僕は逃げなかったよ

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きちんとした文章をこちらに書くのは実に1ヶ月半ぶりです。つい最近まで、具体的には6月の終わり頃から8月の上旬まで、とてもタフなプロジェクトに参加しており、なかなかブログを書こうという時間も気力もありませんでした。この間、ほとんど写真も撮れていませんでした。ようやくプロジェクトが先週で終わって一息つける状況になり、こうして言葉として振り返ることができそうです。

プロジェクトの内容はもちろん公にはできませんが、グローバルに展開する某インド企業のポートフォリオ全体を対象に、ビジネスプランのレビューを支援していました。いわゆるデュー・デリジェンス (Due Diligence) と呼ばれるものに近いですが、各ビジネスの中長期プランが適切に立案されているかどうか、改善の余地があるとすればどんな点にあるか、を綿密に検証する作業でした。

こうした業界で働いている方はある程度ご想像つくかと思いますが、このデュー・デリジェンス系のプロジェクトは往々にしてタフな環境に置かれることが多いのです。短い期間で複数のビジネスを正しく理解し、市場環境や競合環境を踏まえ、現実的かつある程度前向きな中長期の売上や利益を算定し、その実現に必要なプランを検証する。こうした戦略立案に近い作業を、複数のビジネスを対象に限られた時間で実施しなければならないので、時間的にも精神的にもかなり追い込まれることが多いのです。

加えて私の担当したビジネスは事業部が北米にありました。インドからですと9時間から12時間ほどの時差なので、電話でのコミュニケーションは朝か夜に限られてしまうボトルネックも存在しており、時間的な制約が一段厳しかったです。

正直、プロジェクト期間中の生活はかなりひどいもので笑、月曜日の早朝4時台に起床し、朝のフライトでデリーに移動。そのまま月曜日から金曜日までデリーで朝から夜遅くまで仕事し、金曜日の夜にムンバイに戻る。そして土日も結局、自宅で仕事。そういった状況でした。仕事するか寝るか食べる。そんな毎日です。

もともと日本語だけで仕事をしてもタフな類の仕事なのですが、英語によるコミュニケーション(かつ北米との電話会議)ですので、さらに効率が低下。インドに来て着実に英語力は上がった実感はありますが、非ネイティブの壁は厚く、未だに苦戦することも少なくありません。例えば 95% 理解できても、残りの 5% の理解が非常にクリティカルということも多いので、そういう時に自分の英語の運用能力を嘆いてしまうのです。

また、これも変な話なのですが、出張先の食事は毎日基本カレーなんですよね。美味しい、美味しくないという以前に、日本人としてはこれもまた厳しくて笑。まったく食欲の湧かない毎日でした。体重はちゃんと測っていませんが、ベルトの穴が1つ移動するくらいのダイエットになりました。

さらに、当たり前ですが日本人は自分一人。インド人の同僚は皆とても親切で優秀なメンバーばかりでとても助けられましたが、それでも、日本語で仕事や仕事の悩みを共有できるメンバーがいないというのは、こういうタフな環境ではジワジワと精神的に影響してくるんです。日本であれば、同僚とちょっと食事で雑談したり軽く飲むだけでも気分転換できると思うのですが、それができませんでした。もちろんこちらのインド人の同僚とは一緒に食事を取り、たまに飲むのですが、どんなに相手が優しいメンバーでも、同じ国に生まれた同じ血が流れる相手に感じられる親密感や一体感は、なかなか得られないのだと実感しました。要は、寂しかったということです笑。

こうした複数の状況が組み合わさって(本当はちゃんと書くともっと生々しい日々でしたが)、私が今の会社に入って以来、最も肉体的にも精神的にも追い込まれたプロジェクトでした。時間がタイトな中、思ったように仕事が進まず、自分の仕事への適正や能力を疑ってしまいました。自分は本当にこの仕事に向いているのかなと。つい弱くなって、自分はなぜインドで働いているんだろうと思う日も少なくありませんでした。自分がこれまで学んできたことを疑いもしました。しばらくはもう体験したくないという位、追い込まれていた気がします。

ただ、そうした苦しい状況ではあったのですが、自分で決めていたことがありました。自分からは最後まで逃げない、ということです。苦しいけれど、それに立ち向かって最後までやり抜く、ということだけは自分に課していました。自分の能力不足が原因で、仕事が取り上げられたらその時は仕方ないけれど、自分から、この仕事は自分にはできないと宣言することだけは絶対にしないと決めていました。

・・・本来これは私の仕事では当然のマインドセットで、日本にいた時はそんなことを考えたことはなかったのですが、それを思ってしまうくらいタフだったんです。

とにかく「逃げない」という事だけは絶対に決めていたので、肉体的、精神的に辛い時期も、「今、自分にできることをちゃんとやろう」と仕事に向き合えたように思います。

人って、過去の成功体験や失敗体験が、その後の生き方に大きく影響するものだと思います。スポーツでも勝ち癖をつけることは大切だと思われますが、当然、仕事でもそうだと思います。トートロジーですが、勝ち続けてきたから、勝ち続けることができる、というのが一つの真理でしょう。

では今回、自分は「勝った」のだろうか、というと正直、胸を張ってそうは言えません。求められている結果はきちんと出しました。けれど、総合的に見て、自信を持って「勝った」と宣言できるかと言われると、そうではないと思います。努力はしたけれど、至らない点も多々あったと思います(そこはチームのメンバーにたくさん助けてもらいました)。

それでも胸を張って言えること。それは、「僕は逃げなかったよ」ということです。苦しかったけれど、最後までやり抜いた。それは自信を持って言うことができます。

正直に言えば、ある時期はかなり苦しくて、これは自分の能力を超えているんじゃないだろうか、自分がこのまま仕事を続けていると迷惑をかけてしまうのではないだろうか、という心の迷いもあったのですが、それでも、それを自分から言葉に出すことだけは絶対にしませんでした。そして、きっとそれをチームメンバーも分かって信じてくれていたと思います。

そして今振り返れば、やっぱり、逃げずに最後までやり抜いて良かった、と心から思います。

余談ですが、私が昨年日本でフルマラソンに初出場した時も、同じ心境でした。良い結果は出せなかったのですが、走りだして10キロ過ぎで腸脛靭帯炎で足が痛くてまともなフォームで走れなくなった時も、痛み止めを飲んで最後まで走り抜きました。あの時も「逃げない」と決めていたから、走り切れたんだと思います。

こうした経験から思うことは、理想は、「勝ち続けること」かもしれませんが、それと同じくらいあるいはそれ以上に「勝てないとしても逃げないこと」も大切ではないだろうかと思うのです。「苦しくて大変だった。でも自分からは逃げなかった。」そう言えることが、次の自信に繋がっていくんじゃないかと思うのです。また次に何か困難な状況に面した時も、「あの時、逃げなかった。だから今回も自分を信じることができる」と言えるんじゃないかと思うのです。

そうやって一つ一つの経験を積み重ねていきたいなと思っています。

・・・と、今回のちょっと苦い経験を、ポジティブに捉えるために言葉に落としてみた次第です。それとやっぱりオレって日本人だなぁと痛感しました笑。

写真はムンバイにて。これでも信号のある交差点です。