。現在ドイツでは Photokina 2014 が開催中。どんなカメラが登場するのか、楽しみですね。
ムンバイに来てからずっと気になっていたレストランについに行ってきました。Colaba の 5-star ホテル Taj Mahal Hotel にある、Wasabi by Morimoto という日本食レストランです。一人ではもったいないので、8月からムンバイに赴任された弁護士の友人を誘って行ってきました。
1月にムンバイに来て既に8ヶ月が経過していますが、これだけ日本食に飢えながらも今まで訪れなかった最大の理由、それはそのレストランの料金です。噂によれば一人あたり 10,000 ルピーはかかると書いてあり、それは実に日本円にして 17,000円。貴重な日本食とはいえそこまでの贅沢をして良いものか迷っていたのです。しかし賛同してくれる友人のお陰で気持ちが盛り上がり、今回、初挑戦してきました。
お店の雰囲気はモダンです。メインとなる寿司・刺し身のカウンターに加え、鉄板焼きのカウンターの2つが同居しています。寿司と鉄板焼きがレストランに同居するというのは日本だとまずありえませんが、日本食が貴重なムンバイにおいてはそれもまた合理的な判断ではないかと。今回は寿司カウンター (Sushi bar) に座りました。
フードメニューを見ますと、値段はさすがです。大トロの握りが一貫あたり 900ルピーほど(1500円強)です。しかしここまで来てビビっても仕方ないので、値段はあまり見なかったことに。二人で相談して、土瓶蒸し、揚げ豆腐、そして寿司と刺し身の盛り合わせを注文しました。お酒は日本酒、といきたいところですが、1合あたり5000円くらいするので今回はワインのボトルを注文。
ネタは全て築地から空輸されているだけあって、新鮮で美味しいです。さすがに日本の一流店との比較はできませんが、それでも日本で食べる寿司と大きくは遜色ありません。久しぶりにちゃんとした日本食を食べている気分に浸って幸せです。うなぎの握りも頂きました。
そして、日本食に飢えた二人ですので、結局、寿司だけではモノ足らず、鉄板焼きも注文し、Wasabi の看板メニューを大いに楽しませていただきました。最終的にお値段はうわさ通りの水準でしたが汗、それくらいの贅沢をしてでも、ここムンバイでこれだけちゃんとした日本食を食べられるのは有り難いことです。
カウンターで寿司を握っていただいたのは、ムンバイに来て一年ほどの日本人の職人さん。寿司のネタを見ながら、カウンター越しに日本人の職人さんと日本語でお話できるのもまたここでは貴重です。友人と一緒に、とても幸せな時間を過ごさせて頂きました。また来てくださいねと言われましたが、気軽に来れる場所ではないので笑、帰国前に再訪問できるかどうかといった感じです笑。
最近 Facebook の投稿に度々新サンマの写真が登場するようになり笑、日本に秋が到来しつつあることを感じます。食欲の秋ですね。まだ少し早いですが、木々の彩りの移り変わりも美しい季節も近づいてきました。カフェで読書なんてのもいいですね。日本人として、「秋」という響きを聞くだけで色々なものが連想できます。
モンスーンが終わりつつあるムンバイは、青空が見える日も増えてきています。そして以前よりも太陽の光がより強く届き、夕日が建物をオレンジ色に照らすようになりました。といってもこちらは湿度が高いせいか、日本の秋空のような、透き通るような青や辺り一面が染まるような赤ではありませんけれど、それでも毎日どんよりとしていたこれまでの数ヶ月よりはずっと良いですね。
そんなことを考えながら以前撮った写真を見返していました。何気なく撮った写真ででも、今見返すと、うーむ、日本はいいなぁと改めて思うものばかり。
ムンバイは一年を通じて温暖な気候なので、モンスーン以外に自然を通じて季節を感じるものもがあまりありません。旬の食べ物も聞いたことがありませんし(きっとあるのでしょうが)、もちろん紅葉もありません。
僕がムンバイに生まれていたら(インドは広いのでムンバイに限定)、秋に対してどんなイメージを持っていたんだろうと思います。秋 (Autumn) という季節があることは知っている。夏の終わりと冬の始まりの間にあることは知っている。それは雨季が終わる時期で、そしてディワリ(インド最大のお祭)の時期だ。そんな感じなんでしょうか。
春には桜を愛で、夏には緑いっぱいの自然を満喫し、秋には紅葉を楽しみ、そして冬には雪が降る日本。いいですね。本当にいいなと思います。
