LIFE!

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To see the world, things dangerous to come to, to see behind walls, to draw closer, to find each other and to feel.
That is the purpose of life.

好きな映画は何かと聞かれてすぐに思い浮かぶのが「ショーシャンクの空に」だ。希望を捨てず、小さな努力を積み重ね、最後に自由を手に入れる主人公の姿が印象的であり、また励まされる。そして、少し前に観た「LIFE! (ライフ)」もまた、自分の中で何度も見返したい映画になりそうな気がする。

Summer in Tokyo

普段は海外旅行に出てしまう夏休みだが、今年はゆっくりと都内で過ごしている。昨年末に日本に帰国した後にスタートしたプロジェクトが地方常駐のもので、かつ頻繁に中国出張が入るので、都内にいるのは実質週末のみという生活がずっと続いていた。だから夏休みはむしろ自宅で過ごそうと思った。 自宅で過ごすと言っても何もせずにぼっとするというより、自分の生活環境の改善を試みている。ここ最近ずっと自分の生活に行き詰まり感があったので、まずは身の回りをシンプルにしようと思い、いわゆる断捨離を実施している。 「もったいない」という気持ちと戦いながらも、「これは本当に自分に必要か」と問いかけながら不要な本、不要な服、不要な小物を片っ端から処分中。だんだんと部屋がスッキリしていくにつれて、自分の身辺も整理が付いていくような気がする。 シンプルに、自分が好きなもの、必要なものだけを選び、それと長く付き合うような生活がしたい。

Monochrome in Shinjuku Gyoen

2012年の終わり頃から フジフイルムのカメラ(X シリーズ)を愛用している。 今使っているのはレンズ交換タイプの X-T1 と、光学ファインダー付きでレンズ固定の X100T の2台。Xシリーズに出会ってから他のカメラをほとんど使わなくなり、ニコンのフルサイズ一眼レフも手放してしまった。 日常生活の何気ない瞬間、散歩中に街中で出会う風景、あるいは旅先での美しい景色。静かに心と対話しながら写真を撮りたい時、Xシリーズはそれに応えてくれる気がする。 このカメラで撮れる世界をもっと撮ってみたい。

はや半年・・・

インドから帰国してはや半年が経過。その間、公私ともに精力的に活動していたものの、このブログは放置・・・。 遙か離れたインドから日本に向けて文章を書き綴っていたこのサイトで、いざ日本に戻ってきて日本で起こっていることを書くというのは、なかなか気持ちがスムーズに繋がらなかったようです。 今もうまく言葉が出てこないところはありますが、そうなると永遠に書けないので、まずは写真を載せていくことを主眼に、あまり難しいことを考えずに書けることを書いていこうかなと思います。 冒頭の写真は伊勢にて。最近仕事で中部・関西方面によく行くので週末を利用して行ってきました。伊勢神宮も素晴らしい場所でしたが、内宮の近くにあるおかげ横丁もまた風情があって歩くのが楽しい場所。良い気分転換になりました。旅のお供カメラは Fujifilm X100T。

