習熟の基本は言語化にありとあらためて思う

In Jodhpur; Fujifilm X-T1; Post-processed

最近時間があると、以前にもまして Flickr を始めとする写真サイトや、フォトグラファーのブログや、あるいは実際に出版された写真集をよく見ています。何をしているかというと、第一に自分が好きだなと思える作品を見つけることと、第二にそれがなぜ好きだと思ったのか考えること、そして第三にそれを自分で再現するためにはどうすればいいのかを考えることです。

ここで今までの自分を振り返ると、第一ステップの次にいきなり第三ステップを目指そうとしていたのではないかと思うのです。素敵だなぁとかカッコいいなぁと思う写真を見つけた時、自分もそんな写真を撮れるようになるためには何をしたらいいかなと考えていたと思うのです。

ただし最近は、その間のステップ、つまりその写真がなぜ好きなのか考えるというステップを意識して組み込むようにしています。そして、特に重要なのは、好きという漠然とした感情をできるだけ細かい言葉に落としこむことだと思っています。

例えば、その写真の対象となっている主題(人物や風景など)が気に入ったのか、気に入ったとしたらなぜなのか。構図に魅せられたのか、だとしたら何がポイントなのか。あるいはその写真の色の表現の仕方やコントラストの出し方が好きなのか。色の表現が好きなのだとしたら、色相や彩度に分けるとどういうことなのか。コントラストが良いのだとしたら、ハイライトからシャドウに至るまでどういう変化なのか。

・・・等々、挙げだすとキリがありませんが、写真を構成するこうした個々の要素に分けて自分の言葉に落としこむことによって、「好き」という漠然とした感情で終わらずに、その次のステップである「自分で再現するためにはどうすべきか」という問いに具体的に答えるための材料が生まれてくるのだと思います。その材料をきちんと揃えることができてはじめて、それを表現するための手法とその学習方法がより具体的に見えてくるでしょうし、実践することもできると思うのです。

もちろん芸術表現の一つである写真について、こうした科学的なアプローチが全てだとは思いません。本人が明確に言葉にできないにも関わらず素晴らしい作品が生まれるというケースは芸術の世界では珍しくないことだと思います。とはいえ、そうした才能や資質に依存せずに少しでも今よりも良い写真を撮りたいと思うならば、「言語化」はとても大切なプロセスだと思うのです。

本来はどんな分野においても、その分野での習熟を目指すならばこのプロセスを踏むことは当然のことと思います。曖昧なままでなく言葉に落として要素に分解して、正しい理解のもとステップを踏んでいくことが重要であるはず。ただし写真の場合、それが一見すると感覚的な分野であるがために、その学習も感覚的になってしまいがち。ですがちゃんと考えるとやはり言語化というものは重要で、それは分野を超えた基本中の基本なのだなとあらためて思ったのです。

・・・などと分かったように書いていますが、まだまだ写真はヘッポコなので引き続き、言語化を意識しながら精進します。。。

Photo of the day
  1. Jodhpur, 2014 / Fujifilm X-T1 / VSCO Film