別にホームシックになってるわけじゃありません、まだまだインドで頑張れますよ笑。
先日インドに来て初めてコルカタへ出張しました。朝7時のフライトにのるため、5時に家を出て、6時過ぎにチェックインです。ムンバイはインドの西沿岸ですが、コルカタはバングラデシュに面するインドの東側。2.5時間のフライト時間でした。
コルカタといえばかつてのイギリス領地時代の首都。しかし今は首都機能はデリー、商業機能はムンバイのその座を譲ってしまっています。時間があれば観光に訪れてみたいところですが、果たして残りのインド滞在期間中に叶うかどうか。個人的には東よりも、北西と南に興味があります。
北西というのはラジャスタン (Rajasthan) 州、南というのはケララ (Kerala) 州です。ラジャスタン州のジャイプール (Jaipur) は春に訪れました。気温が下がる秋以降、ジョードプル (Jodhpur) 行きを狙っています。
先日、ある方と話していて興味を惹かれたテーマです。例えば外交官のように、10年周期あるいはそれ以上の周期で海外に在住する家族が直面する課題の一つが、自分たちの子供の「思考言語の選択」だそうです。選択といっても基本的には、日本語を選ぶのか、英語を選ぶのかということです。
ここでいう「思考言語」とは、普段自分が何か物事を考えるときに、無意識に選択する言語を意味しています。当然、僕の場合は日本語になります。
僕はこうした分野についての知見はないので、以下は推測による話になりますが、人は後天的に非母国語を学ぶことによって、その言葉を母国語とする人と同程度に、その言葉を使う能力を高めることは可能であると思います。したがって他者との「コミュニケーション手段としての言語」については、論理的には、努力によって後天的にいくらでも習得することは可能と言っても良いかと思います。
しかし、人が無意識に選択する「思考言語」となると(もしそういうものが存在するならばですが)、それはおそらく一つの言語に集約されるといっても良いのではないかと思います。もしかするとヨーロッパの家庭に様に、異なる母国語を話す両親に育てられた子供はまた違うのかもしれませんが、それはここでは一旦は例外としておきます。
冒頭の話に戻ると、日本人外交官の様に、長期にわたって海外業務に従事する家庭において、自分たちの子供の思考言語の選択は、子供の教育における両親の重大な意思決定であり責任の一つであるとのことなのです。「両親の」と書いたのは、子供は年齢的に自分自身でその選択をすることはできず、親が「決める」必要があるためです。そして、今の時代においては、それを日本語にするのか英語にするのかという選択に迫られているとのことでした。
思考言語の選択、つまり日本語で考えるか英語で考えるか、によってどういった違いが生まれてくるのかについては興味深い問題ですが、ややこしくなりそうなので、ここでは一旦置いておきます。ただし一般的な感覚として、言語と文化、言事と習慣が切り離せないことを考えれば、当然、日本語か英語かという選択は、その子供の将来の思考様式や行動様式を大きく左右することは想像に難くありません。
僕は英語は後天的に身につけた言語で、しかも日本語と比べるとまだその運用能力は低いので、英語による思考の世界について深く考えることはできません。しかし実際に海外で暮らしていると、当然ですが、英語による思考が自然にできることのメリットは計り知れないであろうと感じています。少なくとも、これからの時代においては、合理的に考えれば英語を選択することは自然な流れではないかと思います。
一方で、日本の文化、思考、習慣といったものは、海外で暮らしていてその素晴らしさを再認識していますし、今後も正しく継承され評価されるべきものだと思っています。そして、それらと切り離すことのできない日本語を、少なくとも日本人である以上は、自分の子供の思考言語としたいとの想いもあります。加えて、正しく使うことができれば、グローバル化する世界であるからこそ、他者と差別化するための要素になりえると信じています。
自分の子供にどちらの言葉を選択すべきか、というのは答えのない世界です。もし自分がその立場なら、子供の将来ためにどちらを選ぶのだろうと考えてしまいます。そして、これは、今はまだ長期海外在住者だけの問題かもしれませんが、そう遠くない将来に国内を拠点とする家族にとっても重要な問いになってくるだろうと思います。
