FUJIFILM X-Pro2 に搭載された ACROS モードで撮れるモノクロームの世界。これまでも X Series のモノクロには定評があったが、この ACROS は一段と磨きがかかった。軽量コンパクトな XF35mm F2 を付け、目の前の景色をモノクロームの世界に落としていく。
ACROS モードで撮るときは、X-Pro2 の露出はマニュアルでコントロールするようにしている。ISO、絞り、そしてシャッタースピード。それらを全て自分の手で意思を持って操作することで、自分が撮りたい絵が撮れるような気がする。
All photographs taken by Fujifilm X-Pro2 in ACROS mode
: Photography
2012年の終わり頃から フジフイルムのカメラ(X シリーズ)を愛用している。
今使っているのはレンズ交換タイプの X-T1 と、光学ファインダー付きでレンズ固定の X100T の2台。Xシリーズに出会ってから他のカメラをほとんど使わなくなり、ニコンのフルサイズ一眼レフも手放してしまった。
日常生活の何気ない瞬間、散歩中に街中で出会う風景、あるいは旅先での美しい景色。静かに心と対話しながら写真を撮りたい時、Xシリーズはそれに応えてくれる気がする。
このカメラで撮れる世界をもっと撮ってみたい。
最近時間があると、以前にもまして Flickr を始めとする写真サイトや、フォトグラファーのブログや、あるいは実際に出版された写真集をよく見ています。何をしているかというと、第一に自分が好きだなと思える作品を見つけることと、第二にそれがなぜ好きだと思ったのか考えること、そして第三にそれを自分で再現するためにはどうすればいいのかを考えることです。
ここで今までの自分を振り返ると、第一ステップの次にいきなり第三ステップを目指そうとしていたのではないかと思うのです。素敵だなぁとかカッコいいなぁと思う写真を見つけた時、自分もそんな写真を撮れるようになるためには何をしたらいいかなと考えていたと思うのです。
ただし最近は、その間のステップ、つまりその写真がなぜ好きなのか考えるというステップを意識して組み込むようにしています。そして、特に重要なのは、好きという漠然とした感情をできるだけ細かい言葉に落としこむことだと思っています。
例えば、その写真の対象となっている主題(人物や風景など)が気に入ったのか、気に入ったとしたらなぜなのか。構図に魅せられたのか、だとしたら何がポイントなのか。あるいはその写真の色の表現の仕方やコントラストの出し方が好きなのか。色の表現が好きなのだとしたら、色相や彩度に分けるとどういうことなのか。コントラストが良いのだとしたら、ハイライトからシャドウに至るまでどういう変化なのか。
・・・等々、挙げだすとキリがありませんが、写真を構成するこうした個々の要素に分けて自分の言葉に落としこむことによって、「好き」という漠然とした感情で終わらずに、その次のステップである「自分で再現するためにはどうすべきか」という問いに具体的に答えるための材料が生まれてくるのだと思います。その材料をきちんと揃えることができてはじめて、それを表現するための手法とその学習方法がより具体的に見えてくるでしょうし、実践することもできると思うのです。
もちろん芸術表現の一つである写真について、こうした科学的なアプローチが全てだとは思いません。本人が明確に言葉にできないにも関わらず素晴らしい作品が生まれるというケースは芸術の世界では珍しくないことだと思います。とはいえ、そうした才能や資質に依存せずに少しでも今よりも良い写真を撮りたいと思うならば、「言語化」はとても大切なプロセスだと思うのです。
本来はどんな分野においても、その分野での習熟を目指すならばこのプロセスを踏むことは当然のことと思います。曖昧なままでなく言葉に落として要素に分解して、正しい理解のもとステップを踏んでいくことが重要であるはず。ただし写真の場合、それが一見すると感覚的な分野であるがために、その学習も感覚的になってしまいがち。ですがちゃんと考えるとやはり言語化というものは重要で、それは分野を超えた基本中の基本なのだなとあらためて思ったのです。