片道切符

帰国日が決まり、国際線の片道切符を買いました。 昨年12月、僕は成田からムンバイまでの国際線の片道切符を買いインドでの生活をスタートしたわけですが、それから約一年が経ち、今回はそれを補う形でムンバイから成田までの片道切符を買ったことになります。 日本国内の電車での移動ならまだしも、国際線のフライトチケットで片道切符を買うというのはなかなか経験できるものではないと思います。その切符には、しばらく日本に帰らず海外で暮らすという決意が込められているわけですから。 一年前にインド行きの片道切符を買った時は、もちろん新しい生活への期待も高かったた一方、同時に不安も大きかったです。以前に観光者としてインドを訪れたことがあったとはいえ、長期滞在でしかも仕事をするとなると話は別。自分にどんな生活が待っているかなど想像できませんでした。そして実際に待っていた生活は、日本では経験できない「異常値」の経験ばかりでありましたが、その意味では、期待通り、想像通りだったとも言えます。 インドで一年過ごして自分の中で何が変わったのか、という質問をされたら何と答えようかなと考えていたのですが、今出てくる答えとしては、「自分が受け入れることのできる世界がずっと広くなった」ということかなと思っています。異常値に出会った時、それに反発したり無視するのではなく、それも世界のあり様の一つなのだと理解し受け入れられるようになったと思います(仮に納得出来ないとしても)。 同時に一種の安心感を覚えました。この地球には本当に色々な世界が存在していて、自分が生きていく場所はたくさんあるんだなという事が、体全体で理解できたような気がします。もちろんこれはインドで生きていくとかそういう直接的な意味ではないのですが、世界はとても多様で、色々なことを許容してくれるんだという事が信じられるようになりました。 インドでの学びについては今はこれ以上は書かないでおきますが、日本に戻った後、折にふれて何度も振り返っていきたいと思っています。 インドに住み始めてからも何度か日本に帰国しています。ただし、いずれの場合もチケット予約画面では “Return” にチェックし往復の日付を指定して買っていました。それが今回は “One way” にチェックしし片道の日付のみを指定。到着地はもちろん Tokyo です。予約が完了した時、そうか自分は日本に帰るのか、という実感が湧いてきました。 ムンバイでの生活に名残惜しさもありますが、やはり自分の国に帰るというこの感じはなかなか良いものです。今回の片道切符ですが、自分にとっては日本での生活に戻るというよりも、日本での「再スタート」のような感じがしています。

アジアの西の果てとヨーロッパの東の果て

長期休暇を取得しトルコとギリシャを周っていました。どちらも初めての訪問でしたが、長い歴史の積み重ねを感じさせる重厚な場所でした。 中でもトルコはイスタンブールといえば、黒海とエーゲ海とをつなぐボスポラス海峡の両岸に亘って存在するわけですが、海峡の東側をアジア、西側をヨーロッパと見なすならば、イスタンブールはアジアにとっては最も西にあり、ヨーロッパにとっては最も東にあるとも言えます。 ヨーロッパとアジアそれぞれの民族や国家はこのボスポラス海峡を何度も渡りながら交流しまた覇権を争ってきたわけで、歴史上、常に重要な役割を担ってきた場所。 今はイスラム教の国だけあって、1日5回の礼拝の時間を知らせるアザーンが流れるこの街に滞在し、数々の遺産を廻りながらその歴史の変遷に思いを巡らしました。 僕は学生時代は世界史に関しては全く出来の悪い学生でしたが、実際にその歴史が作られた場所に訪れ五感を通じてその場所を体験すると、すべてのストーリーがリアルに感じられ、点と点が線として繋がってとても面白いですね。もっと学んでみたくなります。 滞在の過程で様々な刺激を受け色々と考えさせられましたが、まだうまく言葉にでてきません。少しずつ整理していけたらと思います。 冒頭の写真はイスタンブールのスルタンアフメット・モスク (Sultanahmet Camii)、通称ブルーモスクです。モスクの美しさに気づくことができたのも、今回の旅の実りの一つ。今回の旅路で撮った写真も合計2000枚を超えましたので、こちらも少しずつご紹介していけたらと思います。

