盟友ムンバイへ来たり(エンペラーの会) #11 – ダラヴィ・スラム

これは「エンペラーの会インド編第10話」からの続きである。

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午後、タクシーでダラヴィ・スラム (Dharavi Slum) に向かう。Realty TOURS & TRAVELS のスラムツアーに参加するのだ。

ムンバイに飛行機で降り立つ時、滑走路のすぐ近くにはたくさんのスラムが建ち並んでいる。雨漏り防止なのか日除けなのか、トタンの屋根にブルーシートが敷かれているので、空から見るとそれがスラムなのだとよく分かる。空港の周りだけでなく、ムンバイの市内を移動するときも、あちこちにスラムと思われる住居地区がたくさん目に入る。高層マンションの近くに点在するスラム。これが至るところにあるのがムンバイという街だ。

 

 

 

集合したのはダラヴィ・スラム近くのマヒム (Mahim) 駅。僕たち以外にイギリスからの若い男性3人組(学生でおそらく二十歳前後)と、シンガポールからムンバイに仕事に来ていた女性もツアーに参加するようだった。そしてガイドを務めてくれるのは自身がダラヴィ・スラムに住む20台前半のインド人青年(このブログを書いているのはツアーに参加して既に3週間以上が経過しており名前を失念してしまったので羅王にならってトーマスと呼ばせてもらう)。

僕たちは「スラム」という響きからどんなイメージを持つだろうか。多くの日本人にとっては、職を持たない人が多く住んでおり、衛生環境が悪くまた犯罪率が高い、そういったイメージではないだろうか。

Wikipedia によると「スラム」とは次の通り。

スラム (Slum) は、都市部で極貧層が居住する過密化した地区のことであり、都市の他の地区が受けられる公共サービスが受けられないなど荒廃状態にある状況を指す。(中略)スラムの特徴として、高い失業率と貧困が上げられる。このため犯罪や麻薬、アルコール依存症や自殺などが多発する傾向にある。発展途上国の多くでは、非衛生的な環境のため伝染病が流行していることが多い。

ダラヴィ・スラムのツアーの目的はスラムの本当の姿を知ってもらうことだとトーマスは言った。「スラム」という言葉から受けるイメージがムンバイにおけるスラムの真実ではないことを見てもらいたいと言う。

そもそもの始まりはイギリス植民地時代に遡る。当時、ムンバイがボンベイと呼ばれていた時代、イギリス政府はムンバイ中心部に住むインド人のうち、不衛生なあるいは危険な仕事に従事する人々や、低所得者層を郊外に強制的に移動させたという。この時生まれた新たな居住エリアが今のスラムの起源だ。

それでは現在のスラムはというと、大きく2種類に分かれる。公式なスラムと非公式なスラムだ。ダラヴィ・スラムの様に古くから存在するスラムは政府から公式に認められており、その土地は国が保有している。そしてそうした公式なスラムに住む人々は土地に対する税を免除されている。一方で最近新しく生まれたスラムも存在し、それらは政府が認めない非公式なスラムだと言う。こうした非公式のスラムがどの程度存在するのかはトーマスに聞き忘れてしまった。

つい10年、20年前まではムンバイの人口の7割程度がスラムに住んでいたというし、今でも5割強がスラムに住んでいるという(もっとも統計値の信頼性はそこまで高くないだろうと思う)。インドは民主主義の国だ。したがって、この膨大なスラム居住者が、政治家にとって極めて重要な投票層となっており、税の免除などの優遇施策が存在するのも容易に想像がつく。

・・・そうした背景を一通り聞いた後、僕たちはトーマスの後ろを歩いてダラヴィ・スラムの中へ入っていった(次の写真は前日に撮ったもので場所は異なる)。

 

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ダラヴィ・スラムは、商業地区と居住区とに分かれている。僕たちが最初に向かったのは商業地区だ。この地区の主要ビジネスは、プラスチックや空き缶などのリサイクルビジネス。ムンバイ(あるいはムンバイ周辺の都市)から集められてくる膨大な数のゴミがダラヴィ・スラムで解体され、分別され、原材料として再生産されている。

