海外在住者が直面する子供の言語教育

Mumbai;
Ricoh GR

 

先日、ある方と話していて興味を惹かれたテーマです。例えば外交官のように、10年周期あるいはそれ以上の周期で海外に在住する家族が直面する課題の一つが、自分たちの子供の「思考言語の選択」だそうです。選択といっても基本的には、日本語を選ぶのか、英語を選ぶのかということです。

ここでいう「思考言語」とは、普段自分が何か物事を考えるときに、無意識に選択する言語を意味しています。当然、僕の場合は日本語になります。

僕はこうした分野についての知見はないので、以下は推測による話になりますが、人は後天的に非母国語を学ぶことによって、その言葉を母国語とする人と同程度に、その言葉を使う能力を高めることは可能であると思います。したがって他者との「コミュニケーション手段としての言語」については、論理的には、努力によって後天的にいくらでも習得することは可能と言っても良いかと思います。

しかし、人が無意識に選択する「思考言語」となると(もしそういうものが存在するならばですが)、それはおそらく一つの言語に集約されるといっても良いのではないかと思います。もしかするとヨーロッパの家庭に様に、異なる母国語を話す両親に育てられた子供はまた違うのかもしれませんが、それはここでは一旦は例外としておきます。

冒頭の話に戻ると、日本人外交官の様に、長期にわたって海外業務に従事する家庭において、自分たちの子供の思考言語の選択は、子供の教育における両親の重大な意思決定であり責任の一つであるとのことなのです。「両親の」と書いたのは、子供は年齢的に自分自身でその選択をすることはできず、親が「決める」必要があるためです。そして、今の時代においては、それを日本語にするのか英語にするのかという選択に迫られているとのことでした。

思考言語の選択、つまり日本語で考えるか英語で考えるか、によってどういった違いが生まれてくるのかについては興味深い問題ですが、ややこしくなりそうなので、ここでは一旦置いておきます。ただし一般的な感覚として、言語と文化、言事と習慣が切り離せないことを考えれば、当然、日本語か英語かという選択は、その子供の将来の思考様式や行動様式を大きく左右することは想像に難くありません。

僕は英語は後天的に身につけた言語で、しかも日本語と比べるとまだその運用能力は低いので、英語による思考の世界について深く考えることはできません。しかし実際に海外で暮らしていると、当然ですが、英語による思考が自然にできることのメリットは計り知れないであろうと感じています。少なくとも、これからの時代においては、合理的に考えれば英語を選択することは自然な流れではないかと思います。

一方で、日本の文化、思考、習慣といったものは、海外で暮らしていてその素晴らしさを再認識していますし、今後も正しく継承され評価されるべきものだと思っています。そして、それらと切り離すことのできない日本語を、少なくとも日本人である以上は、自分の子供の思考言語としたいとの想いもあります。加えて、正しく使うことができれば、グローバル化する世界であるからこそ、他者と差別化するための要素になりえると信じています。

自分の子供にどちらの言葉を選択すべきか、というのは答えのない世界です。もし自分がその立場なら、子供の将来ためにどちらを選ぶのだろうと考えてしまいます。そして、これは、今はまだ長期海外在住者だけの問題かもしれませんが、そう遠くない将来に国内を拠点とする家族にとっても重要な問いになってくるだろうと思います。