インドからの一時帰国。久しぶりに見た日本で考えたこと

実は10月末に一週間ほど日本に一時帰国していました。身内のプライベートなことでの帰国だったので誰にも言わずでしたが。ほとんど実家で過ごして、しかも平日は仕事もしていたのでほとんど外出していませんけれど、とにかく日本にいました。 それで、結論から言うと、日本はすごかったです。何だかすごい国でした。その話を書いておこうと思います。 ちなみにこれまでも今年に入って数回一時帰国しているんですが、いずれも週末だけの弾丸帰国で一週間くらい日本にいたのは今回がインドに来てから初めてです。 すごいよ日本 インドから日本へはデリー経由で成田空港に着いたんですけれど、久しぶりに ANA に乗ったんですね。これまでの弾丸帰国はより安い Air India を使っていました。ANA なので、機内の案内がヒンディーじゃなくて日本語で流れますし、おしぼりも出てきますし、オレンジ色の派手な色遣いじゃなくてブルー系統の落ち着いた雰囲気で、既にこの時点で「おかえりなさい」と言われている気がしました。 ただし一点だけ残念な点がありまして、僕はインド国内からの往復便を買ったのですが、何故かその予約サイトでは日本食を機内食として選択するオプションがなかったんです。それでヒンズーミールとかイスラム料理とか、そんなオプションしかなかったので、とりあえずヒンズーミールを選んでおいたんです。そうしたら飛行機の座席に座るなり、アテンダンスさんから「お客さま、ヒンズーミールを選択されていますが・・・」と明らかに日本人顔の僕を見ながら若干遠慮気味に確認されたので「それしかオプションがなかったんですが日本食に変更できますか」と聞いたら「あいにく余裕がございません・・・申し訳ありません」と即答されてしまったんです。 もちろんヒンズーミールを選んでしまった僕が悪いですし、できるだけ無駄を減らす企業努力として当然なので全く文句はないのですが、せっかくの ANA 便で日本に帰るという時に「ヒンズーミール」を食べた僕の気持ちが分かるでしょうか。それにこれは個人的な感想なんですけれど、ヒンズーミールに関して言えば ANA よりも Air India の方がスパイス具合などが一段上をいっているなと思いました。インドに1年弱住んだ成果として、それくらいの判断ができるようになりました。ですので、これをお読みの皆さんにお伝えしておくと、ヒンズーミールを機内食で食べたい方は ANA ではなくて Air India を選択いただければ間違いはないかと思います。Air India であれば、ベジタリアン向けかどうか (Veg / Non-Veg) も選択可能でより充実しています。 すみません。書きたかったのはこういう話ではなくて、日本はすごいよという話です。 成田空港に着いたのは日本時間のお昼すぎですが、成田エクスプレスで都内に移動して所用を済まし、そのまま夕方には北関東の実家に帰りました。その過程で僕が感動したり喜んでしまったことをメモっていたのですが、こんなことを感じていました。 あらためてすごいよ日本 成田へ着陸する時、緑に囲まれゴミひとつない整備された道路や家の並びをその機内の窓から見て感動しました。先日モディ首相が日本を訪れた際に日本のあまりに綺麗さにショックを受けたという話をインドの友人がしていましたが、僕も成田空港で既にショックを受けてしまいました。ムンバイですと空港の周りにはスラムが拡がっていて、それはそれで上空から見ると、ムンバイに帰ってきたなと思わせる風格がありますけれど、客観的に見てどちらが心地よいかというと日本の空港だと思います(注:ムンバイのスラムはネガティブなものではありません。詳細は文末のリンクからダラヴィ・スラムに行った際の記事をご覧ください)。 そして、飛行機で着陸した瞬間から僕の iPhone が 4G ネットワークに繋がってしまい、あまりの高速通信に驚愕してしまいました。10時間ぶりに Facebook を見たら、タイムラインが一瞬で表示されて、そこに載っている動画がグリグリ動いていました。ムンバイですと、空港に降りて繋がるのは EDGE で、これは 2.5G とか呼ばれていましたが、日本ですと10年くらい前によく使われていた規格です。Facebook を表示しようとすると iPhone で最初の画面が出るまで1分以上かかることもありますし、遅くて見るのを諦めることもあります。ムンバイの市内に行くとようやく 3G が使えますが、帯域が狭いのでやっぱり遅いです。 空港で成田エクスプレスに乗る前の時間調整としてスターバックスに行ったんですが、そこで座っているだけで顔がにやけました。まずコーヒーが美味しいですし、それなりの数の人が座っていましたが、皆さん静かです。オシャレな音楽を聞きながら落ち着いた空間でコーヒーを飲むだけで幸せでした。成田エクスプレスのチケットを買う時、自動化されたチケット販売機があって、しかも全てがちゃんと動作していて、列に並ぶだけで何の滞りもなくチケットを買うことが出来ました。感動。 もちろん電車の時刻は正確で、時間通りに電車が到着して時間通りに発車しました。