・・・などと分かったように書いていますが、まだまだ写真はヘッポコなので引き続き、言語化を意識しながら精進します。。。
Photo of the day Jodhpur, 2014 / Fujifilm X-T1 / VSCO Film
Colaba Causeway を歩いたことのある外国人ならほぼ100%、声をかけられたことがあるはず。謎の太鼓売り達。
彼らは観光客にこの太鼓を必死にアピールしてくる。僕はこの太鼓とインドとの関係がよくわからないのだが、アフリカに近いムンバイだから、あちらの大陸からの流れを汲んでいるのかもしれない。しかし、残念ながらこれを買っている観光客を見たことはない。以前値段を聞いてみたら交渉前の値段で 600 ルピー(約1,000円)と言われた。
Colaba Causeway の様な場所では大きなカメラは人目を引く。だから Ricoh GR を使う割合がとても高い。センサーサイズが APS-C になった現行 GR は写りも文句ないので、このカメラだけ持って出かけても不安はなくなった気がする。
僕にとってのムンバイといえばやっぱり Colaba をおいて他にはないと思う。
目抜き通りである Colaba Causeway から少し入ったところに、このマーケットがある。今となっては一人でも入っていけるようになったけど、来て間もない頃は遠巻きに見て通り過ぎるだけだった。あまりの熱気に圧倒されていたんだと思う。このマーケットに気軽に入れるようになった時が、多分、インドで暮らすという意味で足が地についた時だったんだろうと思う。
エンペラーの会インド編の途中ですが、息抜きで9月に撮った写真から何枚かご紹介(たまには iPhone じゃなくて iPad や PC など大きめの画面でも見てみてくださいね)。
ムンバイで最も身近な Black & Yellow Cab ですが、3、4台に1台くらいの割合でこうしたレトロな車種に遭遇します。タイヤが抜けるんじゃないかってくらいフラフラと左右に揺られますが、これで結構スピードを出すドライバーもいるのでなかなかスリルがあります。最初の頃は面白がって乗っていましたが、最近はだんだん避けるようになってしまいました。
9月のガネーシャ祭り(ガネーシャ・チャテュルティ)の最終日の前日に Colaba にて撮ったもの。翌日の祭りに備えて料理を準備しているようでした。
最初とこの2枚目の写真はいずれも Fujifilm X-T1 にレンズ XF23mm をつけて撮っています。35mm換算で 35mm の焦点距離ですね。街中の散歩の時のお気に入りの組み合わせ。Fujifilm のカメラは色再現に定評があり、僕もそのカメラで撮ったカラー写真の色の出方はとても好きですが、白黒は白黒で滑らかなグラデーションが綺麗です。
自宅の近くの大通りを歩いて近所の酒屋さんまでビールを買いに行きました。インドでは Kingfisher というブランドが最も飲まれています。僕もそれをいつも飲んでいます。こちらの写真は Ricoh GR にて。コンパクトなのでいつも持ち歩けるカメラ。コントラストが高いのはあえてそう撮っているため。
9月最後の夜、土砂降りの雨が振りました。たくさんの落雷も。最近は日中は雨は降らず気温もかなり上昇してきたのでモンスーンは終わりかなと思っていましたが、まだ粘っているようです。こちらはニコンの一眼レフ D600 にて。
先日友人(羅王)にカメラの話をしたとき、僕がカメラを複数台持っていることに驚かれました。写真好きにとっては当たり前の感覚なのですが、一般的にはそうじゃないのかな、と考えてみると確かにそうじゃないのかもしれません。その時の気分と状況と、取りたい写真とで使うカメラそしてレンズを選んでます。
ちょっと堅い話が多いこちらのブログですが、たまには写真と雑談を中心に。
仕事が忙しかった7月、8月ですが、週末の買い物やご飯の時はカメラを持ち歩いているので、少し雨のムンバイの街を撮ることができました(すでに過去の記事で使った写真も混ざっています)。