インドの自宅に来てくれているメイドさんとの雑談の中で、エボラ出血熱が話題に登りました。
彼女曰く、プネ (Pune) でエボラウイルスに感染した患者が出たとのこと。プネはムンバイから車で3時間ほどの街で、最近、大企業の進出も進む発展著しい街。
僕はそこまでエボラに関してのニュースを追いかけていなかったのですが、そんな話は知らなかったのでちょっと驚き、ネットで検索してみました。実際、8月13日付のこちらニュースを読むと、プネでエボラウイルス感染の疑いのある患者がいたことは事実のようです。ただ、最終的な血液検査では陰性だったと書かれてあります。
またつい昨日のニュースでは、デリー国際空港にて6名の乗客がエボラウイルス感染の疑いで隔離されています。また、同ニュースでは、その間にリベリア、ナイジェリアから85名のインド人がムンバイ国際空港に到着。特に検査では異常なしだったとのこと。
次の記事では、インドにおけるリスクとして、現在エボラ出血熱の患者が多発している地域で働くインド人からの感染を挙げています。同記事によれば、エボラウイルスの発生している地域では約45,000人のインド人が住み、特にナイジェリアでは40,000人相当のインド人が在住と書かれています。
こうして日々、エボラウイルスのインド国内侵入が瀬戸際で食い止められているんですね。
僕が最初にエボラウイルスを知ったのは、学生の頃に読んだリチャード・プレストン著の『ホット・ゾーン』を読んだ時になります。それを読んだのが学生のいつの時点だったか忘れてしまいましたが、同書の発行が1994年なので、今から15年から20年くらい前になるんでしょうか。
当時これを読んで、世の中にはなんと恐ろしいウイルスがあるものだろうかと一人戦々恐々としていたのですが、その後は特にその名を聞くことはなく、エボラウイルスのアウトブレイクというものは幻だったのかと思っていました。それが今年に入ってかなりのインパクトを世界に与える事態に発展し驚いています。
今回のエボラウイルスに限らず、近年では SARS の様に、これまでもある時期に爆発的にウイルスが広まり人類を脅威に与えるということは度々起こっています。一方で、実際には自分たちの体は日々多くの病原菌やウイルスに触れながらも、体の免疫系に守られ全く影響を受けることなく過ごしている。その微妙なバランスに、生命の複雑さを感じますね。
そういえば、スピルバーグの『宇宙戦争』も、最終的には地球のバクテリアがそれに対する免疫を持たないエイリアンを弱体化させ死に至らしめるというストーリーでしたね(ネタバレすみません)。
やや話がそれましたが、アフリカに近く人口の多いインドということで、やはり今回のエボラウイルスの脅威は日本よりも高いのだろうなと感じます。かといって僕ができることといえば、状況を静観することだけですけれど。
これまで何度か書いてきていますが、僕の生活圏では日本人は僕一人です。勤務先のオフィスはもちろん、仕事でお会いするお客さんもほぼインド人で、たまに欧米からの出張者がいらっしゃる程度。私生活でも、月に一回程度の日本人会の若手の皆さんとの交流会を除けば、インド人社会の中で毎日を過ごしています。
こうした環境で過ごしていると、自分は日本を代表している、という意識が自然と強くなります。もちろん日本代表と言っても、オリンピック選手やワールドカップ選手のそれと比べれば全然ちっぽけなものですが、それでも、僕が仕事や私生活で普段接する多くのインド人にとっては「僕イコール日本人なんだ」と意識させられるのです。彼らにとっては、僕の振る舞いは、僕という個人の振る舞いであると同時に、日本人の振る舞いでもあるんです。
例えば、仕事のプロジェクトで一緒になったメンバーと雑談をすると、よく「日本の XX はどうなんだ」「こういう時、日本人はどう考えるんだ」という質問を受けます。あるいは、僕の振る舞いを見て「日本人は丁寧だな」といった感想を持たれたり、「日本人はきっちり仕事をするから、お前もちゃんとこの仕事をしてくれると思う」といった期待を持たれたりするのです。
彼らは、僕という個人を見て、その延長線上に日本人を見ている。そう強く意識させられます。
今日までインドで生活していて、インド人が持っている日本そして日本人の印象は総じて大変良いものであると感じています。