電車の車内は清潔でゴミが落ちておらず、座席のリクライニングもちゃんと動作しました。以前 Air India に乗った時はリクライニングが壊れていて、アテンダンスの方に着陸だから元の位置に戻してと言われても戻せなかったので、自分で姿勢を正して戻ったように見せかけたことを思い出しました。 ANA でヒンズーミールを食べたことによって本来食べられたはずの日本食一回分を失ってしまったわけですが、都内についてようやく昼食として念願の日本食を食べました。その時に出てくるお冷が何の心配もなく飲めることに感動しました。というよりも最初は無意識に手を付けなかったんですが、そうか、これは飲めるんだと思って、飲めたのがうれしかったです。日本食については書きません。キリがありませんから笑。 インドにある自分の銀行口座に日本円を送金したかったのでシティバンクに寄りました。そうしたら何も言わないのにキレイなお姉さんが声をかけてきてくれて、送金の手続きについて詳しく教えてくれました。当たり前ですが日本語で。それでどれくらいの日数で送金できそうか聞いたら、いくつかの事例を教えてくれて大体これくらいかかりますねという話をしてくれたんですが、ちゃんと理路整然としていてどこまでがシティバンクの管轄でどこからが管轄外かも教えてくれました。サービス業の窓口ってこんなに丁寧だったっけ。 都内から実家のある駅に着いて、タクシーに乗って帰宅しようとしたのですが、タクシーの扉が勝手に開いて戸惑いました。ウソじゃなくて本当に最初は自分で開けようとしてしまったのです。タクシーの車内は清潔で、エアコンがちゃんと付いていて、サスペンションもしっかりしていて揺れないのが驚きでした。そして道路の静かなこと。ちゃんと平坦に舗装されていますし、クラクションが鳴らないですし、交差点には信号があってその通りにクルマが走っています。すごいなぁ。ベンツは静寂で全く揺れないなんて言われますけれど、いやいや、日本のタクシーも超高級車です。 日本で何が不満なの これらは全て、初日のたった半日だけのことですけれど、日本に帰国して僕が感動したことの一部です。できるだけ具体的に書いてみたんですけれど、少しでもその感動が伝わりますでしょうか。 それで思ったことなんですが、もちろん日本は素晴らしい、すごい、ということもそうですが、その裏返しとして日本のどこか不満なんだろう、ってことなんです。こんなに全てが完璧と思ってしまうくらいに環境が充実している日本に住んでいて、これ以上不満に感じなくてはいけないことって何なのでしょうか。こんなに素晴らしい環境にいながら、なおも満たされない日常があるとすれば、それは何が原因なのでしょうか。にも関わらず、日本では満たされずに精神的な苦悩を持つ人の数が少なくありません。何が悪いんでしょうか。 と言いつつも、僕も一年前は東京にいましたが、その時はこんなことは全く考えませんでした。漠然と日本の良さを理解しつつも、でもそれに対して幸せだなぁといちいち感動なんてしていません。それが当たり前のことですから。そして日本に戻って一年もすればこういう感動は忘れて、以前のように日々の出来事に不満を抱いてしまうかもしれません。 今回日本に帰ってみて、人の喜びや幸せは極めて相対的なものなのだと実感しました。今の環境(=インド)に慣れた自分にとっては、日本では当たり前のサービスを経験するだけで幸せと思ってしまいます。それはインドから見ると相対的に日本が圧倒的にすごいからです。しかし、日本に慣れてしまうと、その感動は薄れてしまい、さらに相対的にすごいものに出会わなければ感動できない。 常により良い物を、より良い環境を、というヒトとしての本能的な欲求があったからこそ、今の日本があるのだと思います。ただ難しいのは、絶対的な水準としてかなり高いレベルにある今の日本が、さらに「より良い」と思えるようなモノやコトを見つけ出すことの難易度が相当に上がってしまっているということです。日本を今より「すごく良くする」アイデアって何? と聞かれるとうまく答えられません。 それでも、その問いを見つけていかなきゃいけないなと思います。多分それはもはや単純な物質的な欲求に答えるだけの世界ではないでしょう。なぜなら物質的な部分は既に圧倒的に満たされているはずの日本ですら、人の不満や不安は消えていないからです。他の国に参考事例があるかというとあんまり無いような気がします。ヒントはあるかもしれませんがダイレクトな答えはないでしょう。日本が自ら手探りで答えを出さなくちゃいけないことだと思います。そして、人口が減る中、残された時間はあまりないかもしれません。 今回の記事では書いていませんが、日本にいる間の一週間、毎日感動がありました。別に特別なことではないです。日本人だったら当たり前のこと。でも海外(インド)に一年弱住むだけで、それが感動になっちゃうくらい、日本は素晴らしかったです。僕は今30代前半ですが、日本がもっと先に行くために、僕らの世代が頑張らないといけないんだろうなと思います。簡単な事じゃないですが、がんばりましょう。