ムンバイに来た当初、夏のモンスーンの時期は大変なことになるよ、と色々な人から聞いていました。あちこちで道路は冠水して、膝くらいの高さまで水が溜まるよ。その溜まった水で子供たちが泳ぐよ。なんて話も聞いたので、どれくらい大変なことになるのか、興味と恐怖とが半分半分の気持ちでいました。
モンスーンは毎日が雨だと聞いていたのですが、実際に迎えてみると、ひたすら雨が振り続けるというよりは、一日に何度も夕立のような激しい雨が突発的に降るという表現の方が正しいように思います。そして、心配したほどに雨による日常生活への影響は少なく、このまま平和に秋以降の乾季の季節を迎えられそうな気がしています。
昨年もムンバイで過ごしていた日本人の方によれば、どうやら今年は平年より雨が少ないようです。ただ、こちらの地方ではモンスーンの時期に大量に降った雨を貯蓄しておいて、乾季の水不足を補うので、今年雨が少なかったということは必ずしも良いニュースとは限りません。
今週に入って、雨の頻度が減ってきたように感じます。雨が降っていない時はいつもどんよりとした曇り空でしたが、今日は朝から晴れ間も見えています。もう間もなく9月ですし、そろそろモンスーンも終盤なのかなと感じます。
9月から11月という季節は、日本では自然が見せる表情の変化がとても素晴らしい時期ですが、こちらムンバイでは淡々と、雨季から乾季へと変わっていきます。
写真はいずれもフジフイルム X-T1 に XF35mm F1.4R もしくは XF23mm F1.4R をつけて。カメラ出力の JPEG に対し、少しだけ Lightroom で調整しています。
最近、白黒で撮ることが多くなりました。一つはこのカメラだと白黒が綺麗に撮れるということもありますが、もう一つは、インドの街は色が多すぎて(しかもゴミもたくさん落ちているので笑)カラーだと落ち着きが無いということもまた理由です。
何故か理由は分かりませんが、「写真」はこれまでのところ波はあるにせよ一貫して興味を持ち続けられている分野です。写真を鑑賞するのも好きですし、自分で写真を撮るのも好きです。
写真を面白いと思う理由を言葉に落としこんでみると、目の前に存在する世界を自分なりの切り口でフレームに収め、何らかの意味合いを加え、一つの完結した新しい世界を表現できることなのかなと思っています。目の前にある混沌とした世界を前提に、レンズとカメラを通じより単純に再構築しながらも、今まで見えなかった新しい視点を加える事ができるのが、きっと自分にとって面白いのだろうなと思っています。
スマートフォンの普及と Facebook や Twitter などの SNS の浸透によってこれまでにない膨大な量の写真が日々ネットで共有されるようになりました。自分が経験したオリジナルの世界を周りの人に知ってもらいたいという個々人の欲求がそうした動きを加速しているのだと思います。誰もが表現者という一面を持っているのでしょうね。
きっと私の場合も根っこにあるのはそうした自分の世界を表現したいという気持ちなのだと思います。
ところで写真付きの方であれば必ず共感頂けるかと思いますが、カメラを持つと、周りの世界に対する興味や感度がぐっと高くなります。興味深い被写体や、写真として映える光や影を常に追い求めるような感覚が続きます。そしてカメラを持っていなければ素通りしてしまうようなシーンを実際に察知し、レンズを向けることができるようになります。
こうした「超高感度」モードは、写真以外の分野においても持ちたいものですね。
軽く読み流してしまう記事、何となく会話して別れてしまう多くの人、目の前を素通りしていく街中のモノやコト。その先に新しい世界が拡がっている可能性があるにも関わらず、気付くことなくその瞬間は日々過ぎ去ってしまっているのではないかと思います。
その「瞬間」を見逃すことなくちゃんとすくい取る事ができれば、きっと膨大な気付きや学びがあるはず。そのために何より必要なことは、見えない世界を見ようとする執着心や好奇心ですよね。そしてそれは写真と同じように、何度も繰り返し試行錯誤することで、より感度や精度が上がっていくのだと思います。
そんなことを考えながら、写真を見たり撮ったりしています。