ほとんどのインド人は日本に行ったことはありませんし、直接日本人と接する機会もほとんどありません。したがって、メディアの情報を通じて受ける印象がベースになっているのだと思いますが、日本や日本人に対して、ある種の尊敬の念といったものを抱いてもらっていると感じます。全てではないにしろ、日本の文化、精神、技術、サービスといった様々な日本の資産を評価してもらっていると感じます。
僕という個人を通じて日本が見られているのだとすれば、こうした日本のブランドや品位を損なうことがあってはならないと思っています。自分が至らないことも少なくありませんが、少なくとも意識の上では、その責任を果たせるように考え、発言し、行動しなくてはいけないと思っています。
僕の仕事のやり方、人との接し方、日本という国に対する視座のあり方から、街中でのちょっとした振る舞い方やゴミの捨て方まで、そういった言動の端々に、日本人としての意識や健全な誇りを持ちたいと思っています。
背番号はなくとも僕は日本代表なんだ、そう思いたいのです。
インドに来て以来、グローバル人材とは、という問いについて度々考えることがあります。その一つの答えとして、母国の国旗を背負えること、というのはあり得るのかなと思っています。
もちろん語学力を含めたスキル的な部分や、特定分野における専門性といった実践的な要素は当然重要だと思います。それでも、非常に曖昧ですが、自分の国の国旗を背負って他国の人間と付き合える意識とそれ相応の言動が取れることって、より本質的に大切な要素はないかなと思うんです。
そう考えると、僕はまだまだ未熟者ですが、地道に頑張っていきます。
ムンバイは雨がすっかり日常となりました。5月末まで一度も雨を経験しなかったのに、7月以降、毎日雨が降っています。
時に鬱陶しいこともある雨ですが、雨は雨で情緒豊かな表情を見せてくれることもあります。そして何よりも自然にとっては恵みですね。
あっという間に8月。インドの生活も残り5ヶ月を切りました。
写真を整理していたら、ふと過去に撮った写真が目に入りました。
撮った日付は 2012年12月21日になっています。代官山の蔦屋書店で撮ったものですが、テーブルの上にはインド関係の書籍と、取得したばかりの観光用ビザが置かれています。
2012年の年末年始の休みを利用して、インドに一人旅に出かけました。インドに行くことの明確な目的があったわけではありませんが、一生のうちに一度は行っておきたいと思っていたのと、行くなら一人が良さそうだなとずっと考えていたことは確かで、それを行動に移すなら今だと思ったのは確かです。
数日後の25日に成田を出発し、デリーを経由して27日にガンジス川のあるバラナシへ。そこで数日を過ごし年末年始はタージマハルのあるアグラの近くで現地で知り合ったインド人たちと寝食を共に過ごしました。そして年明けにデリーに戻りさらにネパールに立ち寄った後、帰国しました。約10日間の一人旅でした。
その時が初めてのインドの旅となったわけですが、1年後の2013年末、再びインドの地を踏むことになるとは当時は全く思いもよらず。
偶然なのか必然なのか分かりませんけれど、あの時にインドを訪れていていなければ、きっとインドで仕事をしてみたいという気持ちも生まれなかったと思いますから、やはり必然なのかもしれません。そして、今インドで何とか生活が続けられるのも、1年半前に思い切って一人でインドに旅だった自分がいたからです。
そう考えると、人生はつくづく日々の積み重ねであって、今日考えたことや起こったことが、将来のどこかのタイミングで結びついていくんだなと思います。今の環境に感謝できることがあるとすれば、それは過去の自分がどこかでその種を蒔いたからですし、今日蒔く種は、将来の自分をつくっていくんですよね。
それと、やっぱり写真はいいなと思いました。
自分で撮った写真を見ると、その時の周りの様子や自分の心境が今でも鮮明に思い出せるような気がします。あの時、休日の蔦屋書店は座る場所を確保するのも大変なくらいに混んでいたのですが、その中で自分は、これからインドに一人旅に出るのだという高揚と緊張とに包まれていました。
これからも、拙いながらも自分の写真と自分の言葉で世界を切り取っていきたいと思います。
デリーからムンバイに戻りました。といってもまたムンバイの自宅で過ごすのは週末のみで週明けからは再びデリーです。
今関わっているプロジェクトですが、プロジェクト最終日までの時間が短いため、平日は朝から夜までかなりみっちりと仕事が入ってしまいます。しかもホテル住まいという環境のため、せめて夜は自宅でゆっくりというわけにもいかず、どうしても張り詰めた気持ちが続いてしまいがちです。結果的に目の前の仕事のことで頭が一杯になりがちな毎日となっています。