習熟の基本は言語化にありとあらためて思う

最近時間があると、以前にもまして Flickr を始めとする写真サイトや、フォトグラファーのブログや、あるいは実際に出版された写真集をよく見ています。何をしているかというと、第一に自分が好きだなと思える作品を見つけることと、第二にそれがなぜ好きだと思ったのか考えること、そして第三にそれを自分で再現するためにはどうすればいいのかを考えることです。 ここで今までの自分を振り返ると、第一ステップの次にいきなり第三ステップを目指そうとしていたのではないかと思うのです。素敵だなぁとかカッコいいなぁと思う写真を見つけた時、自分もそんな写真を撮れるようになるためには何をしたらいいかなと考えていたと思うのです。 ただし最近は、その間のステップ、つまりその写真がなぜ好きなのか考えるというステップを意識して組み込むようにしています。そして、特に重要なのは、好きという漠然とした感情をできるだけ細かい言葉に落としこむことだと思っています。 例えば、その写真の対象となっている主題(人物や風景など)が気に入ったのか、気に入ったとしたらなぜなのか。構図に魅せられたのか、だとしたら何がポイントなのか。あるいはその写真の色の表現の仕方やコントラストの出し方が好きなのか。色の表現が好きなのだとしたら、色相や彩度に分けるとどういうことなのか。コントラストが良いのだとしたら、ハイライトからシャドウに至るまでどういう変化なのか。 ・・・等々、挙げだすとキリがありませんが、写真を構成するこうした個々の要素に分けて自分の言葉に落としこむことによって、「好き」という漠然とした感情で終わらずに、その次のステップである「自分で再現するためにはどうすべきか」という問いに具体的に答えるための材料が生まれてくるのだと思います。その材料をきちんと揃えることができてはじめて、それを表現するための手法とその学習方法がより具体的に見えてくるでしょうし、実践することもできると思うのです。 もちろん芸術表現の一つである写真について、こうした科学的なアプローチが全てだとは思いません。本人が明確に言葉にできないにも関わらず素晴らしい作品が生まれるというケースは芸術の世界では珍しくないことだと思います。とはいえ、そうした才能や資質に依存せずに少しでも今よりも良い写真を撮りたいと思うならば、「言語化」はとても大切なプロセスだと思うのです。 本来はどんな分野においても、その分野での習熟を目指すならばこのプロセスを踏むことは当然のことと思います。曖昧なままでなく言葉に落として要素に分解して、正しい理解のもとステップを踏んでいくことが重要であるはず。ただし写真の場合、それが一見すると感覚的な分野であるがために、その学習も感覚的になってしまいがち。ですがちゃんと考えるとやはり言語化というものは重要で、それは分野を超えた基本中の基本なのだなとあらためて思ったのです。 ・・・などと分かったように書いていますが、まだまだ写真はヘッポコなので引き続き、言語化を意識しながら精進します。。。 Photo of the day Jodhpur, 2014 / Fujifilm X-T1 / VSCO Film

青い街 ジョードプル 訪問記 #3

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ジョードプルで2日目の朝を迎えた。まだ気温が少し穏やかな午前、メへランガール砦 (Mehrangarh Fort) へ向かった。

メへランガール砦は旧市街地からさらに丘を10分ほどオートリキシャで登った場所にあり、ジョードプルの街が展望できる。「砦」の名前がつくように、ここはかつでジョードプルを外敵から守るための重要な拠点であったわけで、今でもその砦の上部にはかつて使われたと思われる砲台が備え付けてある。