その商業地区に入った。

・・・。

なんというか、極めて普通である。僕たちはスラムにいるんだ、という話を聞かされなければ、(一般的なイメージの)スラムにいるとは到底思えない。

おそらくインドに到着して間もない人間の目からすると、なるほどこれがスラムか、という印象を持つのかもしれないけれど、ムンバイで既に9ヶ月近くを過ごした僕にとってはスラムの日常はムンバイの日常そのものに見えた。もちろんオシャレなお店はないし、上品な服を来たインド人は見かけないけれど、そこには普通の暮らしがあり、仕事があるように感じた。

本当か嘘か分からないが、ムンバイは「世界一汚い都市」との悪名を持つ。残念ながら、実際、汚い。インドの人々はゴミを路上に投げ捨てるので、ペットボトルや包装に使われたビニルなどがあちこちに散乱している。しかしこれらのゴミが無法状態かというとそうではなくて、ちゃんとそういったゴミを集めて生計を立てている人達がいる。彼らは街中のゴミを拾い集め、ダラヴィ・スラムのような場所に持ち込むのだ(ペットボトル 1kg で数十ルピーくらいで買い取ってもらえるとトーマスが言っていたはずだが記憶は定かではない)。

ダラヴィ・スラムでは、持ち込まれた様々なゴミを分業体制でリサイクルしている。分解する仕事、分別する仕事、溶かして着色して再利用可能な原材料にする仕事、等々。こうしたリサイクルビジネスを一気通貫で処理可能な能力がダラヴィ・スラムには備わっている。その処理に必要な工作機械などもダラヴィ・スラム内で製造されていると言う。まるでそのものが小さな都市のようだ。

なお、ダラヴィ・スラムには居住区と商業地区が存在すると書いたが、居住区に住む人がそのまま商業地区に働きに来るわけではない。商業地区で働いているのは主に地方からの出稼ぎ労働者だと言う。例えば地方で農作業に携わっている人々が、農作物が育たない乾期の間にムンバイに出てきて、ダラヴィ・スラムで必要な労働力となる。だからおそらくモンスーンの時期はダラヴィ・スラムの労働人口は一気に少なくなるのだろう。

トーマスの案内でこの商業地区の様子を色々と見させてもらった。こうした言い方をすると失礼かもしれないが、それぞれがきちんとした身なりで勤勉に働いていた。もちろんゴミのリサイクルという仕事である以上、危険はあるだろうし、衛生環境も一般よりは悪いはずだが、そういったものが正しくコントロールされ理路整然としているように感じた。チープな言い方だが、実に「ちゃんとしている」のだ。

 

ダラヴィ・スラムでリサイクルされた原材料はそのまま各メーカーと取り引きされる。トーマスによれば、ゴミからリサイクルされる以上、飲食物に直接触れるようなプラスチック製品や包装品には再利用されないとのことだが、メーカーに購入された原材料がどう使われるのかはブラックボックスだからその真相はわからない。用途は別にして、かなり広い範囲の企業との取り引きがある様子だから、もしかすると巡り巡って日本にも流通しているのかもしれない。

ダラヴィ・スラムはインド最大級のスラムだが、路上のゴミを拾い集める人や地方からの出稼ぎ労働者の生計に不可欠な存在であり、また、そこでリサイクルされた原材料がインド国内あるいは海外で流通する製品に利用されているという事実。大げさに言えば、グローバル経済の実態はこうやって繋がっているのだと思った。

 

中途半端ではあるけれど長くなってしまったので、以降はまた次の記事にて。

 

注:ダラヴィ・スラムの内部で撮影した写真は一枚もない。同地域のプライバシーを侵害しないようにと、写真撮影は禁止されていたためだ。もしご興味がある方は、ぜひ自分の目で確かめてみて欲しい。ツアーの申し込みはこちらから: Realty TOURS & TRAVELS