しかしこうした毎日の中においても、中長期的な視点を忘れず、今の自分のあり方について振り返り、将来に向けた行動の布石を打っておきたいものです。今日の自分は数年前の自分の思考や行動の結果ですから、数年後の自分は、今日の思考と行動が大きな鍵を握っています。その時、自分が望む状態を手に入れているために、今日を意識的に過ごせたらと思っています。
今のように、直近の仕事のために必要な時間が日常の大半を占めているような状況においても、中長期的な視点を忘れないために私が意識していることは、朝起きたら手帳に書いてある自分のありたい姿を確認することと、加えてメモ書きで良いので手帳にそれに関連した自分の思考結果を書きとどめておくことです。私が尊敬するある方は「杭を打つ」という表現をよく使われていますが、まさに自分の手で思考を残すことによって、多忙な日常に流されないよう杭を打っているイメージです。
もちろんメモを書いたところで、それに付随する具体的な行動をその日に起こせるかというと難しい日も多いです。第二領域の時間はあらかじめ天引きすべし、というのは正論として理解していても、時間に追われてしまうことも現実には少なくないと思います。ですから、行動レベルで日々結果を残していくことは理想としつつも、それが難しい場合には、せめて自分の意識だけでも第二領域の世界に飛ばし思考を言語化しておくことで、自分がその世界に片足だけでも留まれるよう杭を打っておきたいのです。
写真はデリーからムンバイに戻る機上で撮影したもの。雨期のムンバイの上空はたくさんのダイナミックな形の雲に覆われていました。コンパクトな Ricoh GR は出張時でもカバンに入れておける頼もしいカメラです。
前回の記事の更新が3月末でしたので、2ヶ月以上の空白期間を経て、こちらの記事を書いているところです。こちらでの仕事が忙しくなったのも理由の一つですが、加えて、このブログの立ち位置というかあり方について自分の中でうまく整理ができず、筆が止まってしまっていました。
この2ヶ月ほどの間に起こった事というと、インドでは複数のプロジェクトを経験し、週末を利用して日本の友人たちと東南アジアを中心としたいくつかの国を視察し、また久しぶりに短期間ながらも日本への一時帰国を果たしました。ブログの更新は止まっていたものの、充実した時間を過ごせていたように思います。
既に6月に入り海外生活も半年になろうとしています。まだ半年と言うべきか、もう半年と言うべきか難しいところですが、半年前の自分と今の自分とを比べ明らかに変わったことといえば、自分が日本人であることが強く意識されるようになった事ではないかと思います。インドという異国の地で生活し仕事をするため、その土地の人々の世界観や価値観をできるだけ理解しようと努めれば努めるほどに、日本人である自分が持っている世界観や価値観との違いが浮かび上がってきました。
例えば、「自分が発する言葉」に対する意味合いの違いといったものも、日本とここインドでは随分と違うものです。日本は自分の言葉に対する責任感が強い一方、それに引きづられる傾向がある(武士に二言はないの世界)。しかしインドでは状況が変われば自分の発言もリセットし新しい枠組みを構築できるような柔軟性を感じます。
こうした文化や社会における価値観や世界観の違いという視点を持って、インド以外の国を訪れてみると、やはり同じような気付きや発見があります。日本に生まれ育ってきた結果自分の体に染み込んでいる様々な「日本的なもの」が日本を離れることによって初めて明確に意識できるようになったのかもしれません。
加えて面白いのは、日本へ一時帰国をしてみても、以前は当たり前のものとして気付かなかった「日本的なもの」の存在をあちこちに感じることです。海外で暮らすという経験が、それらに対する感度を上げたのではないかと思っています。
まとまりの話になりましたが、冒頭に書いたこのブログのあり方については、自分でもまだどういう方向性に持って行きたいのかは明確に分かっていません。ただしブログのタイトル Phoword に “Moving forward through photos and words” という意味を込めた様に、写真と言葉で世界を切り拓くという軸はブラさず、自分の思考を残しておきたいと思っています。